『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

毎年思う事がある

2010年08月16日 04時50分07秒 | おもひでばなし
同居していたひぃばあちゃんが亡くなったのは、高校2年の秋だった。
仏壇の引き出しに大切にしまってあったのは、木の名札のようなものと一枚の葉書。
ひぃばぁちゃんの息子が戦地から両親に宛てた最後の葉書。
写真でしか知らないその人の文字はとても綺麗だったのを覚えている。
海軍の兵隊さんだったので、どこかの海に今も眠っておられる。

戦死の知らせと共に遺骨の代わりに届けられたのが木の名札だったとか
その辺りの事は一度だけ親戚のおばさんに聞いた事があるけれど、
写真で見る限りまだ若いその人の事を 他には誰も教えてはくれなかった。
几帳面な文字が並んだその葉書は四分の一は墨で塗られていた。
正確に表現すると、墨は薄く剥がれて所々の文字が読み取れるようになっていた。


検閲されて消された文章。
消された文字を読み取ろうと、かみそりで必死で墨を削った母。


ひぃばぁちゃんは明治の生まれ。かなり厳しいお姑さんだったようで
かぁちゃんは事あるごとに泣いては私に愚痴るので
私は小さい頃から、ひぃばぁちゃんには否定的なイメージしかなかったのだけれど、
88歳で亡くなる数年前には、当時で言う脳血栓で倒れ、記憶障害も徐々にひどくなり
私の事を自分の孫だと思っていたらしく、オヤジさんの名前で呼ばれる事もよくあった。
あるとき、珍しく早く家に帰った父が、ひぃばぁちゃんの部屋の前を通った時
彼女は大きな声で我が子の名前を呼んだ。
泣きながら、何度も何度も「帰ったんか?生きとったんか?」

ひぃばぁちゃんもまた、戦争に子供の命を持っていかれた沢山の母親の一人だった。
何十年も息子の帰りを待ち続けていた母親の一人だった。


8月15日になるといつも思い出す。

私もまた戦争を知らない世代である。
けれど、我が子がどこでどうなって帰れなくなったかも分からず
手紙の分を他人に読まれて墨で消されるような
一つ一つの命が尊ばれない世の中には決してなってはいけない、してはいけない。

今もどこかの国々であるいは民族で、それぞれの正義を振りかざし、
その美名の元に捨てられる命が後を絶たないのは何故なんだ。



・・・と、終戦の日にいつも思う。
・・・終戦の日にしか思い出す事がない・・・思う事がない。

・・・それほど、今の私は幸せなのだ。
・・・自分の生き方を選んだり悩んだり出来るほど幸せな時代に生きているのだ。














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春まで・・・

2008年03月08日 15時22分09秒 | おもひでばなし
もう、30年近く前のお話。
長くファンをやってる友人に連れられて、ある方に会いに出かけた事がある。
私にとっては始めての上京の時だった。

原宿の人込みに目をるくしたおのぼりさん。
山手線に乗るだけで、やたら緊張したのを覚えている。

駅からその方に電話すると、せっかく関西から来たんだから家にいらっしゃい。
と、なんとも驚きのお言葉。
友人に連れられるままにお邪魔した初めての御宅。

お美しい奥様が長年の友人を迎えるように出迎えてくださり、
ご本人は居間のソファに足を組んでゆったり座ってらしたっけ。

自分も昼食がまだだからと
近所のおすし屋さんから出前まで取ってくださって恐縮しっぱなし。

ファンが喜びそうな話をするのではなく、
こちらの学校や仕事の話を聞きだして会話を広げられる
まさに「話のプロ」
柔らかな言葉の流れにどんどん引き込まれ、
心地よい一時を過ごさせていただいた。

