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その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

憲法改正国民投票法案:どこがうさんくさいか

2006年06月17日 | 一般
日本国憲法には、憲法を改正するための手続きを定めている条項があります。「第9章 改正」と、章として設けられており、第96条がそれです。第96条1項にはこうあります。

「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」。

まず、改正を発議するのに、衆参両議院において総議員の3分の2以上の賛成を得なければなりません。その上で、特別の国民投票を行い、その過半数の賛成があってようやく憲法改正が成立するのです。つまり、憲法の改正は国民によって決定されるのです。

ところが、実際の国民による投票法は制定されていません。1990年代以前には、憲法を改正しようという強い要望が国民からも、政治家からも上がらなかったからです。ところが湾岸戦争のころよりこっちになって、憲法を改正しようという意見が政党はもちろん、財界から、マスコミからも出されはじめました。その理由には、ひとつに、アメリカから日本に対する軍事貢献の要求が強まったこと、もうひとつに、日本の企業の多国籍化にともなう政治的、軍事的バックアップの要請が強まってきたこと、さらに、経済不況への対処として、構造改革による新しい社会秩序を形成しようという要求が財界だけでなく国民からも上るようになり、その波へ積年の復古的ナショナリストたちの悲願がサーフィンするようになってきている、ということがあります。

9条の改正から始まって、24条の改正を通って、全面改正まで主張されています。さらに日本国憲法に則った教育基本法までも改正の要求は及んでいます。こういう流れの中で、2001年11月に、「日本国憲法改正国民投票法案・要綱」が作成されました。作成者は、超党派の国会議員によって構成されている、「憲法調査推進議員連盟」です。これには、とにかく早く憲法を改正してしまおうという意図がありありと表されているという点で問題があると批判されています。批判しているのは、日本弁護士連合会、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本民主法律家協会、自由法曹団のような法律に携わる人々や法学者をはじめ、良心的なマスコミ関係者や、市民団体などです。

今回は、日本弁護士連合会(以下、日弁連、と略す)による意見書から、批判されている諸々の問題のうち、国民投票運動、つまり賛成・反対の意見を公に公表する自由が巧みに制限されている、という点をご紹介します。引用文献は「Q&A 国民投票法案・憲法改悪への突破口/ 菅沼一玉・笠松健一・著」からです。菅沼・笠松両氏は共に、日弁連の成員です。

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憲法改正国民投票法案に関する意見書…2005年(平成17年)2月18日 日本弁護士連合会



2 表現の自由、国民投票運動の自由が最大限尊重されなければならない

国民投票にあたっては何よりも投票者にできる限りの情報提供がなされ広く深く国民的議論がなされることが必要である。そのためには、表現の自由が最大限尊重されるべきであり、基本的に国民投票運動は自由であるとされなければならない。例外的に、これらに対する規制は、放置することにより著しい不公正が惹起されることが明白である場合等、当該規制について十分な合理性と高い必要性が認められるような例外的な場合に限られるべきである。

ところが「法案骨子」は、かかる視点が不十分であり、国民投票運動について、広範な禁止制限規定を定め、不明確な構成要件により刑罰を科すものとなっている。例えば、公務員の運動の制限、教育者の運動の制限、外国人の運動の全面的禁止、国民投票の結果を予想する投票の経過または結果の公表の禁止、マスコミの規制、マスコミ利用者の規制、放送事業者の規制、不明確な要件で処罰を可能にする国民投票の自由妨害罪及び、演説・放送・新聞紙・雑誌・ビラ・ポスターその他方法を問わない煽動の禁止等である。

もし、これらの規制が、公職選挙法における選挙運動禁止規定を参考にしているものだとすれば、それは、候補者のうちから当選人を選ぶ公職の選挙と国の最高法規たる憲法改正の是非を問う国民投票とは概念的に全く異なるものであることを考慮しない論と言わざるを得ない。加えて、公職選挙法における選挙運動禁止規定よりも禁止制限する範囲が拡大されていることは、二重の意味で問題がある。

