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俳句のこと

2020年11月26日 | 俳句・短歌

久しぶりに、
ASAHIネットでやっている句会に投句した句への
想いなどを書きます。
10月の課題は、
「秋天」秋の天、「松茸」、<白>の字をいれた句、です。
今回は、17人中4位でした。

16. 寝ころべば落下しそうな秋天かな   6 

芝生なんぞに寝っころがって、真っ青な空を見上げると、
その中に自分が落っこちそうな気分になるときが私はある。
そんな気持ちを句にしてみた。
選句してくれたある人が、
「秋の天」のほうがいいのではと助言を下さった。
私もそのほうが坐りがいいな、と納得した。

25. 松茸やたったひとつの宅配便   7 

「松茸」の題には困った。
なにしろ私にまったく縁のない食べ物です。
それでこんな句になった。
むかし、友人のところに実家から松茸が送られてきた。
それを友人は1個ではなかったが、わが家にお裾分けしてくれた。
あれをどういうふうにして食べたのだろう。

50. 白い肌ためらいながら秋がゆく   5 

この句をどういう気持ちで作ったのか覚えがない。
ただ<白>という字を
なんとか入れなくてはという思いだけが心にあり、
“やっつけ”で作ったような気がする。
というのは表向きで、私なりに…。

今月の課題は、次の通りですが、困りました。
「石蕗(つは)の花」石蕗
「凩(こがらし)」
<退>(この字を使い、何か季語を入れてください。)
それなりに考えてはいるのですが、句が出てきません。

清水哲男『増殖する俳句歳時記』の11月24日の句
  つはぶきや二階の窓に鉄格子   森 慎一
の解説に写真があり、初めて石蕗の花を見た。
イメージがわきません。

この句会に入ったときに、
  自己嫌悪木枯らしの中ぶらさげて
という句を作って投句した。
これは今でも自分の句の中で一番好きな句です。
ですから、もう「こがらし」では作れない。

私はこれまで<退>のみの人生だった。
これはなんとかこじつければ出来るかな?

ああ…、俳句はむずかしい。


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句会に投句

2020年10月20日 | 俳句・短歌

今日は、久しぶりに俳句を投句した。
年4回の私が入っている句会の締め切りが10/17だった。
それに投句しようと先週は、俳句のことを考えていた。
しかし、ここんところ俳句から遠ざかっていた私には難しかった。
今回は投句することを断念しようとしたら、
句会を運営しているひとから、締め切りを10/20にしますとメールが来た。
それならと考え直して、昨日と今日、あらためて俳句と向き合った。
なんとか五句つくり、さきほどメールで投句した。
NHK俳句の締め切りも今日だった。
「嚏」と「枯木」の題だったが、「枯木」だけつくって投句した。
NHK俳句は、ネットで投句ができるのです。
今日投句した俳句は、全部へたな句だと思う。
でも、これから俳句をつくっていこうとする私としては、
へたでもつくらなければという気持ちです。
俳句のことを一から勉強したいと思います。


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朝日俳壇に載る

2015年03月30日 | 俳句・短歌



今朝、俳句の師匠でもある友人からメールがあった。
> 今朝の朝日俳壇に、長谷川櫂の三席で入選しています。
ということだった。
よろこびが心の底からじわじわとわき出てきた。

今回、初めて朝日俳壇に投句した。
3年前に作った句です。
そのときは「春愁や白い一日白いまま」だった。
今年になりそれをかえたくなった。
それで「白い」を「白の」にしてみた。
かえたので朝日俳壇に出してみた。
そうしたら三席に選ばれた。

今夜、前からの約束で友人と飲むことになっていた。
その日の朝に、私の句が朝日俳壇に入選とは、なかなかないことだと思う。
生ビールで乾杯してから師匠はいう。
「白いまま」のほうがいいと。
「syunsyuya siroi itiniti siroimama」
音の響きとして「i」がたくさんあっていいと。
「白のまま」だと、そこだけちがう感じになってしまうのではないか…。
私もそれは感じていた。
なんかかしこまったような…。
ただ2週間前、この句を私なりに推敲して「白のまま」にかえたから朝日俳壇に投句した。
そのおかげでこの句が世に出ることになった。
それはそれでよかったと思う。

