法然と親鸞

2011年11月21日 | 健康・病気

  
   東京国立博物館入り口                                    特別展のあった平成館

上野公園を出て、横断歩道を渡ると東京国立博物館がある。
特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」があるせいか午後4時になるというのに入場する人が多かった。
私は1時間では見るのに時間が足りないだろうな、と思った。
しかし、その日に見なければ、もう私は見る機会がなかった。
この特別展は、12月4日までしかやってない。

入場料は当日券が1,500円。
入って最初の絵を見ていたが、これじゃよく分からないなと思った。
昨年のゴーギャン展で音声ガイドを借りた。
あの説明を聞いて、より詳しく展示されている絵が理解できた。
500円がもったいなかったが、音声ガイドを入口まで戻って借りた。

特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」のホームページに展示品の写真と説明が載っている。
このサイトを見れば、特別展に行かなくてもいいのではないか、と思うほど良くできている。
しかし、やっぱり本物はいいですが…。
私は、この展示品の中で一番感動したものは、「恵信尼自筆書状類」です。
親鸞の妻の恵信の手紙です。
ホームページの「見どころ」をクリックして、「展示構成」の
「法然と親鸞をめぐる人々」の「作品を見る」をクリックすると、見られます。
恵信という人の人柄をあらわす素敵な手紙です。

私は、親鸞に関係する展示品を主に見ていたような気がする。
親鸞のことを私は詳しく知らない。
五木寛之の書いている新聞小説を読んでいるので少し、五木の描く“親鸞”のことは知っている。
現在は、「白念仏」「黒念仏」のことを書いている。
黒念仏を主宰する男が下の者に命じて、親鸞の前で弟子の指を1本1本折っていく。
「こんなことをする男でも念仏をすれば救われるのか、
 悪人は救われないといえ、いわないと弟子の指を折るぞ」
結局、親鸞はいわず、弟子の指は10本折られる。(読ンデイテ、オレノ指ガイタカッタ)
次に、遊女の指が折られる。
黒念仏の集まりは、男女1組で参加する。
そしてその中では、相手かまわずまぐわいをする。
親鸞の弟子は、遊女を連れて黒念仏とはどんなものか調べるためにその集まりに行ったのです。
この1週間の小説の展開は、こんなことが書いてあった。
念仏をすれば、どんな悪人でも救われるのか?
私は、悪人は救われなくてもいいのではと思うのですが、親鸞は、どんな悪人も救われるという。
黒念仏は、「なむやみだぶつ」と念仏を唱える。
このあたりは、五木寛之の創作なのだろうか?
それともそういうことがあったのだろうか?

鎌倉仏教の先駆者で浄土宗の宗祖の法然。
40歳年下の弟子で浄土真宗の宗祖、親鸞。
この2人が出会うということが素晴らしいですね。


 


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3 コメント

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法然と親鸞 (肥さん)
2011-11-22 04:39:36
お話の中の「悪人」についてですが,
私は「悪人でも救われる」というよりは,
自力の力のない=他力にたよるしかない
「悪人こそが阿弥陀仏に縁がある」
というものかと理解しています。
(もちろんわざと悪をしてはならないと,
戒めてもいますが・・・)

また,念仏は回数をたくさん唱えればいい
というわけではなく,1回でも縁ができる。
いや信じる心さえ芽生えたら,
念仏を唱えなくても縁ができる。
ではなぜ念仏を唱えるか?
それは,こんなに自力の力のない私でも
阿弥陀仏は救って下さるという感謝の気持ちである。
そんな感じでとらえています。
(間違えているかもしれませんが・・・)

なお,法然と親鸞が年齢が離れていたことも
幸いしたように私には思われます。
もし近かったら,教義をめぐって
師匠と弟子の間にバトルがあったかも。
あと,実際に2人が接していた時間はわずか6年間。
これも「不幸にして」と普通は考えますが,
考えようによっては,親鸞の思考を深めるのに「幸いした」かもしれません。
旧仏教勢力による弾圧が2人を引き離したからこそ,
「教行信証」を書くことができたのかもしれないからです。

なんだかんだ,今回の企画はなかなかナイスな
企画であったと思っている私です。
九想さんと私のブログのネタにもなったし・・・。
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恵信尼書状 (肥さん)
2011-11-22 16:54:50
PS 恵信尼書状には私も感動しました。
親鸞の半生が,恵信尼の流暢なかな文字で
生き生きと綴られているからでしょう。
また,この史料が大正時代に発見されて,
親鸞研究が大きく進んだということです。
かつては「親鸞は存在しなかった」という説さえあったそうです。
返信する
Re:法然と親鸞 (九想)
2011-11-23 02:31:22
> 浄土宗・浄土真宗でいうで「他力」とは、「他」とは阿弥陀如来を指し、
> 「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。
> 「他力本願」の「他力」はこの意であり、他人の助力などの意ではない。

ということだそうです。

私は、法然と親鸞を語るほどの知識を持ち合わせていません。
ただ、恵信の手紙はよかったです。
心の安まる文字でした。

特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」という企画は素晴らしかったですね。

毎日、五木寛之の「親鸞」を読むことが楽しみです。

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