「太一郎お兄さん」って友人達が呼んでいたのをそのままに
今でも私はTVからお声が流れると「あ!太一郎お兄さん!!」と呼んでいる。

今朝、バイト先のⅠからメールが入った
「太一郎さん、亡くなりはった・・・。」
「うそ・・・。」

もちろん、その時一度お会いしたきり。
けれど青春時代のアルバムの一頁に存在する方が、また一人逝ってしまわれた。


広川太一郎氏、68歳でいらっしゃったそうだ。
天国でも♪スノーク家のしつけ♪を歌ってくださってるかな・・・。

心からご冥福をお祈りいたします。



===================================


本格的に春になれば、少し落ち着く予定ですが、
かなり心身共に切羽詰ってきているので、更新が滞りがちになると思います。
ここは私にとって居心地が良いので、ついつい長居をしてしまうのですが、
なんともどうしようも時間がない~っ

こんな時を狙ったように、かぁちゃんは調子を崩して熱の後、
○ん○の大洪水攻め・・・いやぁ、久々に着るものとシーツが足りないと思った
でも、昨日からはお腹も落ち着いて、元気そうで一安心。
今週は後半デイはずっと休んじゃったので、買い物の時間を取るのに四苦八苦。

書きたい事は山ほどあるのですが(もうねぇ、聞いて欲しい事だらけ~っ
ちょいと自分で自分を戒めて、我慢、我慢!
落ち着き次第、一挙大爆発したいと思いますので
また、よろしくお願いしま~す

あの~・・・前も書いた事があるのですが・・・


ねぇねぇ・・・忘れちゃいやぁよぉ!


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クリスマスイブですね

2007年12月24日 01時47分37秒 | おもひでばなし
《その時わたしは・・・》

ユダヤの田舎のベツレヘム。
マリアが大きな腹をかかえながらも、遠い道のりの旅を強いられ、
泊まるあてもなく、ようやく体を休める事が出来たのが馬小屋。
夫ヨセフと牛や馬達に見守られながら、幼子イエスを産んだのがクリスマス

初子が生まれる時を待つ、まだ10代のマリアさんはどんなに不安だっただろう。
・・・ってイヴの夜にはいつも思う・・・






で、イヴとは全く関係ない“おもひでばなし”をば・・・

一年で最も暑い季節に訪れるクリスマスを二度目に迎えたぽれぽれ家。
補習校の先生達に誘われて、数家族で一緒に出かけた野生動物保護地区。

私達はナイロビで息抜きを計画してたので(ナイロビは大都会なんだぞ~っ!!)
まずケニアに入って、素敵なホテルで一泊し、
ケニア側から逆再入国という形を取って、キリマンジャロが望めるアリューシャと言う街で
これまた素敵なホテルで一泊して、翌日、みんなと合流。
いくつかのナショナルパークを回りながら、いろんな動物達に出会った。

・・・のだけれど、実は途中から記憶が途切れて・・・ほとんどないっ!!

セレンゲティに入ってからひどく疲れたって感はあった。
慣れない車での長旅。しかも舞い上がる砂埃とでこぼこ道。それでも

          
         わ~い!サバンナ、サバンナ!!    う・・・ひょ~~っ!!

なんて、はしゃいでたのだけれど、セレンゲティのロッジでどうも何かが変。
お湯の出る時間なのに、シャワーが温かくないなぁ・・・と思いつつ
ころりとベッドに横になったら、それっきり天井が回って起きられなくなった。
うっそ~・・・念の為に熱を測ったら、体温計ぶっちぎり~
遅れて部屋に入って来たⅠの様子も何かおかしい・・・。

あははははは・・・もうそれからは高熱!激頭痛!嘔吐!ぴ~~っ!!
翌日皆が集まると半数程の人達が同じ症状
でも、どうやら一番頑張っちゃって発熱したのが私。(何でも頑張るのが好き

何故か無事だった背の君とⅡは、その日はかなり大変だったようだ。
私自身と言えば、ゆらりゆらりと意識が彷徨い、後で聞いた話によると
Ⅰはいきなりベッドに座って、両手をすりすりし出すし(←意味不明
私は、窓の外を見つめて「夕焼けが綺麗だねぇ」って笑ってたらしい。
「夕焼けなんて見えないのに、おかあさんが見えるって言う!」とⅡが泣いてたそうだ。

