友がおじいさんになった

2011年11月14日 | 健康・病気

今日、どうせ書き込みなどないだろうと「九想庵のいろり端」を見たら、ありました。
淡路島のMICさんからだった。

> おじいさんになりました。

と11月4日に書いてあった。
へぇ~と思った。
以前、息子さんが結婚したと聞いていた。
大阪で暮らす可愛いひとり息子です。
私は、さっそくResを書いて、携帯電話をとった。
呼び出すとMICさんがすぐ出た。
久しぶりの声だ。
「ごめん、ごめん。おれ、いろり端はほとんど見てないんだよ」
「そんな感じだね」
「孫が生まれたんだって?」
「うん」
「可愛いだろう。で、どっちだった?」
「男の子だった」
「孫には会ったの?」
「嫁さんが帰って来て産んだからこの前会ってきた」
淡路島同士で結婚したようだ。
「可愛いだろう?」
「ああ…」
当たり前の会話をして電話を切った。
友人は、私が電話したことを喜んでくれた。

彼と私の付き合いはもう27・8年になる。
私が30歳の頃、大成電気製作所という会社に勤めていた。
もうその会社は潰れて存在しない。(私のいた会社はそんなのばっかりです)
私が資材購買担当者で、彼は半導体製品の販売会社の営業だった。
ICやLSIやトランジスター・コンデンサーなどを彼の会社から買っていた。
彼はそのうち会社の先輩と会社を作った。
私は、会社を移っても資材購買担当者をしていたので半導体製品は彼から買うようにした。
そんなことをしていて付き合いはずーっと続いていた。
彼は、私よりいくつ年下なんだろう?
2つか、5つか?そんなことあまり関係ないよね。

彼は、早いうちに埼玉にマンションを購入した。
しかし、30代の終わりの頃それを売って淡路島に帰った。
奥さんも淡路島の人だったのです。
淡路島では瓦の会社に勤めていたが、その会社のリストラがあり仕事を失った。
淡路島には仕事が少ない。
それで現在は、保険の代理店の会社を作って営業をしている。
私の、入院保険も車の保険も女房の保険も彼を通じて入っている。
私が、51歳のとき勤めていた会社が消滅して、淡路島に、米原の友人と遊びに行った。
(その前に、京都の祇園祭を見ました。そんけいぶんさん、のはらさん、あのときはお世話になりました)
友人とMICさん、そして奥さんも呼んで豪華な?ホテルに泊まった。
楽しかった。
鱧のいろんな料理を食べました。
京都の鱧は、淡路島でとれたものということをそのとき知った。

そんなことで彼とは長いのです。
私は、こんなふうに長く付き合う友人が多い。
せっかく知り合った素晴らしい人間とは、いつまでも付き合いたいです。
いつの日か、また淡路島を訪ねてMICさんと孫の話でもしてみたいな~。

コメント (2)
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