Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

両側の暴力(続き)

2005年11月05日 | 一般
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「人が妻をめとり,それと関係を持った後にこれを嫌うようになり,その女について悪行のとがめをし,その女に悪名を着せて,『これはわたしがめとった女で,わたしはこれに近づいたが,処女の証拠を見なかった』と言った場合,その娘の父と母はその娘の処女の証拠を手に取り,その都市の門のところにいる年長者たちに提出しなければならない。そして,娘の父親は年長者たちにこう述べるように。『わたしは自分の娘をこの男の妻として与えましたが,彼はこれを嫌うようになりました。そして今,彼女について悪行のとがめをし,「あなたの娘には処女の証拠のないことが分かった」と言っています。ですが,これがわたしの娘の処女の証拠です』。そして彼らはそのマントを都市の年長者たちの前に広げるように。次いで,その都市の年長者たちはその男を捕らえてこれを懲らしめなければならない。そして,その者に銀百シェケルを科して,それを娘の父親に与えるように。彼はイスラエルの処女に悪名を負わせたからである。そして彼女は引き続きその者の妻としてとどまる。その者は[命の]日の限り彼女と離婚することを許されない。

「だが,もしそれが真実であると判明し,その娘に処女の証拠が見いだされないのであれば,彼らはその娘をその父の家の入口のところに連れ出すように。その都市の人々はこれを石撃ちにしなければならず,彼女は死ななければならない。彼女は父の家で売淫を行ない,イスラエルにおいて恥ずべき愚行を犯したからである。こうしてあなたは,自分の中から悪を除き去らねばならない。

「人が所有者に所有される女と寝ているところを見いだされた場合,その両人は,すなわち女と寝ていた男もその女も共に死ななければならない。こうしてあなたはイスラエルから悪を除き去るのである。

「ある人と婚約した処女の娘がいて,[別の]男が市内でこれに出会って共に寝た場合,あなた方はその両人をその都市の門のところに連れ出して,これを石撃ちにしなければならない。そのふたりは死なねばならない。娘は市内にいたのに叫ばなかったため,男のほうは仲間の者の妻を辱めたためである。こうしてあなたは自分の中からよこしまな事を除き去らねばならない。

「しかし,男が婚約しているその娘を見つけたのが野原であり,その男が彼女をつかまえてこれと寝たのであれば,彼女と寝たその男のほうだけが死ななければならない。そして,その娘に対しては何も行なってはならない。その娘には死に価する罪はない。この場合は,人が仲間の者に立ち向かい,これを,すなわち魂を殺害した場合と同じだからである。その者が彼女を見つけたのは野であったのである。婚約していたその娘は叫んだが,これを救い出す者がいなかった。

「人がある娘,すなわち婚約していない処女を見つけ,これをとらえて共に寝,その者たちが見いだされた場合,彼女と寝たその男はその娘の父に銀五十シェケルを与えなければならない。そして,その者が彼女を辱めたゆえに,彼女はその者の妻となる。その者は[命の]日の限り彼女と離婚することを許されない。

(申命記 22:13‐29)

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結婚してから、女性の側に男性経歴があれば、「石撃ち」、石を投げつけて殺されることになっていました。結婚している女を誘惑した男性は処刑されますし、誘惑に乗った女性も同じです。しかし、女性の側が助けを得られる状況になかった場合は、つまり意に反してレイプされた場合には、男性のほうだけが処刑されました。野原にいたのであれば、助けを呼ぶことができないからです。しかし、屋内などであれば、意図的な密会であるとみなされ、両方とも処刑されます。結婚していない女性であれば、誘ったほうも誘われたほうも処刑されません。ふたりは結婚しなければなりません。こんな規定になっているのは、おそらく財産の相続のことなどのことが関わっているからでしょう。

当時のパレスチナでの女性の地位を明らかにする記述が創世記と士師記にあります。


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彼らが横にならないうちに,その都市の男たち,すなわちソドムの男たちがその家を取り囲んだ。少年から年寄りまで,民のすべてがこぞってやって来たのである。そしてロトに向かって呼ばわり,こう言いつづけた。「今夜お前のところに来た男たちはどこにいるのか。我々がその者たちと交わりを持てるように我々のところへ出してくれ」。

