長野えびす講煙火大会

2011年11月22日 | 健康・病気

今夜、女房が仕事を終えてから高速バスに乗り軽井沢にやってきた。
私は夜勤で、女房が中軽井沢に着いた頃(21時50分)は仕事をしていた。
職場で、明日(23日)長野で花火大会があるから「奥さんと行ってくれば」といわれた。
ネットで調べると、長野えびす講煙花大会というものだった。
かなり魅力的なイベントだと思った。
行こうかな…?
ところが、帰りの車で聴いた天気予報は、「長野市の明日は、夜雨が降りそうだ」だった。
どうしよう?
女房が長野に来ているときに、こういうイベントがあるなんて、なかなかないと思う。
さあ、明日は晴れるかな?

ところで、今日は、「いい夫婦の日」だとラジオやテレビでいっていた。
私たちもぜひあやかりたいですね。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法然と親鸞

2011年11月21日 | 健康・病気

  
   東京国立博物館入り口                                    特別展のあった平成館

上野公園を出て、横断歩道を渡ると東京国立博物館がある。
特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」があるせいか午後4時になるというのに入場する人が多かった。
私は1時間では見るのに時間が足りないだろうな、と思った。
しかし、その日に見なければ、もう私は見る機会がなかった。
この特別展は、12月4日までしかやってない。

入場料は当日券が1,500円。
入って最初の絵を見ていたが、これじゃよく分からないなと思った。
昨年のゴーギャン展で音声ガイドを借りた。
あの説明を聞いて、より詳しく展示されている絵が理解できた。
500円がもったいなかったが、音声ガイドを入口まで戻って借りた。

特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」のホームページに展示品の写真と説明が載っている。
このサイトを見れば、特別展に行かなくてもいいのではないか、と思うほど良くできている。
しかし、やっぱり本物はいいですが…。
私は、この展示品の中で一番感動したものは、「恵信尼自筆書状類」です。
親鸞の妻の恵信の手紙です。
ホームページの「見どころ」をクリックして、「展示構成」の
「法然と親鸞をめぐる人々」の「作品を見る」をクリックすると、見られます。
恵信という人の人柄をあらわす素敵な手紙です。

私は、親鸞に関係する展示品を主に見ていたような気がする。
親鸞のことを私は詳しく知らない。
五木寛之の書いている新聞小説を読んでいるので少し、五木の描く“親鸞”のことは知っている。
現在は、「白念仏」「黒念仏」のことを書いている。
黒念仏を主宰する男が下の者に命じて、親鸞の前で弟子の指を1本1本折っていく。
「こんなことをする男でも念仏をすれば救われるのか、
 悪人は救われないといえ、いわないと弟子の指を折るぞ」
結局、親鸞はいわず、弟子の指は10本折られる。(読ンデイテ、オレノ指ガイタカッタ)
次に、遊女の指が折られる。
黒念仏の集まりは、男女1組で参加する。
そしてその中では、相手かまわずまぐわいをする。
親鸞の弟子は、遊女を連れて黒念仏とはどんなものか調べるためにその集まりに行ったのです。
この1週間の小説の展開は、こんなことが書いてあった。
念仏をすれば、どんな悪人でも救われるのか?
私は、悪人は救われなくてもいいのではと思うのですが、親鸞は、どんな悪人も救われるという。
黒念仏は、「なむやみだぶつ」と念仏を唱える。
このあたりは、五木寛之の創作なのだろうか?
それともそういうことがあったのだろうか?

鎌倉仏教の先駆者で浄土宗の宗祖の法然。
40歳年下の弟子で浄土真宗の宗祖、親鸞。
この2人が出会うということが素晴らしいですね。


 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとう秋山監督

2011年11月20日 | 健康・病気

ソフトバンク8年ぶり日本一、MVPは小久保(読売新聞) - goo ニュース

王監督のときから私はホークスが好きだった。
王監督と誕生日が同じということもあった。
秋山監督は、西武にいたときに息子たちがライオンズのファンクラブに入っていて、家族で応援していた。
でも、現在のホークスという球団のファンに私はなれなかった。

でも、秋山監督は好きです。
今夜、秋山監督の涙を初めて見た。
選手たちも好きです。
今年のホークスは、名実とも日本一の球団だと思う。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野公園