「法案骨子」の禁止規定は国民投票運動に甚だしい萎縮効果をもたらし表現の自由を著しく制限するものというべきである。そのような禁止規定は到底容認することはできない。

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「国民投票にあたっては何よりも投票者にできる限りの情報提供がなされ広く深く国民的議論がなされることが必要である」、というのはつまり、こういうことです。

憲法というのは、国民の基本的人権を保障するために国家権力を制限する、という目的を持って制定されます。このような精神を「近代立憲主義」といいます。憲法は、権力機関がその権力を濫用して主権者である国民の権利を侵害することがないように監視するためのルールなのです。ですから、憲法は国民が自らの基本的人権を守るために制定するものであり、したがって改正する権利も国民にあるものです。とくに日本国憲法は国民主権主義を謳う憲法ですから、なおのこと改正は国民の意思が決定的に必要なのです。

それを簡単に権力機関の恣意によって変えられないように、「慎重性が要請」され、憲法改正手続きは通常の法律の改正よりも難しい手続きが設けられています。つまり、改正発議に総議員の3分の2以上の賛成を要求し、さらにその上で、国民の過半数の承認を要求するのです。通常の法律ならば、国会において議員の過半数の賛成があれば成立します。

憲法は国民を権力機関の権力乱用から守るためのものですから、改正しようとするならば、まず国民の意思による承認が必要となるのは当然なのです。国民投票法はその目的で設けられるものなのです。これは「民主制の要請」と呼ばれるそうです。このことはまた、憲法改正が発議されたなら、改正について国民の間で十分な議論がなされねばならないのは容易に理解できることです。そのために必要なのは、国民投票運動です。

「国民投票運動」とは、国民投票法案・骨子案(2001年11月に公表された、憲法調査推進議員連盟による骨子案。以下、議連案、と略す)によると、「国民投票に関し憲法改正に対し賛成又は反対の投票をさせる目的を持ってする運動」と定義されています。つまり、国民に対して、ある改正案に賛成または反対するように働きかける表現活動すべてをさします。したがって、日弁連意見書にあるように、「そのためには、表現の自由が最大限尊重されるべきであり、基本的に国民投票運動は自由であるとされなければならない」のです。当然のことですよね。「Q&A 国民投票法案・憲法改悪への突破口」にはこのように解説されています。

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憲法は第21条で、表現の自由を保障していますが、この表現の自由は憲法が保障する基本的人権の中でも、精神的自由権の中核として、最大限に尊重しなければならない、とされています。意見を言ったり、文書や絵画で表現をすることは、人間の基本的な欲求です。また、自由に意見を言えること、特に政府や多数の人が推し進めようとする政策に対して反対意見を言うことは、民主主義の基本をなすものとして、もっとも尊重されなければならないものです。

また、表現の自由は、「送り手」としての表現する側の自由のみならず、「受け手」としての表現を受ける側の「知る権利」としても重要です。国民が主権者としての権利を行使するためには、国民に十分な情報が提供されなければならないからです。

戦前のわが国では、政府を批判する表現活動は、厳しく取り締まられました。その結果、戦争を進めようとする政府の政策に表向き反対する人はいなくなり、悲惨な戦争に突き進んでいったのです。日本国憲法は、この歴史に対する反省から、少数者の批判の自由を最大限尊重しようと考えました。そこで、表現の自由は、基本的人権の中でも最も尊重されることになったのです。

国民投票運動は、国会からの憲法改正の提案に際して、憲法改正に賛成するのか反対するのか、自らの意見を外部に表明し、自らの意見に賛同する人を増やしていこうとする運動です。憲法改正は国民主権が端的に現れる場面です。国民が国の主人公であり、国民が憲法を定め、国民が憲法を改正するのです。そのための表現活動である国民投票運動は最も重要な表現活動として、すべての表現活動の中でも最大限の尊重を受けなければなりません。また、国民が、憲法改正権を正しく行使するためには、十分な情報が国民に提供されなければなりません。したがって、国民投票運動に対する制限は、本当に必要最小限度のものに限定されなければなりません。