ついにロトは彼らのところへ出て入口のところに行ったが,自分の後ろでその戸は閉じた。そうしてこう言った。「わたしの兄弟たち,どうか悪いことはしないでください。お願いです。いまわたしには,男と交わりを持ったことのない娘が二人います。どうかそれをあなた方のところに出させてください。そしてそのふたりに,あなた方の目に良いと思うことを行なってください。ただこの人たちにだけは何もしないでください。せっかくわたしの屋根の陰のもとに来たのですから」。

すると彼らは言った,「向こうへ引き下がれ!」 そうしてさらにこう言った。「この独り者は外国人として住むためここにやって来たくせに,なんと裁き人になろうとしているのだ。さあ,あの者たちよりお前をひどい目に遭わせてやろう」。そして彼らはこの人,つまりロトに激しく押し迫り,戸を押し破ろうとして近づいて来た。そのため,かの人々は手を伸ばしてロトを自分たちのところへ,家の中に引き入れ,その戸を閉じた。一方では,家の入口のところにいた男たちを,その最も小なる者から最も大なる者まで打って盲目にならせた。そのため彼らは入口を見つけようとして疲れ果ててしまうのであった。(創世記 19:4‐11)


彼らがその心をいこわせていると,見よ,その都市の男たち,全くどうしようもない者たちがその家を取り囲み,戸口に向かって押し合いをするのであった。そして,その家の持ち主である老人にこう言いつづけた。「お前の家に入ったあの男を出せ。我々がその男と交わりを持つためだ」。それを聞いて家の持ち主は彼らのところに出て行き,こう言った。「いや,兄弟たち,どうか,悪い事はしてくれるな。この人はわたしの家に入ったのだ。そのような恥ずべき愚行をしてはいけない。ここにわたしの処女の娘と,この人のそばめがいる。どうかそれを出させてくれ。あなた方はそれを犯し,あなた方の目に良いようにするがよい。しかしこの人に対しては,そのような恥ずべき愚行をしてはならない」。

それでも,男たちはその言葉を聴こうとしなかった。そのため,その人は自分のそばめを取って,これを外の彼らのもとに連れ出した。それで彼らはその女と交わりを持ちはじめ,朝まで夜通しこれを辱め,そののち夜の明けるころに彼女を送り返した。それで,その女は朝になるころに戻って来たが,自分の主人がいるその人の家の入口のところで倒れた―明るくなるまでそのままであった。その後,彼女の主人は朝になって起き上がり,家の戸を開けて外に出,道を行こうとした。すると,見よ,その女,すなわち自分のそばめが,両手を敷居に掛けたまま家の入口のところに倒れているのであった。それで彼は言った,「立ちなさい。さあ行こう」。だが,それに答える者はいなかった。そこでその人は彼女をろばに乗せ,立って自分の所に行った。
(裁き人の書 19:22‐28)

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ものみの塔協会の教えによると、創世記の出来事は、紀元前の20世紀ころ、士師記の出来事は紀元前14世紀ころから10世紀ころとされています。あまり当てにしないで下さい。それに創世記の記述というのはおおかた創作ですから。それでもその記述には女性への見方がはっきり見て取れるのです。この年代からすると、およそ1000年間、女性は人身御供同然に扱われ続けていたことになります。エホバの証人だったころは、ここの記述にはずいぶん気持ちを乱されていました。みなさんはどう思われます?

紀元前5世紀になると、女は自由に捨てられている風潮がうかがえます。スアドの村でも、男の子を産めない妻はポイっと捨てられていました。


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「また,これがあなた方のする二番目の事である。それは結果として,エホバの祭壇を涙で,また泣き悲しみや嘆息で覆い,もはや供え物のほうに振り向くことも,喜びをもってあなた方の手から[何かを]受け取ることもないまでにならせている。そしてあなた方は言った,『これは何のためか』と。このためである。すなわち,エホバ自身,あなたとあなたの若い時の妻との間について証しをする者となったからである。それはあなたの伴侶,あなたの契約の妻であるにもかかわらず,あなたはこれに対して不実な振る舞いをした。しかし,それを行なわない者が一人いた。それは,彼が霊の残りを有していたためである。そして,その者は何を求めていたか。神の胤である。それであなた方も,自分の霊に関して自らを守り,自分の若い時の妻に対してだれも不実な振る舞いをしてはならない。神は離婚を憎んだのである」

