に家族で出かけてさっき戻って来ました。上野に着くと大日本なんとか会などの宣伝カーの大群がすごい音量でがなりたてています。警察官も大量の動員で彼らを監視。そうか、今日は憲法記念日だった。それにしても上野だけがなぜこんなに騒然としているのだ?その答は、ディストーションのかかった絶叫からなんとか聞き取れた言葉からわかりました。「社民党の集会フンサーイ!・・・」
それはともかく、国立科学博物館に着くと、朝から家族連れや若いカップルらが行列で、ちょっとびっくり。中に入ると、行列はそのままナスカ展や常設展へ。我々は別の展示がお目当てだったので、行列から外れて地下の方に行きましたが、誰もついてきません。実は、閑散とした小さな展示室に来訪者は我々家族だけかもと予想しないでもなかったのですが、どうしてどうして、そこそこ人が入っていました。何の展示かって?
それは「湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念」展です。どんな企画なのか、もしつまらなければ他にも見るものはあるからいいや、などと思って訪れたのですが、さてこれがなかなかのものでした。まず入り口に等身大よりやや大きい二人の立像写真があります。(和服の朝永は芥山龍三郎先生によく似ています。ドラマでなくオリジナルのマンガの方ですが。が、そんなことはどうでもよろしい) 結局これだけ見て食事して帰って来たのですが、帰るころは入場者も非常に多くなっていました。いろんないでたちの老若男女で、中には渋谷か原宿で見るようなチャラチャラした若いカップルもいました。そんなに多様な人達が湯川・朝永展に来るなんて、嬉しいですね。
さて中身ですが、私は物理が専門ですし湯川・朝永周辺の一般書も少しは読んでいるので展示の中身は知っている話が多いのですが、静かで暗めの会場に明るく展示してある史料や写真や説明、見学者が触ることができる簡単な実験の展示などを見ると、その時代に居るような気になり、現代物理の黎明期の息吹に包まれて総毛立つ感じがします。それも、昔の科学を懐かしむというよりは、いま見てもよくこんな最先端のことを、誰も教える教授がいない中で、この二人は達成したものだなと、感嘆にくれるのを禁じ得ません。
それと、展示の文章や、20ページほどのパンフレットの文章が素晴らしい。文学的文章という意味ではなく、題材の選択が客観的で、主催に名を連ねている京大、筑波大、阪大の宣伝っぽさがなく、二人が人生のどの時期をそれぞれの大学や旧理研で過ごしたのか、淡々とグラフや文で綴っていたりする。却ってそれがこの4つの機関が果たした「彼らのような存在を可能とした容れ物」としての偉大な貢献を物語っています。パンフレットにごく小さく書かれていた執筆者の名を見て、ああこれなら、と納得しました。佐藤文隆と江沢洋です。
愛国心をがなりたてる連中には全く閉口する一方、純粋に科学する偉大な二人の軌跡とそれを語る大先輩の見識につくづく誇りを感じた一日でした。
それはともかく、国立科学博物館に着くと、朝から家族連れや若いカップルらが行列で、ちょっとびっくり。中に入ると、行列はそのままナスカ展や常設展へ。我々は別の展示がお目当てだったので、行列から外れて地下の方に行きましたが、誰もついてきません。実は、閑散とした小さな展示室に来訪者は我々家族だけかもと予想しないでもなかったのですが、どうしてどうして、そこそこ人が入っていました。何の展示かって?
それは「湯川秀樹・朝永振一郎生誕百年記念」展です。どんな企画なのか、もしつまらなければ他にも見るものはあるからいいや、などと思って訪れたのですが、さてこれがなかなかのものでした。まず入り口に等身大よりやや大きい二人の立像写真があります。(和服の朝永は芥山龍三郎先生によく似ています。ドラマでなくオリジナルのマンガの方ですが。が、そんなことはどうでもよろしい) 結局これだけ見て食事して帰って来たのですが、帰るころは入場者も非常に多くなっていました。いろんないでたちの老若男女で、中には渋谷か原宿で見るようなチャラチャラした若いカップルもいました。そんなに多様な人達が湯川・朝永展に来るなんて、嬉しいですね。
さて中身ですが、私は物理が専門ですし湯川・朝永周辺の一般書も少しは読んでいるので展示の中身は知っている話が多いのですが、静かで暗めの会場に明るく展示してある史料や写真や説明、見学者が触ることができる簡単な実験の展示などを見ると、その時代に居るような気になり、現代物理の黎明期の息吹に包まれて総毛立つ感じがします。それも、昔の科学を懐かしむというよりは、いま見てもよくこんな最先端のことを、誰も教える教授がいない中で、この二人は達成したものだなと、感嘆にくれるのを禁じ得ません。
それと、展示の文章や、20ページほどのパンフレットの文章が素晴らしい。文学的文章という意味ではなく、題材の選択が客観的で、主催に名を連ねている京大、筑波大、阪大の宣伝っぽさがなく、二人が人生のどの時期をそれぞれの大学や旧理研で過ごしたのか、淡々とグラフや文で綴っていたりする。却ってそれがこの4つの機関が果たした「彼らのような存在を可能とした容れ物」としての偉大な貢献を物語っています。パンフレットにごく小さく書かれていた執筆者の名を見て、ああこれなら、と納得しました。佐藤文隆と江沢洋です。
愛国心をがなりたてる連中には全く閉口する一方、純粋に科学する偉大な二人の軌跡とそれを語る大先輩の見識につくづく誇りを感じた一日でした。
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