(「Q&A 国民投票法案・憲法改悪への突破口」/ 菅沼一玉・笠松健一・著)

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「ところが『法案骨子』は、かかる視点が不十分であり、国民投票運動について、広範な禁止制限規定を定め、不明確な構成要件により刑罰を科すものとなっている(日弁連意見書)」。

日弁連意見書はこのように抗議しています。まず、「禁止制限規定が広範」である、という根拠はどこにあるのかというと、国民投票法案議院連案では、国民投票運動に対して、憲法改正国民投票法独自の規制を設けようとしていません。そこには公職選挙法の選挙運動制限がほぼそのまま引き写されており、さらには部分的にはさらに規制を強めたと見える制限を、罰則付きで課しているのです。その国民投票運動への制限は、「公務員の運動の制限、教育者の運動の制限、外国人の運動の全面的禁止、国民投票の結果を予想する投票の経過または結果の公表の禁止、マスコミの規制、マスコミ利用者の規制、放送事業者の規制、不明確な要件で処罰を可能にする国民投票の自由妨害罪及び、演説・放送・新聞紙・雑誌・ビラ・ポスターその他方法を問わない煽動の禁止等」に及びます。日弁連意見書はこのように抗議しています。

「もし、これらの規制が、公職選挙法における選挙運動禁止規定を参考にしているものだとすれば、それは、候補者のうちから当選人を選ぶ公職の選挙と国の最高法規たる憲法改正の是非を問う国民投票とは概念的に全く異なるものであることを考慮しない論と言わざるを得ない(日弁連意見書)」。

憲法改正国民投票と公職選挙とは性質が違う、それなのに公職選挙法の禁止をそのまま引用するのは、憲法改正を手っ取り早く片付けてしまおうとする意図の表れではないか、ということです。どういうことか、一例を挙げてみましょう。

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公職選挙法では、教育者が生徒たちに対する教育上の地位(影響力を持つ地位)を利用して選挙運動をすると、選挙運動の公正を害する怖れがあるとして、教育者の選挙運動を規制しています。児童、生徒、学生を利用して選挙運動を行うこと、それらのものを通じて父兄等に働きかける場合のみならず、父兄会の席上で学校関係者以外の一般の人に対して選挙運動をすることも、その状況によっては制限されることもあるとされています。

では、憲法改正については、どのような場合が、教育者が「教育上の地位」を利用して国民投票運動をしたということになるのでしょうか。この判断は困難です。たとえば、大学の憲法学の教授が、講義で憲法改正問題にふれ、憲法改正に賛成もしくは反対の意見を述べることはどうでしょうか。また、大学の外でのシンポジウムなどで、憲法改正に反対もしくは賛成の意見を述べることはどうでしょうか。憲法学の教授としては、憲法改正についての意見を述べることは本来の職務であり、学生に対して、憲法改正賛成に1票入れてくれとか反対に1票入れてくれとか言わない限り「教育上の地位を利用して」とはいえないと思います。

しかし、大学の教授の意見は学生やシンポジウム参加者に対する影響力が大きいとして、たんに憲法改正についての意見を講義で述べただけでも「教育上の地位を利用して」と曲解されかねない怖ろしさをこの規定は持っているのではないでしょうか。このような解釈がなされたのでは、学問の自由、教授の自由は著しく歪められることになります。

大学ほどではないにしても、小中学校や高等学校でも、同じような危険性があります。教師が、児童や生徒に憲法改正について話をするときも気をつけなくてはいけないことになってしまいます。もちろん、教師が話をした具体的状況によって判断されることになるとは思いますが、本来、学校では、教師や生徒が自由に憲法について話し合うことが望ましいのです。