・・・ふむ・・・高熱が出ると幻が見えるのはどうやら本当らしい。

そこからの記憶が・・・翌日、ライオンさんがヌーさんを食べてたけど、後は途切れ途切れで、
何でナイロビへ寄るはずなのに、ダルエス行きの飛行機に乗ってるんだ?と思いつつ、
住み慣れた街の明かり(道端の露店にゆらめく蝋燭の灯り)にほっとした事は覚えてる。

ここはアフリカ。最も懸念されるのが、そうですマラリヤで~っす。
殊に脳性マラリヤの場合、発症してから3日以内に治療しないと命を持っていかれるので、
旅を中断して帰った方が良いという判断をしたらしい。

急遽、病院へ行き、しっかり“マラリヤ”の診断結果をもらって、
半日は3時間置きにお尻に注射されて、薬をもらって帰ったのだけれど、
本当の苦しみはそれからだった・・・。
もう、信じられないくらいの吐き気が止まらない・・・
トイレに座り込んで、便座につかまって体を支えて一晩過ごした。
(トイレの話ばかりでごめんなさ~い)

約一週間で7キロ以上痩せたから、素晴らしいダイエット~~ッ!!
痩せるなら“マラリヤ”!!・・・って普段どんだけ食べてるんや!!

でもねぇ、熱が出て現地の医者に行くと大抵マラリヤって言われちゃうみたいで、
本当にマラリヤなら、集団で発症したりしないし・・・。
特に血液型がO型の人って誤診され易いそうな・・・(ちなみにⅠも私もO型)

マラリヤじゃなくって、マラリヤの薬飲んだんかなぁ?
その副作用の吐き気かいなぁ?・・・治ったからいいけどね

かくして、Ⅰと私は真偽の程は別にして、珍しくも「マラリヤ仲間」となったのである。
後にも先にもこの時だけはちょっぴり日本に帰りたかった。いや、日本の病院に憧れた。

そうそう、勿論、水分補給には気をつけていたのだけれど固形物が入らない中、
やっと口に出来たのが“いなにわうどん”(蓄えてた乾麺がこれだった)
なので、稲庭うどんは私の命の恩人・・・ん?恩麺?
いつか、本場のを食べに行って「生きてる事」を感謝するんだ

うん・・・流れ流れて流されて、ただ日々を消化してるような毎日に焦燥感を抱きながら、
けれどこうして「生きてる」って事をやっぱり感謝してる。

なんってたって、明日はクリスマスだもの。
















           
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アドベント4週目。クリスマスまであと2日

2007年12月23日 03時23分54秒 | おもひでばなし
《音の洪水》

            

持って帰ったマコンデ彫刻はまだあるのだけれど、一番お気に入りなのがこれ。
とても静かな、綺麗な顔をしてる。
これを作った彫刻家は、その腕を買われてヨーロッパのお国の方の専属になられたとか。
お給料、たくさんもらえてるかな?なんて事が気になる。
マサイの方々は男性が髪を伸ばして美しく結い、女性は髪を剃っている。
女性達の作るビーズ細工はカラフルで、私のキーホルダーもそれだけれど、
10年近く使っているのに、まだ健在!! 頑張ってます!!






さて、まだまだ続く“おもひでばなし”

アフリカと言えば!太鼓のリズムに、民俗音楽。
甲高い巻き舌の様に聴こえる声は、ティゲレゲレと言って、
舌を左右に素早く動かし、口角に当てながら発声する歌い方。
そんな音楽が街中に溢れている・・・んじゃぁありませんで

イスラム教徒の多いかの国では、市内にモスクがいくつもあり、
時間が来ると、コーランがマイクを通して大音響で聞こえて来る(朝は5時頃から)
そして、ラジオを持っている人は持ってない人にも聞かせてあげよう!!
という、助け合いの精神から、これまた大音響でラジオの音が溢れ、
インド系の人達にお金持ちが多く、朝から晩までTVではインド映画が流れるので、
ラジオと同様、テレビから流れるインド映画音楽が鳴り響き、その上、
帰国する半年前くらいに、うちのフラットにアフリカの他の国から楽団一座が越してきて、
日中は庭でマイク付きで練習を始める・・・レゲエが生で大音響で響く・・・
夜は夜で蝙蝠と得体の知れない鳥が騒ぎ、もう四六時中“音の洪水”の中に居るのと同じ。