と,イスラエルの神エホバは言われた。「また,自分の衣を暴虐で覆った者をも」と,万軍のエホバは言われた。「それであなた方は,自分の霊に関して自らを守り,不実な振る舞いをしてはならない。
(マラキ書 2:13‐16)
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今日のエホバの証人の社会でも女性は低められています。女性は会衆の中では教師の仕事はできません。「欺かれやすい」からだそうです。創世記には、エバが「蛇」に欺かれたからだ、という理由です。また女性は夫を「かしら」として立てなければなりません。服従しなければならないとされています。アブラハムの妻サラなどが模範とされています。自己実現することよりも、家事に従事することをよしとします。もちろん、古代社会のことですから、つまり今日のように女性に、男性同様の人権を認めるというような考えのなかった時代のことですから、聖書にそう書かれているのは仕方がないにしても、その記述をそのまま現代に適用させようとするエホバの証人の姿勢には疑問が大いにあるわけです。

1946年、第二次世界大戦への反省から、国連で「世界人権宣言」が制定されましたが、そこには女性の地位を向上させようとする目的で、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」が含まれています。その第一条には、「女子に対する差別とは、性に基づく区別、排除、又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない)が男女の平等を基礎として、人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は無効にする効果又は目的を有するものをいう」となっていて、女性を生物学的に男性と同じ人間であるとみなそうという姿勢が打ち出されました。生理が違い、脳の仕組みに違いはありますが、その違いは「違い」であって「差」ではないのです。日本国憲法にも同様の考えが盛り込まれています。第24条第2項で、「法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と規定されています。が、自民党はこの両性の平等を定めた憲法第24条を見直そうとしています。女性を再び、家庭に縛りつけようとしているのです。明治憲法下の女性のようにまでは行かなくても。このことについてはまた書きます。


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女は全き柔順をもって静かに学びなさい。わたしは,女が教えたり,男の上に権威を振るったりすることを許しません。むしろ,静かにしていなさい。アダムが最初に形造られ,その後にエバが[形造られた]からです。また,アダムは欺かれませんでしたが,女は全く欺かれて違犯に至ったのです。しかし女は,健全な思いを持ちつつ信仰と愛と聖化のうちにとどまっているなら,子を産むことによって安全に守られるでしょう。
(テモテへの第一の手紙 2:11‐15)

同じように,妻たちよ,自分の夫に服しなさい。それは,み言葉に従順でない者がいるとしても,言葉によらず,妻の行状によって,つまり,深い敬意のこもったあなた方の貞潔な行状を実際に見て引き寄せられるためです。そして,あなた方の飾りは,髪を編んだり,金の装飾を身に着けたり,外衣を着たりする外面のものであってはなりません。むしろ,もの静かで温和な霊という朽ちない装いをした,心の中の秘められた人を[飾り]としなさい。それは神の目に大いに価値のあるものです。神に望みを置いた聖なる女たちも,先にはそのようにして身を飾り,自分の夫に服していたからです。サラがアブラハムを「主」と呼んでこれに従っていたとおりです。そしてあなた方は彼女の子供となったのです。もっともそれは,あなた方がいつも善を行ない,どんな怖ろしい事をも恐れずにいるならばのことです。
(ペテロの第一の手紙 3:1‐6)
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…女性は「劣った性」という見方が反映されています。身の飾り方はそれなりに同意する人はいるかもしれませんが、現代では、うまくゆく夫婦というのは主従関係であるより、対等の関係である、と言われます。主従関係では一見うまく行っているようでも、子どもにある影響を及ぼしているなど、隠れた問題が見え隠れするようになっています。

女性に対するこういう蔑視、人権剥奪を「ひとつの文化」などとしていてはいけないのではないでしょうか。むしろそういう社会には「文化」がないのです。今、有効な何かができるか、と訊かれればわたしは答えられません。しかし、一人一人の生きる権利を尊重するということは今すぐにでも始めることはできます。