公職選挙法で規制している、教育者たる地位を利用して特定の候補者や特定の政党に投票させようとする行為と、憲法改正についての賛成や反対の意見を述べる国民投票運動とは本質的に違うのです。このように考えてゆくと、教育者に対する国民投票運動の規制はそもそも不必要だと思いますが、仮に規制する場合でも、自由な議論の場を失わせたり、意見を述べることまで規制するのではなく、憲法改正に対し、賛成又は反対の投票をすることを薦める行為に限定することを明らかにすべきです。

(上掲書)

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「大学の教授の意見は学生やシンポジウム参加者に対する影響力が大きいとして、たんに憲法改正についての意見を講義で述べただけでも「教育上の地位を利用して」と曲解されかねない怖ろしさをこの規定は持っているのではないでしょうか」…

こんなことが起きることはないだろう、心配しすぎだ、と思われるでしょうか。しかし、以前にご紹介したように、イラク派兵反対のビラを郵便受けに投函したことに対して、「住居侵入罪」が適用されて、市民団体のメンバー3人が拘禁された実例があるのです。つい2年ほど前のできごとです。類似の出来事はほかにもたくさん行われています。心配しすぎる根拠は十分にあるのです。それに、「憲法改正に関して行われた表現活動のうち、どのような活動が国民投票運動として規制されるのか、明確に記されていない」という問題もあります。

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また、憲法改正に関して行われた表現活動のうち、どのような活動が国民投票運動として規制されるのかが明確にされていません。単に、憲法改正に賛成、反対と意見を表明することも、規制の対象となる可能性があります。上に述べたように、教育者が「その教育上の地位を利用して」行った国民投票運動に対する規制の場合には、「地位を利用し」たか否かの判断は、その表現活動が行われた具体的状況によって判断されるとされていますから、非常に難しい判断となります。

そうすると、表現活動を行う者から見れば、どのような表現活動まで許されているのかよく分からないため、危ない活動はやめておこうということになりがちです。そのため、表現活動は自然と萎縮してしまうことになります。逆に規制する側から見れば、規制の限界が曖昧なので、規制権限を濫用する危険性が高くなります。そして、規制権限が濫用されて、実は、本来規制されるべきでない国民投票運動が規制されることになると、それがますます表現活動を萎縮させることになり、この悪循環から、憲法改正という国政上最も重要な場面で、国民が何も意見を言えないことにもなりかねません。

表現の自由、特に国民投票運動の国政上の重要性という観点から見ると、憲法調査推進議員連盟による日本国憲法改正国民投票法案には重大な問題点が含まれているのです。

(上掲書)

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規制条項が原則だけ記されていて、明確でないことからくる、言論・行為の萎縮ということは、エホバの証人の社会では頻繁に起こっています。命は神聖なものであるので、百害あるタバコを吸うことは罪とされています。では販売業でタバコを売ることは罪でしょうか。隣人愛があるならば健康に害あるタバコを売ることはできない、だからタバコを専門に売ることは罪かもしれないが、例えばコンビニなどでたくさんある商品の中から、タバコも売ることはどうだろうかとか、ポルノを見ることはキリスト教の教えを蔑ろにしていることだ、ではふつうの映画のなかで一部にヌードで絡み合うシーンがあれば、それを見ているのはキリスト教の教えを蔑ろにすることだろうか、なぜならば観る人はポルノを楽しむことを目的としているのではなく、それとは関係のない物語を鑑賞していると言えるのではないか、とかでかなり気を使います。会衆によっては非難の的となったり、公に叱責されて針のむしろに座らされたりします。

また運動会などでエホバの証人のA君は戦闘的な棒倒しに参加しているのに、同じB君はエホバの証人は戦いを学ばないという聖書の教えを尊重して、棒倒しには参加しない、どっちが正しいのかといった問題など。協会としては、「聖書には原則だけが書かれているのであって、それをどう適用するかは本人の問題なので、それを非難しあってはならない」という公式見解を打ち出していますが、現実には噂の種にされたりで、非難しあったりしています。こういう雰囲気はまた、密告の隠れた習慣をも生んでいます。その結果、学校などではエホバの証人の子供同士には不信感と監視の空気が流れる場合がままあります。そうして自発的に、活発に振る舞えなくなることもあるのです。