と言う事は・・・私がどんな大きい声を出そうが近所迷惑ではない訳で・・・。
そもそも、何言ってるんだかわかんない訳なんだし~~・・・。
毎日、毎日、へたくそなギターかき鳴らして大声で歌ったってかまやしないのだ
と言う事で、持って行った歌本頼りに歌っておりましたよ、みゆきさん♪
んで、もちろんフォーク時代の歌の数々

洪水に巻き込まれるだけじゃ面白くない!!自分も渦を起こしてやる~っ!!
・・・な、毎日でありました。


さて、さて・・・明日はイヴ。
クリスマスカウントダウンの締めくくりに、あの話をば・・・。

“サファリ”ってあまりにも有名なスワヒリ語。発音は第二音を強調
サファリと言うのは別に動物を観るツアーではなく“旅”を意味する言葉で、
出張に行く事も、ガールさんはサファリ(発音としてはサフィリに近かった)と言ってた。

とは言え、せっかくアフリカに居るのだからと、
お仲間に同行してぽれぽれ家も行って参りました、動物保護地区への“サファリ”


             
         幻想的なンゴロンゴロや       360度大平原のセレンゲティ


  
こんな車を連ねて           人類発生の地にたどり着き       生命の理を目にしながら


  
ゾウだらけにヌーだらけ        キリンだらけにシマウマだらけ     カバのデートや
                                          食事になった者と食した者・・・

などなどなど・・・たくさん観ながら、色々考えさせられ、
そしてお正月のセレンゲティで、事件は起きたのだった・・・

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アドベント3週目に入りましたよ

2007年12月16日 23時56分07秒 | おもひでばなし
《そうさ、これが生活さ!》

古いフラットの3階に有る我が家に入る時
共同玄関(というと聞こえは良いけど、実態は金網の柵)の鍵をアスカリさんが開けてくれる。
アスカリさんと言うのは門番もしくはガードマン・・・多分想像されるのとは随分違うと思うけど

それから、3階へ続く階段を昇ると、そこに鉄格子がひとつ。
その鉄格子を開けると、お隣さんと我が家の廊下で間にもうひとつ鉄格子。
んで、やっと我が家の玄関なんだけど、扉の外側にもうひとつ鉄格子・・・
犯罪から身を守ると言うよりも・・・私らが囚人かいな?と十分錯覚できる素晴らしさ

玄関を開けると・・・ この風景が目に飛び込んでまいります。
   
       隣の敷地のお金持ちのインド人の御宅の“庭木”であります。
夕方になると空が真っ赤に染まって、この木々がシルエットで浮かび上がる様はもう絶景


ベランダ側を開けると こんな感じで・・・。

       これ、ほとんど見えないけれど、空一面にゴマ粒大の点々があります。
       な~んだ  それはコウモリさんの群れ~っ!!

どこかの木が住処になっていて、夕暮れ時には空一面にチビバッドマン達が飛び交い
やがて暗くなると、ショッカー戦闘員達よりもっと甲高い声で「いぃぃぃっいぃぃぃっ」と語り合い
時折バッサバッサと羽音と共に鳥さんが「んぎゃぁぁぁ」と鳴くので夜は何かと騒がしい。
なので、街灯なんかなくって真っ暗闇でも、ぜんぜん怖くな~い

それにね。おっ月様はでっかいし、ちっとも寂しそうじゃなくって堂々と輝いてるの

お日様の出ている間は暑さとの戦いで、一日が過ぎてゆくけれど、
ぽれぽれ家の本当の戦いは、この夜から始まるのであった。

敵は・・・最大の敵は、ⅠとⅡのインターの宿題
彼らはアルファベットと自分の名前をかろうじて言える程の英語力しかなく、
しかも、自慢じゃないけど、私は英語は蕁麻疹が出るほど嫌いだったんだなぁ
にも関わらず、夜毎私を待ち受けていたのは、ⅠとⅡの教科書の和訳
・・・なんだぁ?原子がどうした?十字軍がどうだぁ?実験のレポートぉぉぉ?
宿題を出さないと、校長から呼び出し・・・日々戦いが続く・・・。
・・・うぉぉぉぉ、思い出したくないので、パス!!