不安に駆られ、何か答えを容易に見つけようとして外国人排斥に走ったり、統制を強めることで治安を維持しようなどというのは、結局、中東の野蛮な因習と基礎では同じなのですから。復讐のための人殺しでは問題を何も解決しません。侮辱は攻撃を身に招くだけです。これは心理学的にも立証されていることです。「生きながら火に焼かれて」ではスアドはジャックリーヌという「出現」のメンバーに救われるのですが、ジャックリーヌは、彼女の村へ行って、スアドの身柄を引き受ける交渉をする際にも、内心の怒りを抑え、相手の人々を非難・口撃は一切していません。相手の慣習を一たん受け入れ、相手の立場で交渉したのです。性急な口撃、反論は逆襲を身に招くだけであることを知っていたからです。ひとりひとりを敵視して排斥することで、結果を急ぐのではなく、じっくり話し合って両者が歩み寄るような解決法は決して不可能ではありません。誰でも自分という存在は大切にしたいと思うのです。だから、他の人も同じように大切にすべきものとして認めようとするのではないでしょうか。

…とはいっても、中東地域やパキスタン、インド、などでは今でも女の子たちが間引きされ、殺されています。そしてそれが「名誉の殺人」として容認されているのです。わたしはこれを読んだときから、「出現」に半年ごとに寄付はしています。それくらいしかできることはありません。いえ、それくらいでも意識して生きている、ということにもうちょっとだけ自信を持ってもいいかな、とは思うのですが…。とにかくあまりに悲惨で…。

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両側の暴力

2005年11月05日 | 一般



オベッド一家が暮らすファルージャ北東部のアスカリ地区が米軍によって包囲されたのは4月4日の夜中だった。

「米軍に包囲された状態で、24時間ずっと攻撃にさらされていました。わたしたちはこの家に閉じこもっていましたが、いつこの家が攻撃されるかと不安でなりませんでした。まず電気が切られました。米軍が発電機を破壊したからです。電気のない生活が何日も続きました。水は屋上のタンクに残っていたので、6日間もちました。こんなことが起こるとは思っていなかったので、市場で買いだめすることもできませんでした」。

「この間、すぐに攻撃は止むだろうか、どこへ避難すべきだろうか、と考えました。しかし娘たちのことを思うと、考え悩んでいる暇などないと思ったのです」。

オベッド未亡人はもし、米軍がこの家を攻撃してきて、子どもたちにもしものことがあったらと、不安に駆られ、一家そろって避難することを決意した。5人の息子と2人の娘に昼食を作って食べさせ、午後、家を出発する準備をした。家から街の中心地までの道路は米軍に封鎖されていた。

白旗をかかげた乗用車に家族ら8人が乗った。後部座席にはオベッド未亡人自身と娘フワイダ(15歳)、据え息子のラスール(8歳)とその姉が乗っていた。車は、家から10メートルほど離れた道路に出て反対側の路線へ向けてUターンをしようとした。その瞬間だった。50メートルほど離れた家の屋上にいた米軍の狙撃兵が一家の乗った車を後方から銃撃した。その時のようすをオベッドはこう語っている。

「銃撃によって車の後部ガラスは粉々に砕けました。前の席にいた子どものひとりは肩を、男性(運転手?)は頭部を撃たれ、銃弾の破片は今も頭部に残っています。フワイダとラスールは共に後頭部のほぼ同じ箇所を撃たれ、…(カット:あまりにもむごたらしい描写なので。)…」。

フワイダは即死だった。ラスールはまだ呼吸をしていた。急いで、病院となっていた診療所に直行したが、手当てのしようがなく、バグダッドの病院へ救急車で運ばれる途中、意気を引き取った。




囚人虐待の中でも深刻で、イラク人に限らずイスラム社会全体を激怒させ、反米感情を修復不能なまでに高めたのが、米兵による女性囚人のレイプ疑惑である。

刑務所体験を語った聖職者アブドゥル・カーデル・アルイサウィ師は、刑務所内で直接、目撃したわけではないとしながらも、「米軍のイラク人通訳やガードマンから、米兵が女性をレイプしている現場を目撃したと聞いた。私自身、アブグレイブ刑務所で、ある男の妻が下着一枚で男性囚人の前に連れ出された光景を目撃しているので、その話はありうることだと思います」と語った。