明確に規定されていないと、たしかに権力は濫用されがちである、ということはエホバの証人だった人にはよーく理解できるのです。国民投票法案でそのようにされているのには、実は憲法改正について、国民に十分な義論をさせないようにしようという意図さえ感じられるのです。それは、国会による憲法改正の発議から国民投票までは60日以後90日以内に行われる、とされていることからも伺えます。憲法改正という重大な問題をたった2~3ヶ月の期間しか考慮できないのです。国民は今、不景気やリストラや、年金のことなど、生活に追われていて、憲法改正というような大きな問題についてじっくり考えている余裕を持っていない場合が多いのです。日々の生活に追われているうちに、そんな重要な問題について判断せよといわれれば、小泉さんのようなキャッチフレーズの上手な人がいれば、よく考えもせずにイメージだけで判断してしまわないでしょうか、国民は。わたしはこんにちの生活状況からすると、少なくとも数年間の猶予を設けるべきだと思います。このようなところからも、憲法改正を手っ取り早く行ってしまおうという意図が見え隠れしているようにわたしには思えるのです…。

最後に、憲法調査推進議員連盟による日本国憲法改正国民投票法案の国民投票運動への規制を挙げている部分だけを引用しておきます。もっともっと引用したい問題があるのですが、1万字以内という次数制限があるので、ここでいったん置きます。

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《憲法調査議員連盟憲法改正国民投票法案》

第13章 国民投票運動に関する規制

(特定公務員等の国民投票運動の禁止)
第63条 (字数の都合で略)
第64条
次に掲げる者は、その地位を利用して国民投票運動をすることができない。
1 国若しくは地方公共団体の公務員又は特定独立行政法人(独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第2条第2項に規定する特定独立行政法人をいう。以下同じ。)の役員若しくは職員
2 公団等の役職員等(公職選挙法第136条の2第1項第2号に鋭定する公団等の役職をいう。)

(教育者の地位利用による国民投票運動の禁止)
第65条  
教育者(学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する学校の長及び教員をいう。)は、学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位を利用して国民投票運動をすることができない。

(外国人の国民投票運動の禁止等)
第66条
外国人は、国民投票運動をすることができない。
2 外国人、外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体その他の組織(以下この条において「外国人等」という。)は、国民投票運動に関し、寄附(金銭、物品その他の財政上の利益の供与又は交付及びその供与又は交付の約束で、党費又は会費その他債務の履行としてされるもの以外のものをいう。以下同じ。)をしてはならない。
3 何人も、国民投票運動の関し、外国人等に対し、寄附を要求し、又はその周旋若しくは勧誘をしてはならない。
4 何人も、国民投票運動の関し、外国人等から寄附を受けてはならない。

(国民投票に関する罪を犯した者等の国民投票運動の禁止)
第67条
この法律に規定する罪により刑に処せられ国民投票の投票権を有しない者及び公職選挙法第252条の規定により選挙権及び被選挙権を有しない者は、国民投票運動をすることができない。

(予想投票の公表の禁止)
第68条
何人も、国民投票に関し、その結果を予想する投票の経過又は結果を公表してはならない。

(新聞又は雑誌の虚偽報道等の禁止)
第69条
新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ。)又は雑誌は、国民投票に関する報道及び評論において、虚偽の事項を記載し、又は事実をゆがめて記載する等表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。

(新聞紙又は雑誌の不法利用等の制限)
第70条
何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者に対し、財産上の利益を供与し、又はその供与の申込み若しくは約束をして、当該新聞紙または雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載させることができない。
2 新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者は、前項の供与を受け、若しくは要求し、又は同項の申込みを承諾して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載することができない。
3 何人も、国民投票に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌に対する編集その他経営上の特殊の地位を利用して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない。

(放送事業者の虚偽報道等の禁止)
第71条
日本放送協会又は一般放送事業者は、国民投票に関する報道及び評論において虚偽の事項を放送し、又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して国民投票の公正を害してはならない。
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