夜は心底暗い・・・なのに、雨季に雨が少ないと電気が来ない・・・。
月が闇夜に冴え冴えと輝く日も、教科書を見るにはちと灯りが足りない。
なので、ここで必要なのが、ありったけの懐中電灯と
ダンボールにアルミホイルを貼って作った反射板。

♪ほたるのひかり~窓のゆ~き~♪・・・雪なんかないやい!!
かくして、ぽれぽれ家の一日は終わりを告げないまま続くのであった・・・。
そうかぁ、この頃から既に夜は眠らない習慣がついてたんだなぁ



そうそう、生活するのに、最も重宝した物の一つに
耐熱性のガラスのマグカップとアロマ用の蝋燭がある。
カップに蝋燭を入れて灯すと常夜灯として大活躍。
マグなのでトイレに行くときは持ち運びも便利!
これから、アフリカで生活される皆さま~っ!
手ごろな蝋燭立てが見つからなかった時には是非・・・超お勧めです


クリスマスに蝋燭の灯りで聖歌を歌うのが好きだった。
けれど、もう二度と蝋燭の灯りがロマンティックだなんて思えないと本気で思った。


けれど、今は・・・揺れる灯りの向こう側に、アフリカの月が見えておりますよ


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アドベント2週目に入りましたよ

2007年12月10日 18時27分07秒 | おもひでばなし
《何じゃこりゃぁ!でもそれが愛しい》

毎日のお仕事の手始めは、まず飲み水作り。
もちろん、ちゃんと水道の蛇口から水は出る
けれど、水圧がとても低いので、フラットの3階に住んでいた我が家では、
ポンプで屋上に有る貯水タンクに一旦水を引き上げてから使用していた。
 
問題は、浄水設備が整っていないので、水道から出る水はぁ・・・濁ってるっ♪
濁ってるというより、薄いミルクティ そこで!インド製のこれが大活躍!!


              “不純物除去装置”・・・いや、単にろ過器だけど
              
        時間をみて、せっせせっせと上のタンクに水を入ておくと
        綺麗になった水は、ぽたり、ぽたりと下のタンクに溜まる

上のタンク内に素焼きの棒(きりたんぽのでっかいのみたいな形♪)が中央に着いていて、
濁った水が、その素焼きの陶器のちいさな穴にじわりじわりと浸透して透明な水になる仕組み。

んで、その美しき透明な水を、3つあるやかんに入れて煮沸消毒。
それを冷ましてペットボトルに入れて・・・・・を繰り返す。
この水、飲み水だけじゃなく、歯磨き、野菜の仕上げ洗い、米のとぎ水
何より、怪我をした時の傷口を洗う時に必要不可欠な大切な水なので欠かせない。

改めて気付いた事。
水は大切だぞ~っ!! 日本製のペットボトルは丈夫だぞ~っ!!

え?お風呂?・・・ありますわよ~・・・天然泥入浴剤入り・・・
なのでもっぱら水圧の弱いシャワーで我慢。
え?衛生面で大丈夫なのかって?・・・そんな事は言ってられないんだもん。
医者に聞くと健康体では問題ないとの事だったので、必要なのは最初の勇気と諦めだけ。
それがですよ、これが何と!! Ⅱのアトピーがいつに間にか治っちゃった
いやぁ、何が幸いするか分かりません。


水作りから始まって、食事の準備も日本とは大違い。
とにかくですよ・・・日本では当たり前に売ってる物がある筈も無く・・・。
輸入品の並ぶスーパーは滞在中に新しく出来たけど、高価だし、
ある時に買っておかないと、次に買えるか買えないのかはわかんなぁい
何より治安上自由に外出が出来ないので、箱入り嫁はついに籠の鳥に・・・
しかも一日の大半を冷房機器のない台所で過ごす羽目に。