しかし、俳句は難しいですね。
音ひとつのちがいで句の姿がかわってしまう。
またそれが、面白いとは思う。

師匠にいわれた。
朝日俳壇に、1年に1回入選することはまぐれだ。
2回も、まぐれだ。
3回入選して、初めて認められる、と。

コメント (6)
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句集「妣の国」

2012年06月05日 | 俳句・短歌

奥坂まやの第3句集「妣の国(ははのくに)」(ふらんす堂刊)
を著者にいただいてから今日まで、私は何度も句集を読み返してきた。
わからない句、感じる句、いろいろありました。
私が気に入った俳句を次に書きます。


  ゆふがほはいつも待ちくたびれてゐる

  柘榴の実渡す一個の未知として
  まつすぐに此の世に垂れてからすうり

  十二月コップに水の直立す
  わが自我のごとき鉄塔雪降り来る
  白き血しろくかがやき年迎え
  いつさいの音のはてなり雪ふるおと
  からあげ揚ぐる音潑溂と寒に入る
  寒中やポスト慇懃無礼に赤し
  裸木として晴天に拮抗す

  滑走路ますぐにさびし卒業す
  るるるると先の世の音風車
  くりいむぱん春らんまんのかたちなる

  ゆふがほの用心深きひらきやう

  ずぶ濡れの電車が着きぬ曼珠沙華
  ぎんなんの稜(かど)小賢しき尖りやう
  鶏頭花聖なる愚者のごと立てる
  いちじく裂く六条御息所の恋

  剝きたての蕪愛慾の白さなり
  姿見へ激しく豆を打ちにけり

  海湛へ地球は孤独さくら貝
  ふゆざくらみんながとほりすぎてゆく
  ひらがなを書き散らしかげろふに棲む

  いきいきとノート真白し夏初
  月光に愛されて滝ますぐなり
  もも色のほのと水母の生殖器
  見たことはなし草臥れてゐる蟻を
  炎暑なり吊玉葱はにこにこと

奥坂まやの句が好きになりました。
ものごとを見る視線がするどく、そして正しい。

九想話のブックマークに「鳥獣の一句」を置きました。
取り上げた句に対する文章がいい。


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俳人 奥坂まや

2012年06月04日 | 俳句・短歌

それにしても私が、毎回必ず参加していたパンカーラの「フォークソング祭り」をやめて、
「余白句会100回記念会」に行ったということは無謀でした。
でも、長野の山の中で暮らしている私としては、
都心で行われる俳句好きな人たちの集まるところに自分を置いてみたい、と思ったのです。
ここのところ私は、自分の“俳句力”に自信を失っていた。
以前は、九想庵のトップページに出来るだけ俳句を載せていたが、現在はしていない。
なんか自分が作る俳句がみんなつまんなく思えて、俳句をひねる気もしないのです。
そんな自分に俳句的な刺激が欲しかった。
4月初旬、「新・増殖する俳句歳時記」に余白句会100回記念会へのお誘いのメッセージがあり、
私はすぐ参加申し込みをメールで送った。

昨夜も書きましたように余白句会100回記念会にいても、
私はそれを外野席から覗いている観客の1人のような気持ちでした。
会場のど真ん中に坐っていたんですけどね…。
私の左隣の女性と右隣の男性が楽しそうに話している。
女性は、女性の隣の俳人の方とも熱心に話している。
(私は、この男性が俳人ということは知っていました)
私は、それらの会話を聞くともなく聞いていた。
(あぁ…、おれとは別の世界だ。ここはおれなんかが来るとこじゃねぇ)
と気持ちが萎えた。
こうなると私は飲むしかありません、ひたすらビールを探したが、ない。
ビールをくれ~と、私は心の中で叫んでいました。

投句成績発表があり、私は前に出て挨拶をして席に戻ると、隣の女性が話しかけてくれた。
「わたしもあなたの句に投票しようと思ったんです」
「………」
「でも、『春愁』が…ちょっと、ひらがなで『しゅんしゅう』だったらとったかも…」
というようなことをいってくれた。
「そうですね。私もちょっと『春愁』はどうかな、とは思ったのですが、
 ほかの季語が思い浮かばなかったんです。ひらがな、か…それはいいですね」

  春愁や白い一日白いまま

というのが私の投句したものでした。

そんな会話から女性と話し始めた。
その人は、「奥坂まや」という人でした。
会が終わる頃、互いに自己紹介をして初めて知った。
奥坂さんは、名前と住所・電話・メールアドレスが書いてある素敵な名刺をくれた。
私は、職場の名刺は恥ずかしいので渡さなかった。
奥坂さんは、会が終わると予定があるといって二次会には参加しないで帰って行った。
家に帰ってインターネットで「奥坂まや」と入力して検索してみた。
たくさんのサイトがヒットした。
あの人は俳人でした。
無知というのは、かなしいですね。
私は有名な俳人といっぱしに俳句を語っていた。

