それにしても私が、毎回必ず参加していたパンカーラの「フォークソング祭り」をやめて、
「余白句会100回記念会」に行ったということは無謀でした。
でも、長野の山の中で暮らしている私としては、
都心で行われる俳句好きな人たちの集まるところに自分を置いてみたい、と思ったのです。
ここのところ私は、自分の“俳句力”に自信を失っていた。
以前は、九想庵のトップページに出来るだけ俳句を載せていたが、現在はしていない。
なんか自分が作る俳句がみんなつまんなく思えて、俳句をひねる気もしないのです。
そんな自分に俳句的な刺激が欲しかった。
4月初旬、「新・増殖する俳句歳時記」に余白句会100回記念会へのお誘いのメッセージがあり、
私はすぐ参加申し込みをメールで送った。
昨夜も書きましたように余白句会100回記念会にいても、
私はそれを外野席から覗いている観客の1人のような気持ちでした。
会場のど真ん中に坐っていたんですけどね…。
私の左隣の女性と右隣の男性が楽しそうに話している。
女性は、女性の隣の俳人の方とも熱心に話している。
(私は、この男性が俳人ということは知っていました)
私は、それらの会話を聞くともなく聞いていた。
(あぁ…、おれとは別の世界だ。ここはおれなんかが来るとこじゃねぇ)
と気持ちが萎えた。
こうなると私は飲むしかありません、ひたすらビールを探したが、ない。
ビールをくれ~と、私は心の中で叫んでいました。
投句成績発表があり、私は前に出て挨拶をして席に戻ると、隣の女性が話しかけてくれた。
「わたしもあなたの句に投票しようと思ったんです」
「………」
「でも、『春愁』が…ちょっと、ひらがなで『しゅんしゅう』だったらとったかも…」
というようなことをいってくれた。
「そうですね。私もちょっと『春愁』はどうかな、とは思ったのですが、
ほかの季語が思い浮かばなかったんです。ひらがな、か…それはいいですね」
春愁や白い一日白いまま
というのが私の投句したものでした。
そんな会話から女性と話し始めた。
その人は、「奥坂まや」という人でした。
会が終わる頃、互いに自己紹介をして初めて知った。
奥坂さんは、名前と住所・電話・メールアドレスが書いてある素敵な名刺をくれた。
私は、職場の名刺は恥ずかしいので渡さなかった。
奥坂さんは、会が終わると予定があるといって二次会には参加しないで帰って行った。
家に帰ってインターネットで「奥坂まや」と入力して検索してみた。
たくさんのサイトがヒットした。
あの人は俳人でした。
無知というのは、かなしいですね。
私は有名な俳人といっぱしに俳句を語っていた。
5月19日(私の誕生日の前日)に、家の玄関ドアの粗末な郵便受けに荷物が刺さっていた。
本のようだった。
厚紙の封筒の裏を見ると「奥坂まや」と書いてあった。
中から「妣の国」という句集が出てきた。
私は、誕生日プレゼントをいただいたようで嬉しかった。