ブラスバンド

2005年10月18日 | 健康・病気

先週の水曜日だったか、
「笑ってこらえて 吹奏楽の旅SP2005」
というテレビ番組がありビデオに録っておいた。
それを今夜観た。

高校のブラスバンドがコンクールの全日本大会に
出るための練習や活動内容を取材したものだ。
中学、高校とブラスにいた私は、
胸を熱くし、涙垂れ流し状態で観ていた。
生徒も、指導する先生も素晴らしかった。

私だって中学のときコンクールの県大会に出場した。
しかし、そのときのことはまったく覚えていない。
中学のときの顧問の先生は、おそらく、
音楽を指導するのに自信がないのか、
夏の合宿のときなどに県警の音楽隊の隊長を呼んで、
私たちの指導をお願いした。
そんなふうだから毎年なんの賞ももらえなかった。
そのときの顧問は、歌謡曲と軍歌が好きな先生だった。
コンクールが終わると、そんな曲ばかり練習していた。

高校3年のとき、茨城大学を卒業したばかりの
音楽の先生が顧問になってくれた。
大学の吹奏楽部でフルートを吹いていた先生だった。
茨城交響楽団にも所属していた。
それまでコンクールなんて考えたこともなかったのに、
その先生がコンクールに出ようといった。
5月だったか、
日曜日に先生と私を含めた何人かの生徒が、
東京の銀座のヤマハまで
コンクールのための楽譜を買いに行った。

次の日から私たちの練習はコンクール一色になった。
夏の合宿には、先生の後輩にあたる茨大の学生たちが
参加して、私たちを指導してくれた。
吹奏楽とは、音楽とはこういうものかと、
新鮮な気持ちと驚きを胸に私たちは練習に励んだ。
そのかいあってか、コンクールでは銅賞をとった。
前年までは、野球部の応援が主な活動のブラスだった。

部長であった私はステージに上がって賞状をもらった。
そのとき賞状を渡してくれたのが、
中学のとき指導してくれた県警の音楽隊の隊長だった。
隊長は私のことを覚えていてくれた。
あのときぐらいかな、私の人生で晴れがましいことなんて。

それにしても、全国大会に出るブラスバンドの
水準の高さに脱帽です。
あの音楽的レベルの高さに比べたら、
私がやっていたブラスバンドというものは、
なんだったのだろう。
でも、それなりに音楽というものを楽しみました。
ブラスバンドに乾杯!

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