5月19日(私の誕生日の前日)に、家の玄関ドアの粗末な郵便受けに荷物が刺さっていた。
本のようだった。
厚紙の封筒の裏を見ると「奥坂まや」と書いてあった。
中から「妣の国」という句集が出てきた。
私は、誕生日プレゼントをいただいたようで嬉しかった。


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余白句会100回記念会

2012年06月03日 | 俳句・短歌

私は、余白句会100回記念会のことを書くと、
九想話に書いておきながら今日まで書いてない。
あのあと風邪を引いてしまったので書けなかった。
しかし、そのあと、体調が元に戻っても、書かなかった。
いろんなことが面倒になってしまったのです。

あの日私は、余白句会100回記念会をやる会場まで迷った。
軽井沢の田舎にいると東京が分からなくなります。
なにしろ軽井沢にいると人に会いません。
ところが東京ではどこにいっても人・ひと・ヒトです。
飯田橋駅前もすごい混雑でした。

 

日本出版クラブ会館にやっとたどり着いて受付でお金を払い会場に入った。
会場に入って私は戸惑った。
どこに坐っていいか分からない。
会場を出て受け付けの人に、
「どこに坐ったらいいのでしょうか?」と訊くと、
「お好きなところにどうぞ」という。
(そんなことをいわれても)と私は途方に暮れた。

その日の余白句会100回記念会で知っている人は何人かいるが、
話したことのある人は、清水哲男さんだけです。
あとで何人か「増殖する俳句歳時記」のパーティーで、
会ったことのある人がいることを知ったのですが、そのときは知らなかった。
(ええい、どうにでもなれ!)と居直って、私は会場の中央のテーブルの席に坐った。
会が始まって、私の右隣の席に坐った人は男性で、左隣は女性だった。
その2人がいろいろ話し始めた。
私は、ただ黙って正面のステージのようなところを見ていた。
そこには、事前に投句された句が貼り出されていた。
私の両隣の人間が、私がいないかのように楽しそうに話していて居心地が悪かった。
そんなときは飲むしかないのだが、ビールが少なかった。
乾杯のとき私のグラスはほとんど空だった。

「余白句会 第100回記念会 式次第」があるので書きます。
一、受付-選句(1時30分までに投句一覧の中から選句・投票をお願いします)
一、開会の辞(井川博年)
一、乾杯(奥坂まや)
一、余白句会創立会員鼎談(井川博年、中上哲夫、八木幹夫)
一、スピーチ(詩人、俳人のみなさま)
一、投句成績発表(三宅やよい)-講評(八木忠栄、今井聖)
一、閉会の辞(清水哲男)

私は、黙ってなんとか都合つけたビールを飲みながらそこに坐っていた。
ステージで話される話を聞いているのは楽しかった。
坐ったテーブルのみなさんがワインを飲み始めたので、私も飲んだ。
出来れば私は日本酒が飲みたかった。
少し私の心が落ち着いた。
こんなとき煙草が吸えたらいいな、と考えた。

  

いよいよ「投句成績発表」になった。
私の句には5票入っていた。
天の人には13票入っている。
とてもじゃないが天・地・人には入れなかった。
それでも5点句ということで前に出て挨拶するようにいわれた。
そんな晴れがましいところで挨拶なんてしたことのない私は、名前だけいって席に戻った。
すると両隣の人が私に話しかけてきた。
嬉しかった。
あ…、やっと「余白句会100回記念会」の出席者になれたと思った。

午後4時頃、会はお開きになった。
それから時間の都合のよい人は二次会に行った。
当然私も、みなさんのあとについて行った。
大きな居酒屋の地下が二次会の会場だった。
私たちのグループが最初に入ったので一番奥の席に坐った。
その席にあとから来た清水哲男さんが坐ってくれた。
久しぶりに私はじっくりとお話が出来た。
といっても私には何も文学的な教養がないので実のある会話は出来ません。
それに日本酒も入ったので、もうダメです。
今ではそこで何を話したのか覚えていません。
そこに坐った女性の方たちの写真を撮ったので、あとで送るといったのですが、
写真に写っている人のメールアドレスが分からない。
メールアドレスを教えてもらったのですが、顔と一致しない。
困った男です。