しかし、その被害者自身から直接証言を得ることは不可能に近い。たとえ本人に非はなくても、レイプされ妊娠した女性は「家族の尊厳を傷つけた」として父親や兄弟に殺害されかねないからである。聖職者たちでさえ、直接会って当人たちに事情を聞くことができないほどだ。

こういう状況の中で2004年2月、ある被害者からイスラム教の聖職者たちに救援を求めるメッセージが届けられていた。バグダッド市内ニューバグダッド地区の聖職者ウダイ・マハディ・アルオバイダ師によると、そのメッセージはアブグレイブ刑務所にいる女性からの「米兵に強姦され妊娠した」という訴えだったという。

「そのメッセージの中で『わたしはどうすればいいのですか。イスラムの教えに従えば、この問題をどう解決すべきか教えてください』と聖職者たちに訊いてきました。しかし、我々が答える前に、釈放された直後、その女性は家族によって殺されました」とアルオバイダ師は語った。「アラブ人やイスラム教徒の伝統では、女性にこのような事態の責任はなくても、その女性が殺されてしまう。事件がこの女性の将来にわたってつきまとう噂や、家族の不名誉などを断ち切るためです。しかしこれは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。わたしたち聖職者はあらゆる機会を利用して、被害者の女性を殺さないよう訴えているのですが」。

(「米軍はイラクで何をしたのか」/ 土井敏邦・著)

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ここではアメリカ軍が行ったことは横に置いておきます。なのにわざわざ引用したのは、わたしはアメリカのイラク侵攻に反対だったので、イラク戦争においてアメリカ軍のイラク侵攻に正当性があるかのように誤解されたくはなかったからです。わたしがここでみなさんに注目してほしかったのは、女性に対する甚だしい人権侵害のことです。「名誉の殺人」と言われていて、婚前の娘や、結婚している妻が結婚関係外で性交渉を持ったりした場合、家族の名誉を汚したという罪に問われ、地域社会で村八分にされる、だからその女性を家族で殺害する、そうすれば家族の名誉は守られ、地域社会で今までどおり暮らしてゆけるのです。この手の殺人は「名誉の殺人」と呼ばれているのです。この殺人は法律によってさえ守られているのです、中東では。


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ヨルダンでも他の国々(アラブ世界のいくつかの国々)と同様、全ての殺人罪は普通法により何年かの懲役が科されることになっている。しかし、そのかたわらに第97条と第98条として添えられているのが、「名誉の殺人」に関わる殺人の場合、寛大な刑罰がなされると明記されている条項なのだ。

(「生きながら火に焼かれて」/ スアド・<出現>・著)

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「出現(SURGIR)」は、「精神的にも身体的にも苦痛をかかえ、罪深い慣習に拘束されている世界中の女性たちおよびその子どもたちのためのスイスの福祉団体」で、「<出現>は女性たちを打ちのめしている不公平な因習と日々、必死に戦っている(前掲書)」団体です。「生きながら火で焼かれて」は、「名誉の殺人」を奇跡的に生き延びた女性の証言を聞き取って、著された本で、2003年にフランスで出版されると、すぐにベストセラーになりました。2005年現在、日本を含め22ヶ国語で翻訳されています。「スアド」は仮名です。未だに家族から手にかけられる危険があるからだそうです。「米軍はイラクで何をしたのか」で記録されているように、刑務所で保護されてはいたものの、「釈放されるとすぐに殺される」のです。何が何でも婚外交渉によって妊娠した女性は家族によって、親兄弟によって処刑されなければ、家族は地域から追放されてしまうのです。スアドはイラク女性ではありません。「シスヨルダン」というヨルダン近辺の国では、女性は人間とは見なされておらず、出産直後に女児であれば間引きされたり(他の女の子の見ている前で)、成長しても悪い噂が立つと殺されます。


