詠里庵ぶろぐ

詠里庵

ピアノ・フェーズ

2006-05-11 06:24:29 | コンサート・CD案内
という曲、知っていますか? 1967年スティーヴ・ライヒ作曲のいわゆるミニマル・ミュージックです。5音からなる12の等価な音符の単純な音型を2台のピアノのユニゾンで延々々々と繰り返す音楽なのです。それだけで音楽が成り立つのかと思うでしょうが、実は音楽の様相(フェーズ)が徐々に変化して行くマジックが隠されています。最初は完全なユニゾンですが、しばらくすると一人がほんのわずかに速度を速めます。その「ほんのわずか」の程度が本当に「無限小摂動」と思えるほど微小で、徐々にずれて行くさまは細かな音型に内包された大きなウナリを感じるような効果があります。そして隣の音の分だけずれると、リズム的には元に戻っていますが、二人は1音ずらした同じパターンをカノン的に弾いているわけです。これを12回繰り返すと全く元に戻りますが、戻るまでは全く同じ「フェーズ」は2度と現れていないので、一曲分の大きなうねりを体験したような感じです。その先は8音で同様のことを行い、さらに4音で行い、最後は一人だけ残って、突然終わります。一柳慧の「ピアノ・メディア」(1961年作曲:こちらの方が早い)と少し通ずるものがあります。

さて、この曲、私は2枚のCDを持っていますが、いずれもピアノでなくマリンバ二人で演奏されています。一つは吉原すみれと山内恭範の演奏、もう一つはAmadinda Percussion Groupの演奏。しかしこの二つの演奏は、聴いた感じが全然異なるのです。両方とも同じような音量で特にアクセントを付けるわけでもなく、楽譜に忠実に演奏されているのに。現代音楽でそのようなことが起こるとは思いませんでした。

何が違うか? 端的に言って演奏速度が違うのです。吉原の方は17分強、Amadindaの方は12分弱だから、1.5倍くらい速度が違います。「じゃあ、Amadindaの方が演奏技術が上なんだね」と思ったら大間違いです。この曲に関する限り遅く演奏する方が困難だと私は思います。そこは「ピアノ・メディア」と違います。

で、どのように感じが違うか説明するのが難しいのですが、Amadindaの方は速度が速い分、曲の推移も速いので「あ、いまずらし始めた」とか「いまずらし終わってまた元のリズムを再現し始めた」というのが感じられる、つまり「フェーズを変えるためのゾーンに入った、出た」のが感じられるのに対し、吉原の方はそれを明瞭に感じ取るにはあまりにも推移が人間の感覚に比べゆったりとしていて、フェーズがいつの間にか変わって行くといった風情なのです。速度が違うだけでこのような定性的な違いが感じられるのが大変面白いと思います。

ところで吉原のCDとAmadindaのCD、ピアノ・フェーズ以外の収録曲は全然異なる選曲ですが、それぞれ大変面白いCDなので、それぞれ後日まるごとCD紹介しましょう。
コメント (3)
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