そんな私を慰めてくれた?のが、我が家のハウスガールと
お隣(隣家は二件分を改造してインド人のお金持ちさん一家が住んでいた)さん。
・・・じゃなくって、お隣のハウスガールさん達

私の名前はスワヒリ語で“数字のひとつ”なので、どこへ行っても名前を言うと大爆笑の大受け。
隣のガールさん達は、事有るごとに「mamaK!!」と大きな声で声をかけてくれた。
窓はルーパー式で機密性が低く、金属製の網戸がはめ込んであるけど声は筒抜け

「mamak!何してんの?」
「今、ご飯の準備だよぉ。」
「今日は暑いね。」
「暑いよぉ、でも友達が来るから忙しいんだよぉ。」と、台所の窓ごしにお喋り。

片言の単語だけ繋ぎ合わせたスワヒリ語。足りない言葉を補ってくれたのが
      
                
              我が家のヤンママハウスガールの スーさん
              鉄格子の向こうには隣のガールさん達も~♪

スーさんはとってもお洒落なので、普段は素敵な洋服を着ている。
この時は、私がカンガを買って来たので、着方を教えてもらうついでに記念撮影。

日本から飛行機を乗り継いで二日がかりでたどりついた常夏の国。
国が抱えている問題もたくさんあったし、マイナス面を上げるときりがないし
毎日が「なんじゃ、こりゃぁ!?」だったけど
いつも側に彼女達のはじけるような笑い声があった

だからね・・・
私はとても幸せで、かの国の“おもひで”は胸キュンな愛しさと共にあるのです






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アドベントにはいりましたよ。

2007年12月02日 03時21分54秒 | おもひでばなし
《それは「ウメメハクナ」で始まった》


ガールさんが教えてくれた最初のスワヒリ語は「ウメメ、ハクナ!マタティゾ!!」
ライオンキングで「ハクナマタタ」って歌があったような・・・?
あの「マタタ」と同じ意味の「マタティゾ」「ハクナ」は「ない」っていう事なので、
「ハクナマタティゾ」は問題ない!だいじょ~ぶっ!!って言う意味なんだけど、
「ウメメハクナ!マタティゾ!」は「電気がない!問題だ!」って事。
・・・実に様々に問題大だったのである。

電気がねぇ!ガスがねぇ!水がねぇ!・・・いや、もちろんずっと無い訳じゃなく
問題ない時の方が多かったし、電気だって酷いときでも1日6時間程度は来てたよ。
ただ、われわれは日本人! “湯水の如く”と言う言葉がある程、水や電気はあって当たり前。
水道から透明なお水がザーザー出る事をありがたいとも思った事がなかったのにぃ!!



**************************************************************************

突然、何言ってるんだ?と思われました?ごめんなさい。

今年もクリスマスを待つ季節。
ここで、クリスマスのカウントダウンをするのも二度目。
せっかくなので、今年もいつもと全く違った話題を・・・と言っても、
余り特別な経験をしないまま今まで生きてきたので、もうあれしかない

と、言う事でクリスマスを待つ4週間、日曜日には
“とつくに”で暮らした時の話を、思い出してみようかな・・・。

え~、光陰矢の如しとはよく言ったもので、異郷の地から帰って来年で10年。
そりゃ歳も取るわなぁ・・・そろそろ記憶も薄れ始めて来たので、
忘れ去らないうちに、ぽれぽれ家のどたばた海外生活のお話を一席。

しかし、思い出せば出す程、色々ありすぎて何を書けば良いのやら・・・




昨年のクリスマスの季節に触れた火炎樹をまず・・・

           
           庭木でも、路地裏にも、今の季節を彩る“クリスマスツリー”



庭木と言えば(決して日本の庭のイメージはしないでください)
                           
    パパイヤ!                        バナナ!
    種からこうなるまでに1年かからない!       校庭にあった。ジャングルじゃないよ!    
    (ちなみに我が家はフラットだったので共有の庭にはマンゴーのでかい木だけしかなかった)



                
     牧場?いいえ、道端です!!             露天の果物屋さん。バナナは吊るして、
     車道にウシやヤギ。これ当たり前の風景。     オレンジ、パイナップルは地面に山積み。