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母は床に羊の皮を敷いて横になり、出産している最中だった。横には叔母のサリマがいた。母の叫び声に続いて赤ん坊の泣き声が聞こえてきたかと思うと、母はすぐさま上体を起こしてひざまずき、生まれたばかりの赤ん坊に羊の皮を押しつけた。赤ん坊が体をばたつかせるのが見えた。しかし、すぐに動きは止まった。次に何が起こったのかはわからない。赤ん坊は家からいなくなった。恐ろしさに自分が呆然としていたのを覚えている。

母が出産と同時に窒息死させたのは女の赤ん坊だった。一度ではない、二度目のときにもわたしはその現場にいた。長女のヌーラが母親にこう言っているのも聞いた。「もし女の子が生まれたら、わたしも同じことをするのね」(前掲書)

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スアドにはハナンという妹がいましたが、ある日より家から消えました。スアドは目撃していました。弟がハナンの首をしめて殺す現場を、です。こんなことを読めば絶句されるでしょう。いったいどういう因習なんだと。「生きながら火に焼かれて」の前書きには、このように要約されています。


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女の子には学校に通う権利はない。そもそも、権利と呼べるものなど何ひとつない。ひとりで歩く自由さえ与えられない。わたしが生まれた村では、女の子として生を享けること自体が不幸なことなのだ。男たちが勝手に定め、盲目的に守り続けてきた法に従い、朝から晩まで家事、畑仕事、家畜の世話を奴隷のように黙々とこなし、十代の後半にさしかかる頃には親の決めた相手と結婚し、夫となった者に服従しながら男の子を産まなければならない。女の子ばかり産んでいると夫から捨てられる。娘は2,3人いてもいいが、それ以上は必要ない。

結婚前に男の人とつきあうことなど論外だ。視線を合わせたり話しをするだけで「シャルムータ」、つまり娼婦のようにみなされ、「名誉」を汚された家族はそのままふしだらな娘をほうっておけば、村八分にされ、ついには村から追放されてしまう。そこで名誉を挽回するため、実の娘を処分することになる。両親および息子たちのあいだで家族会議が開かれ、いつ、どこで、どんな方法で、誰が死刑を実行するかが決まる。

わたしは17歳くらいの頃、ある男の人に恋をした。好きになった気持ちはどうすることもできなかった。家を出て結婚したい、その一心で家族に嘘をつき、隠れて彼と逢った。たった数回の秘密のデート。その結果、わたしは家族の手によって火あぶりにされることになったのだ。(前掲書)

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この度、「米軍はイラクで何をしたのか」というブックレットを読んでいたら、この本で告発されていた習慣が、さも当たり前のことのように、イラク人によって語られているのを目にして、思い出したのです。冒頭に引用したところによると、

「そのメッセージの中で『わたしはどうすればいいのですか。イスラムの教えに従えば、この問題をどう解決すべきか教えてください』と聖職者たちに訊いてきました。しかし、我々が答える前に、釈放された直後、その女性は家族によって殺されました」とアルオバイダ師は語った。「アラブ人やイスラム教徒の伝統では、女性にこのような事態の責任はなくても、その女性が殺されてしまう。事件がこの女性の将来にわたってつきまとう噂や、家族の不名誉などを断ち切るためです。しかしこれは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。わたしたち聖職者はあらゆる機会を利用して、被害者の女性を殺さないよう訴えているのですが」。

…とあります。「アラブやイスラム教徒の伝統によれば」、婚外交渉によって妊娠した女性は「殺される」。なぜって、「その女性の将来にわたって噂がつきまとい、家族の不名誉を断ち切る」ためだ。しかし「これは女性の過ちではなく、米軍の責任なのです。だから被害者の女性を殺さないように訴えている」と言います。ではレイプしたのが米軍の兵士じゃなかったら、黙認したのでしょうか。ヨルダンの法律の第97条と第98条によると、黙認されるのです。

侵攻した米軍も野蛮であれば、侵攻された地域も野蛮。これってほんとうにイスラムの教えなのでしょうか。もしそうなら、とてもイスラムに共感なんてできません。ところで、中東では昔から女性の恋愛は抑圧されてきた歴史があります。聖書にも婚外交渉に対して死刑が執行される規定があるのです。





つづく
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