2011年11月19日 | 健康・病気

11月17日(木)私は、東京国立博物館で開催されている特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」を見に行った。
家を出たのが午後2時過ぎで遅かった。
上野駅に着いたのが3時半頃だった。

私が池袋駅から上野駅までを山手線で行くと、いろんな青春のシーンを思い出していけません。
私は、26歳まで駒込駅で暮らしていた。
女房と本駒込のアパートで同棲して結婚ということになってしまった。
彼女は、大塚のアパートに住んでいた。
最初は、女房が会社(なんと彼女は兜町の証券会社に勤めていた)から駒込のアパートに帰ってきて、
泊まって翌朝、大塚の自分のアパートに戻ってから出勤するなんてことをしていた。
巣鴨・田端・西日暮里・日暮里・鶯谷、あ…。
なんと!鶯谷のキャバレーで私はアルバイトをしていました。

  

上野駅は、かわりましたね。あたりまえです、30何年か前とくらべりゃね。
私が26歳のとき、不思議なことに東京文化会館のある場所で、週に一度演劇の練習をしていました。
そのときは女房も入っていた。
演劇の練習の前に上野公園をランニングなどしていた。
そういうわけでここも思い出深いです。
東京文化会館は、私が20歳の頃、クラシックが聴きたくなると4階の資料室に行きました。
その頃私はステレオを持ってなかった。
そこでは、自分で選んだレコードをヘッドフォンで聴けたのです。
コンサートホールには入れなかったが、東京文化会館で沢山クラシックを聴きました。

  

文化会館の隣の国立西洋美術館では、ゴヤ展をやっている。
来年の1月29日までだ。見にこなくては…。
(裸のマハは展示されてない。よそうかな?)
上野動物園にも息子を連れて何度か行きました。

  

驚いたのは、噴水のある大きな池とそのまわりが工事中だったことです。
ここも20歳の頃よく友人と来ていた。
23歳で備前で死んだ龍彦ともよく来ていた。

今夜は、法然と親鸞の特別展のことを書こうと思っていましたが、
上野の写真を見ていたらつまらない思い出話を書いてしまった。
明日、特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」のことを“ささやかに”書きたいと思います。
もう寝なくてはなりません。
明日も昼間の勤務です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肴やで呑む

2011年11月18日 | 健康・病気



昨日の夕方、6時半頃、肴やに行った。
中に肥さんはいました。
4ヶ月ぶりの出会いでした。
「今日、上野の東京国立博物館で特別展『法然と親鸞 ゆかりの名宝』を見てきてその帰りなんだ」
と私はいった。
この特別展のことは、肥さんも見に行ってブログに書いていた。
そのことを話し、デジアナ変換のことなども話し、フォークソング祭りのことも話題になった。

そのうち、Nさんが来た。
Nさんは、13日の日曜日に東御市の海野宿に来ていて、私に午後3時頃電話をくれた。
「今、みんなで海野宿に来ている。寄れたら帰りにオギちゃんのところに行くよ」といった。
海野宿から私の職場まで1時間もあれば着く。
しかし、待っていたが来なかった。
5時過ぎた頃、「やっぱり寄れなかった。ゴメンな」と電話が来た。
「おれ、こんどの木曜日にシントコに行きます」と話した。
「それじゃ、そんとき呑もう」といって電話が切れた。

そのうちにハマさんが来て、Aさんが来た。
日曜日に長野に来た人たちです。
肴やのマスターは、はりきって料理を作っていた。
マスターも長野に来ていた。
Aさんがこの夏大病になった。
それが手術をして良くなったので、快気祝いということでみんなで長野へ1泊旅行をしたという。
「こんど来るときはせめて1週間前に連絡をして欲しい」と私はお願いした。
そうすれば、なんとか勤務を変えてもらって私も付き合えるかも知れない。

10時を過ぎて私は肴やを出た。
おそらくみんな無理して肴やに来てくれたのだろう。
私にはこんなに友だちがいる。
美味い酒でした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WiMAX