写真をスキャンしないで携帯で撮るという横着をしているので、
ただでさえ発色の悪い写真が尚映りが悪くなってしまって、申し訳ないのですが、
クリスマスシーズン限定という事でお許しくださいませ。


1996年の私の誕生日に日本を脱出。1998年の誕生日に帰路に着くまで
ぽれぽれ家はこ~んな所。アフリカはタンザニアで暮らしておりました・・・というお話。
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クリスマスまで、あと4日

2006年12月21日 03時13分51秒 | おもひでばなし
《クリスマスの思いで その4》
     



さて、それからどしたぁっていう、昨日の続き。

彼等が小学校6年生の秋、背の君が私達より一足先にアフリカへと旅立ち、
私は独りで家族の渡航準備に駆けずり回る事になった。
学校関係の役もいくつか引き受けていたし、かなりなハードスケジュールのまま
クリスマスシーズンを迎えたその年、彼等はサンタさんへの手紙を書かなかった。

少々寂しくはあったけど、もうそろそろ卒業の時期なのかと、
私は、図書券という何とも現実的なプレゼントに手紙を添えた。
一応、筆跡がばれないようにワープロで打って、手作りの封筒に入れて、
毎年してきたように、明け方、彼等の枕元に滑りこませておいた。

初めて父親のいないクリスマスの夜、ケーキを食べながら長距離電話をした後で、
彼等はどちらからともなくぽつりと言った。
「昨日、サンタさんから手紙が来とった。」
「サンタさん、アフリカ行くのを知っとった。」
「大きくなったら、僕等がサンタクロースにならなあかんらしい。」

・・・確かに私は、かな~り悩みながら書いた・・・。
「今まで、私の存在を信じてくれてありがとう。」
「君達が大きくなったら、君達自身が大切な人のサンタクロースになってあげて欲しい。」
他に何を書いたのかは忘れてしまったけど・・・。

彼等が本当の所、いつまでサンタクロースを信じていたのかは、今もわからない。
時折、そういう無粋な質問をする人がいるけど、そんな時だって、
「アフリカに行く前に、手紙をもらった。」と、私の顔をチラリと見て言うのだ。
何となくどこかで、ずっと前に知っていたのだろうけど、
それを言わなかったのは、「いるんだ!」と言い張る親への気遣いだったのかもしれない。
・・・そんな気遣いができていたとしたら・・・なんだけど


あの~、こう書くと、とっても優しい良い子達のようでございますな
いやいや、文章と言う物は場合によっては魔物、もしくはマジックのように、
現実を自由自在に綺麗な色づけもするものでございますよ。

実際、そんな心優しい、麗しい子供達や母親で有る筈は無い訳で・・・。
当時彼等は本格的反抗期突入期。胸倉掴んで力づくでの親子喧嘩は日常茶飯事

でもやっぱり、クリスマスは特別な日だった訳で・・・今もそれだけは変わらない。
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クリスマスまで、あと5日

2006年12月20日 02時33分34秒 | おもひでばなし
《クリスマスの思いで その3》

                


↑この天使さん、一番のお気に入りえらく、デーハーな気もするけど
これらのオーナメントはいずれも直径5センチくらいの小さな物。
大きなツリーに飾っても、ちっとも目立たない気がするんだけど・・・。

へんてこりんのも、可愛いのも好きだけど、細かい細工の物はもっと好きかも
こういう物達が美しく飾れる部屋にしたいと長年思いつつ、
今の有様ときたら・・・・・・という話は置いといて

タイムリーにサンタクロースネタを一発

我が家の双子Ⅰ、Ⅱ
この呼び方って思い付きじゃなく、産まれてすぐはおでこと足の裏に書いてあった。
Ⅰ、Ⅱってマジックで・・・ 明らかに二卵性で顔が違うのに・・・
彼等は月足らずで未熟児だったので、一ヶ月近くは保育器の中育ち。
名前が決まってしばらくしてからも、
看護婦さんには「いちこちゃん、にこちゃん」って呼ばれてた。

で、その彼等。親に似たかどうかは別として、かなりの頑固者である。
何せ、ヒーロー達の日常を考えてしまいながら、それで冷めるのではなく
それも含めて益々のめり込むタイプみたい・・・あぁ・・・似てるかも

そんな彼等の所にもやはり、サンタのおじさんは毎年やって来たのだ。
サンタのおじさんは明け方、皆がまだ起きない頃に、こっそり枕元にプレゼントを置いて行く。
彼等はサンタさんの存在を信じていた。
そう、悪い事をすると、なまはげに連れて行かれるんだって事くらい信じてた。


彼等が字を覚え始めた頃のクリスマス近く、洗濯物を干そうとベランダに出ると、
クーラーの室外機の上に、セロテープで何やら紙が貼ってある。
「サンタさんへ、ぼくは○○がほしいです。」・・・あわわ 絵入りだよぉ。
夜になって、こっそり外しておいたら、翌朝、手紙がなくなってるのを見て、
ぴこぴこ飛び跳ねて、喜んでいたっけ。

おお、聞き出す手間が省けた

クリスマスの朝、ご機嫌なチビ達を見ながら私もご機嫌
で、めでたし、めでたし・・・ではなかった。

翌朝、ベランダに出ると、また手紙が・・・「サンタさん、ありがとう
・・・あわわ・・・。
こっそりひっそり、彼等が目覚める前に剥がして引き出しの奥に仕舞いこんだ。

そのタイミングを外さないようにする為、クリスマスは私にも息が抜けない日となり、
それが何と、小学校5年生の冬まで続いたのだった。
・・・う~・・・親もメデタイが子供らもメデタイ

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クリスマスまで、あと6日

2006年12月19日 02時42分37秒 | おもひでばなし
《クリスマスの思いで その2》

                


異国の我が家にはハウスガールさんが一人いた。
決して、我が家が裕福だった訳ではないけれど、
ある程度の収入を得ている人は、職場を提供するのが当たり前の国。

彼女の専門は、主にアイロンがけ。
アイロンがけというのがまた、暑い国ではなかなか大変な作業である。
しかも、虫が衣服の縫い目に卵を産み付ける事があるので、
(それが、皮膚に寄生して成虫になるのだから、放ってはおけない
肌着からタオルから、身に触れる物全てにかけるので、時間も相当かかる。

私より一回り年下のヤンママで、童顔の小柄な可愛らしい子だった。
簡単なスワヒリ語は、ほとんど彼女が教えてくれた。
最初に教わったのは「ウメメ ハクナ!マタティゾ!」(電気、無い、問題だ!)
文法なんてそっちのけで、単語の羅列だったけど、それでも買い物くらいは出来た。

その彼女がクリスマス近くになると、急にウキウキし始める。
子供の新しい洋服を買ったのだと、嬉しそうに話し、
縮れた髪にラスタと呼ばれる付け毛を編み込み、急に一段と美人さんになる。
勿論、彼女がムスリムではなく、クリスチャンだったからだけど、
私が無造作に結わえた髪に付けていた髪飾りを「綺麗だ。」と褒めるので、
彼女の小さな子供と彼女と彼女の妹にに、ラメの入った布にゴムを通しただけの
簡単な髪飾りを作ってプレゼントすると、イヴの礼拝に着けて行くと何度もお礼を言ったっけ。


イヴの夕暮れ時になると、いったいどこから湧いて来たのだ?と思うほど、
主要道路は着飾った人たちで賑わい始める。
おそらく普段は来る事のできない場所からも、この日には無理をして出かけてくるのだろう。
沢山の人波は、大きな教会へ続く道へ流れて行く。

皆がクリスマスをわくわくしながら特別な日を、『待っている』
何を着ようか、何を食べようか、誰と会えるかと、満面の笑顔で『待っている』
小さい頃、遠足の日をドキドキしながらカレンダーを見ていたように。
誕生日やお正月を指折り数えてわくわくしながらその時を過ごしたように。
その日が来れば何もかもが新しくなって、素敵に美しくなるかのように。


『待っている』楽しさ。『待っている』喜び。
待つ事ができるって、素敵じゃぁありませんか
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