角田光代「さがしもの」

2011年11月06日 | 健康・病気

昨日、あんなことを書いてしまった。
今日1日、なんか角田光代にわるいことをしたような気持ちで暮らしていた。
けっしてわるい小説ではないのです。
私の感受性の少ないことがいけないということを認めます。

日々、自分の子どもと家族(亭主)への行為を反省しながら、
ついつい自分の欲望を前面に出して生活している主人公の生き方は好きじゃない。
でも、ラストシーンの気持ちは理解できます。
あるとき息子の担任から呼ばれて学校へ行く。
そのときに先生が、子どもの書いた絵の話をする。
ある日の絵の授業のときに、家族の絵を描いてと児童にいうと、
みんな夕食やハイキングに行ったときの家族ようすを描くのに、
その子は、玄関に乱雑に散らばった靴の絵を描いた。
「それが異常に感じたので学校に来ていただいた」という。
私は、玄関の散らばった靴を絵に描く子どもは不自然と思った。
どんなに想像してもそういう子どもはいないと考えた。
いや、いるかも知れない(このへんが私の限界か?)。
でもなァ。

<角田光代「絵」>のことをより正確に書こうと思って、
Googleで検索したら<角田光代「絵」九想話>がもう上から5段目にあった。
私は、なんで~と思った。
検索エンジンの上位に行くために多くのサイトはお金をかけているというのに、
まったくお金をかけない九想話が5番目でいいのでしょうか?

今日、「とっておきラジオ ラジオ文芸館『さがしもの』」を聴いた。
(ラジオ第1午後4:05~午後4:50)【作】角田光代【朗読】内藤裕子
これは文句なしによかった。
(今日、5時が退社時間ですが、疲れていたので早退させてもらった)

主人公は14歳の少女だ。
おばあちゃんとの話だ。
おばあちゃんが病院に入院している。
もうすぐ死にそうだ。
そのおばあちゃんがある本を探してくれとその子にいう。
学校が終わってから病院に行くまでにいろんな本屋に行ってその本を探す。
いくつもの、余所の街の本屋に行っても見つからない。
古本屋にも行く。
おばあちゃんは「どうして見つからないんだ」と怒る。
「おまえの探し方が悪いんだよ。私しゃ死ぬに死ねないよ」なんていう。
しかし、まもなく死んでしまう。
主人公が大学生になったときに、その本が複刻されて販売された。
彼女は、どうしておばあちゃんがその本を読みたかったかを想像する。
主人公は、大学を出て本屋に勤めた。
本を探しに来る客の手伝いをするという仕事をするようになった。
(これからこの本を読む人がいるでしょうから、詳しい内容は書きません)
いい小説だった。
角田光代という作家はいいとあらためて思った。
今日は、昨年の1月に放送したものを再放送したといっていた。
このNHKのアナウンサーが短編小説を朗読する番組は、私にとって最高の番組です。

コメント
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