2011年11月17日 | 健康・病気

9月にジェイコムをやめてから東京の女房の家のネット環境はなかった。
インターネットが出来ないことは辛かったです。
女房からも「早くネットを使いたい」と強く要求されていた。
ケーブルTVのネット接続をやめたので、あとは光ファイバーかADSLかです。
こうなったら光ファイバーにしようと思った。
ケーブルTVの契約は、安いのにしたので速度が遅かった。
光ファイバーにするとしてもNTT東日本とKDDIの2社がある。
新しくパソコンを買うときに光に入るとパソコンが安くなるなんてのもある。
いろいろ調べているときに、WiMAXというのを知った。

これは、「高速モバイル」とかいわれている。
どこでもノートパソコンでネットに接続出来るというものだ。
といっても現在大きな都市でしかつながらない。
旧軽井沢は12月にカバーされるけど中軽井沢は予定がない。
WiMAXは工事がいらない。
これにしようと思った。
私が軽井沢にいるので工事のときに立ち会うことが難しい。
女房は立ち会うことを嫌がる。
月々の費用も4,000円以内ですむ。
この前、女房が軽井沢に来たときにネットで申し込んだ。
そして先週、ルーターが女房の家に届いていた。
先日、女房が試みてみたが接続出来なかった。
これは“手強いぞ”と思って私は昨日東京にやってきた。

昨日の午後、私はパソコンとルーターをつないでいろいろやってみたが接続出来なかった。
夕方、途方にくれてASAHIネットに電話した。
「パソコンに無線LANをする機器がありますか」といわれた。
そんなのあるわけない。
「それ何ですか?」
「ルーターとパソコン間で電波のやりとりをするものです」
あ…、自分の無知を恥じた。
そんなことも知らない私です。
夕方、友人と北朝霞で待ち合わせていた。
その前に新座駅近くのパソコンショップに行って、それを買った。
株式会社バッファローのUSB2.0用無線子機WLI-UC-GNM(1,270円)というものです。
友人と楽しい会話を終えて家に戻ってからまたパソコンと格闘した。
結局、昨夜はネットに接続出来ないままに九想話も書かないで寝た。

今朝、6時過ぎに起きた。
女房を会社に見送ってから、私はWiMAXに立ち向かった。
ワイヤレスネットワークには接続出来ましたが、ルーターが機能していない。
なんだかんだやって10時前にやっとつながった。
私は思わずニセビールで祝杯をあげました。
もう私は、パソコン関係のことが辛いです。
知識についていけないおじいさんになりました。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタッドレスタイヤ

2011年11月15日 | 健康・病気

今朝、軽井沢は曇りだった。
気温も低い。
布団の中でラジオを聴いていると、今日から気温が下がるといっていた。
北海道と東北では雪が降っているという。
関東でも山沿いでは雪が降るとお天気キャスターがいっている。

私は明日、東京に行く予定です。
なんか心配になってきた。
碓井軽井沢ICに行くとき、軽井沢に来た車がよくチェーンをつけているのを見る。
私ももし金曜日に帰ってきたときに、雪が降っていたらどうしようと思った。
起きて布団から抜け出しパソコンを立ち上げ、軽井沢の天気を見る。
この1週間ほどは雪マークはない。
まだタイヤを交換しなくてもいいかな、と考えたが、
でも来週どうなるか分からない。
だったらいっそ交換してしまおうか、と思った。
そして、軽井沢で車のメンテナンスでお世話になっている整備工場に電話した。

タイヤを交換しました。
これでいつ雪が降っても安心です。
今日も私は夜勤だったので、12時過ぎに家を出ました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友がおじいさんになった

2011年11月14日 | 健康・病気

今日、どうせ書き込みなどないだろうと「九想庵のいろり端」を見たら、ありました。
淡路島のMICさんからだった。

> おじいさんになりました。

と11月4日に書いてあった。
へぇ~と思った。
以前、息子さんが結婚したと聞いていた。
大阪で暮らす可愛いひとり息子です。
私は、さっそくResを書いて、携帯電話をとった。
呼び出すとMICさんがすぐ出た。
久しぶりの声だ。
「ごめん、ごめん。おれ、いろり端はほとんど見てないんだよ」
「そんな感じだね」
「孫が生まれたんだって?」
「うん」
「可愛いだろう。で、どっちだった?」
「男の子だった」
「孫には会ったの?」
「嫁さんが帰って来て産んだからこの前会ってきた」
淡路島同士で結婚したようだ。
「可愛いだろう?」
「ああ…」
当たり前の会話をして電話を切った。
友人は、私が電話したことを喜んでくれた。

