『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

夕暮れ時

2005年10月16日 02時18分23秒 | 歌と私と私の祭り
アルツハイマーのせいかパーキンソンが原因しているのか
かぁちゃんは一年ほど前から左手が全く使えない。
握りこぶしのまんまで、半年ほど前からは掌に爪が食い込むほど握ってしまう。
そこで薄手の綿の手袋の指先を切ったのをはめさせて保護しているのだが
指を開くと痛いらしく、はめようとすると使える右手で必死に抵抗する。
凄い力で私の手を掴んだり、爪をたてたり・・・。
おかげで近頃私の手は引っかき傷だらけだ。
お風呂に入ると沁みるんだよな~これが・・・余計な記憶も蘇る。

かぁちゃんは良い意味でも悪い意味でも「少女」のままだ。
純粋だけど、いつも誰かに頼らないと生きていけないタイプの人だった。
だから、信じきってたオヤジさんが馬鹿な借金作って最初に家をなくした頃から
私達の親子関係は逆転してしまった。
「私はあんたの親じゃない。」と何度叫んだか覚えていない。
まぁ、実に冷たい娘だったわけですよ。

かぁちゃんがアルツハイマーと言われた当初
「あんたは結局、どこまでも私を自由にしてくれないんだね。」
というのが正直な気持ちだった。

粗相の後始末をしながら、かぁちゃんとの良い思い出を探そうとした。
楽しい事を思い出せば、なんとかやっていけるかな・・・とまた甘い事を。

しかし、何も思い浮かばない。おかしなくらい思い浮かばない。
焦れば焦る程、何かにつけて叩かれたり、灸をすえられたりした事ばかりが蘇る。
かぁちゃんに愛されなかったわけじゃない。
むしろ彼女なりに必死に愛してくれた事はわかってる。
けれど感情を抑えきれないタイプの人だったので
怒り始めると歯止めがきかなかったのだろう。
しかし時折、手袋をはめる私の顔をしかめっ面でじっと見つめて
「あんた、私がいじめたから、いじめ返すの?」
と言う所を見ると、案外自覚していたのかもしれない(苦笑)

私たちはいわゆる「仲良し親子」じゃない。
もしも、かぁちゃんが愛しい存在なら、多分もっと苦しんでいるだろうと思う。
そういう意味では、どこか冷静でいられる事は感謝するべきなんだろうなぁ。
反面教師。こんな生き方だけは絶対にするもんかといつも思ってきた。


ところが、記憶をたどって行くと確かにあったのだ、楽しかった事が。
好きなレコードをかけて嬉しそうに笑うかぁちゃん。
野に咲く花を見てこぼれんばかりの笑顔を溢れさすかぁちゃん。
それがあざみの花だったりすると、歓喜の声をあげてたっけ。

そして見つけた古ぼけたB5の大学ノート。
「あざみの歌」「さくら貝の歌」「白い花の咲く頃」「マリモの唄」・・・。
綺麗な文字で、かぁちゃんが自分で綴った歌詞カード。
よく歌ったよね夕暮れ時に。私はまだ中学生だったっけ。
あの頃から私が歌うと嬉しそうだったよね。

夜が嫌いだと、夕暮れ時になると寂しがって歌うのに付き合わされた。
だから私は、何時しか夜が一番大好きで、
その幕開けの夕暮れ時にはうきうきと心が弾む。









コメント
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