その頃、北軽井沢のパンカーラでは「フォークソング祭り」で盛り上がっているんだろうな、と思った。

コメント (2)
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11月の句会

2007年12月29日 | 俳句・短歌

ASAHIネットの「わいわい雑俳塾」のことを久しぶりに書きます。
10月は、へまをして参加できなかった。
11月はなんとか投句しました。
兼題は、「蜜柑」「日向ぼこ」「孤独しばり」
投句したのは、

  父と母言葉少なに食う蜜柑      6
  日向ぼこ遠くの富士が霞みけり    2
  人生の冬に入れば孤独力       3

右の数字が選句してくれた人の数です。
各題の句に1人3つづつ選句する。
参加者10人で2位、私としては以外な結果でした。
下位のほうだとあきらめていたのです。
「蜜柑」「日向ぼこ」の題に感じるものがなく、
まったく句が浮かんでこないので、なげやりにこしらえました。
「孤独しばり」には夢中になり、いろいろこねくりまわした。
しかし、納得できないままに投句した。

12月の締め切りが近づいている。
明日も24時間勤務、31日は劇団仲間と年忘れ麻雀大会だから
今日中に投句しようと思っている、のだが…。
この九想話を更新したら、年賀状をやっつけなくてはならない。

「わいわい雑俳塾」(第196回)平成19年12月の課題
 「枯野」
   遠山に日の当りたる枯野かな         高浜 虚子
   日蓮に似し顔が来る枯野道          飯田 龍太
   一対か一対一か枯野人            鷹羽 狩行
   一句二句三句四句五句枯野の句       久保田 万太郎
   枯野はも縁の下までつゞきをり         〃

  「クリスマス」
   この出逢ひこそクリスマスプレゼント      稲畑 汀子
   へろへろとワンタンすするクリスマス      秋元 不死男
   黒人の掌の桃色にクリスマス          西東 三鬼
   雪になるはずがかく晴れクリスマス        久保田 万太郎
   カステラの一トきれさへやクリスマス         〃

   <“別れ”しばり>
   冬帽子幾たび人と別れけむ           西村 和子
   着ぶくれてかたまつて棺舁(か)きゆけり    藤井 亘
   山国や年逝く星の充満す             相馬 遷子
   牡蠣舟にもちこむわかればなしかな       久保田 万太郎
   熱燗やとたんに詠めしわかれの句          〃

昨日から仕事中に俳句を考えていた。
なにしろ警備の仕事はただ立っているだけです。
頭の中は自由なのです。
でも、私は歳時記が手元にないと句が浮かばない。
季語を確認しながらでないとだめなんです。
それなりに浮かんだ句をメモしたりしていた。
夜は雨が降り、傘をさしながらそんなことをしていた。
原型をひねって、家に帰って歳時記で確認すればいい、と思った。
さて、どうなりますか。



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7月の句会

2005年08月18日 | 俳句・短歌

今回はそれなりに時間もかけてつくったのですが、
なかなか選句される句をつくれませんでした。
久しぶりに、この場をお借りして反省会をしてみます。

兼題は「夏風邪」「茄子」「<間>の字を入れる」で、
今度の句会で私は、15点の6位でした。(参加者は13人)
ちなみに優勝した人の点数は、23点でした。
私が参加している「わいわい雑俳塾」は、
題一つに一句、計三句月末までにメールで投句します。
1日に会議室に発表される作者名なしの投句一覧の中から、
一つの題ごとに五句を10日までに選句し、
そして、15日に順位が発表されます。
投句した句はこんなものです。

   夏風邪や九回の裏ツースリー       4 

「夏風邪」の季語はつらかった。
なんのイメージもわかなかった。
歳時記を見てみると、
持っている2冊のうち1冊には季語として載ってなかった。
私が頼りにしている「増殖する俳句歳時記」で、
「夏風邪」を検索してみたら、
「"夏風邪"を含む句 一致する句がありませんでした。」だった。
それでゼロからひねるしかないと覚悟を決めた。
普通の季語でしたら十句や二十句は出てくるので、
参考になるのです。
以前から、「九回の裏ツースリー」というのを使ってみたかった。
それで、無理矢理くっつけてしまった。
ちょっと乱暴でした。
4人の方からしか選句されなかった。
野球のこととなると、好き嫌いもあり、
多くの人からは共感されないなとは危惧していた。
でも、自分ではこの句、けっこう好きなんです。
やっぱり野球の「九回の裏ツースリー」はドラマチックです。
「逆転さよなら」なんてこともありますもんね。
夏風邪を引いてしまった男が、
贔屓のチーム(当然、阪神)をテレビを観ながら応援している。
ホームのゲームなので(当然、甲子園)後攻めです。
夏風邪で一日中家で寝ていた。
薬もきかない。ここで贔屓のチームが勝ってくれたら、
夏風邪なんて吹っ飛んでしまう。
さあ、**よ打ってくれ!

   妻外出黒こげの茄子転がして       6 

「茄子」を「増殖する俳句歳時記」で検索してみると10句あった。
しかし、私の生活実感として「茄子」に対して何もなかった。
あるとすれば、7/31に書いた九想話「『茄子』の句」
のようなことしかなかった。
いろいろ悩んでいるとき、茄子を焼く自分の後ろ姿が見えた。
私は茄子を焼くことがヘタクソです。
いつも焦がしてしまう。
私は焼いた茄子に醤油をかけて食べるのが好きです。
誰か、うまく茄子を焼く方法があったら教えて下さい。

   人間の性かえられず草いきれ       5 

「<間>の字を入れる」も難しかった。
“間”という字で思い浮かべる言葉は、「人間だ」。
私は自分の“性(さが)”を考えた。
何度、性を変えられたらな、と思ったことか。
しかし、こればっかりは変えられない。
大切にあの世まで持って行きます。


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昔はみんな生きてゐた

2005年08月04日 | 俳句・短歌

   蚊柱や昔はみんな生きてゐた   吉田汀史

今日の「増殖する俳句歳時記」で紹介されている句です。
ほのかに暖かさを感じてしまうこの句にまいった。
こんな句を私はいつか…。

今年、叔母、おふくろ、義父と失ってしまった私は、
人が死ぬということに、
たいした重みを感じなくなってしまっている。
いや、死ぬということより、
人が生きるということに、
重みを感じなくなったというのが本音かな。
だって、叔母も母も義父も、
生きているときは一所懸命だったはずだ。
それが死んでしまったら、何もない。
こう書いてしまったら身も蓋もないですね。
でも今の私としてはこんな思いなのです。
生きている間はなんだかんだいろいろあったが、
死んでしまったらあっさりしたもんだ。
そんな生きている間のなんだかんだなんて、
もうどうでもいいとなってきた。

身体障害者、知的障害者、健常者、なんなんだ。
みんな生きるのに必死だ。それがなんだ。
嘘、エゴイズム、体裁づくり、おためごかし。
もう、やんなったな。だからといって、
人間なんてみんな死ねばいいなんて思いはしない。
生きることがくだらないなんて考えない。
ただ、素朴に生きていくしかない。
質素に清く美しく生きていくしかない。
(これは、53歳になったスケベ親父の切ない想いです)

“昔はみんな生きてゐた”な。
けなげに生きていたよ。
生臭く、意地汚く、根性悪く生きているおれだって、
死んでしまえば“懐かしい”人になる。ナレル。

なんか、俳句とは関係ない
トンチンカンな九想話になってしまったな。


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裕次郎雨

2005年07月02日 | 俳句・短歌

私が毎日通勤中に聴いている
「日本全国8時です」(TBSラジオ)の水曜日は、
お天気キャスターの森田正光が出ている。

そういえば、私は森田正光に似ているといわれる。
最近は、綾小路きみまろにも
似ているなんてことをいう人もいる。
はっきりいって不愉快です。
でも、(そういえば似てるかも)と思ってしまう、
自分がカナシイ。これでもむかしは…。
これが20代の私です。

話題を戻して、
森田さんがここ数年今頃になると“運動”しているのが、
「『裕次郎雨』を季語にしよう」ということです。
石原裕次郎の命日である7月17日に降る雨を、
「裕次郎雨」と呼ばせてもらって、
これを季語に加えてもらおう、
というのが森田さんの“運動”なのです。

しかし、「裕次郎雨」は字数が多い。
これだけで中七になってしまう。
句にいれるのが難しい。

現在、「日本全国8時です」では、
「裕次郎雨」を使った俳句を募集している。
締め切りは来週あたりだった。
今年は力を入れていて、
入選するとある俳句誌に載るという。
私も作って応募しようと思っているのですが、
これを入れて作るのが難しい。

  裕次郎雨あなたの歳を超えました
  フィルムの裕次郎雨はチリチリと
  両肩に裕次郎雨突き刺さる
  背中から裕次郎雨沁みてくる
  裕次郎雨窓の向こうに降りしきる
  裕次郎雨おいらはドラマーやくざなドラマー
                       (お粗末)


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