彼と私の付き合いはもう27・8年になる。
私が30歳の頃、大成電気製作所という会社に勤めていた。
もうその会社は潰れて存在しない。(私のいた会社はそんなのばっかりです)
私が資材購買担当者で、彼は半導体製品の販売会社の営業だった。
ICやLSIやトランジスター・コンデンサーなどを彼の会社から買っていた。
彼はそのうち会社の先輩と会社を作った。
私は、会社を移っても資材購買担当者をしていたので半導体製品は彼から買うようにした。
そんなことをしていて付き合いはずーっと続いていた。
彼は、私よりいくつ年下なんだろう?
2つか、5つか?そんなことあまり関係ないよね。

彼は、早いうちに埼玉にマンションを購入した。
しかし、30代の終わりの頃それを売って淡路島に帰った。
奥さんも淡路島の人だったのです。
淡路島では瓦の会社に勤めていたが、その会社のリストラがあり仕事を失った。
淡路島には仕事が少ない。
それで現在は、保険の代理店の会社を作って営業をしている。
私の、入院保険も車の保険も女房の保険も彼を通じて入っている。
私が、51歳のとき勤めていた会社が消滅して、淡路島に、米原の友人と遊びに行った。
(その前に、京都の祇園祭を見ました。そんけいぶんさん、のはらさん、あのときはお世話になりました)
友人とMICさん、そして奥さんも呼んで豪華な?ホテルに泊まった。
楽しかった。
鱧のいろんな料理を食べました。
京都の鱧は、淡路島でとれたものということをそのとき知った。

そんなことで彼とは長いのです。
私は、こんなふうに長く付き合う友人が多い。
せっかく知り合った素晴らしい人間とは、いつまでも付き合いたいです。
いつの日か、また淡路島を訪ねてMICさんと孫の話でもしてみたいな~。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第4回フォークソング祭り

2011年11月13日 | 健康・病気

昨夜、フォークソング祭りが北軽井沢のパンカーラで開催された。
私は、パンカーラから歩いて10分ほど離れたアールクルーさんの別荘に午後3時前に行き練習した。
5時半にパンカーラに行って、ステージのセッティングをした。
7時開演、もうパンカーラの中は熱気むんむんです。
最初に、マスターの挨拶があり、そして始まった。

ここから出演者や演奏した曲目などを書こうと思ったが、
昨日の私はしこたま焼酎を呑み過ぎて、プログラムをパンカーラに忘れてきてしまった。
なので、誠に申し訳ありませんが、それらを書けません。
そのことを深くお詫び申し上げます。 m(_ _)m

私は、アールクルーの演奏のとき、カホンを叩いた。
今回は、エレキギターとベースの素晴らしいおふたりが参加してくれた。
しみじみ音楽をやってきた喜びを味わいました。

プログラムが終了してからがバカのように盛り上がった。
それぞれが好きな歌をうたう。
もう止められない。
私は、ケーナを持ってきて吹き狂っていました。
楽しい夜でした。

今回、女房は、仕事が忙しくて来られなかった。
女房の視線がないことをいいことに、私は羽目を外してしまいました。
そして、今日が辛かった。
昨夜は、パンカーラに泊めていただいたのですが、二日酔いがひどかった。
今日は、夜勤で午後1時から仕事でした。
私は、死んだようになって出勤した。
正直、苦しかった。(自業自得だ~)
昨日の楽しさが、苦しさとなって今日の私に襲いかかってきた。
それはそれとして、フォークソング祭りはサイコーでした。

  

  

  

  



  

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いざ、フォークソング祭りへ

2011年11月12日 | 健康・病気

もうすぐ家を出ます。
北軽井沢のパンカーラに行って昼飯を食べて、アールクルーさんの別荘に行って練習します。

哀しいほど未完成です。
指が痛いです。
こんなふうで私はちゃんとうたえるのでしょうか?
心配です。
私の人生はみんなこんなふうに中途半端です。
直らないでそのうち死んでいくのでしょう。
いや、直そうとは考えているのです。
でも…、ダメなんです。

いや、ぐだぐだ思い悩むのはよそう。
楽しめばいい。
プロではありません。
私がうたって、楽しめればいい。
楽しみます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする