『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

“ば”は「ばーか!」の“は”

2014年09月14日 12時34分04秒 | 日々の出来事
勿論、愛を込めて


時にはばかだね、ばかだね、ばかだね、わーたしー
涙ながらに歌いたい気分になる事も未だにある。

また、時には、本気で呆れながら自分はバッカじゃねえかぁ?って思う事もある。
まさしくここ数日がそうである。

…………………


奥さん、この歳になって貫徹はあきません。
若い頃ならいざ知らず、老眼鏡かけねば針に糸も通せない現在
気がつきゃ朝になっていて、さんさんと朝の太陽が輝いているその時まで、
ねじり鉢巻よろしく、汗止めをきりりと締めたまま鏡を覗いた暁にゃあ
二度と再び見てはならぬと、己に言い聞かせねはならない始末。

ぽつりと一言鏡に向かって
「あほちゃうか?」
続いて、衣装を取りに来ておきながら、持って行かねばならないものを忘れて行った馬鹿メに
「あほちゃうか?」
最寄りの駅から30分余りを歩く気力もなく、タクシーに飛び乗って、行き先の通りの名前を間違えて
「あほちゃうか?」

一日に何度「あほちゃうか?」と己の「あほ」を念押ししているのだ?
其れでも、それ故に?「あほ」は治らないのだ。

そう言えは「馬鹿は死ななきゃなおらーなーいー!」と言うフレーズは
幼い頃からテレビの影響もあって、至極有名だけれども
生きてるうちからこうなのに、死んだからって「あほ」が治るとは思えない。


アホで悪いか馬鹿野郎!!なーのだ


既に何を書いているか分からない状態なのは
結局三日連続の京都通いで、電車に揺られる事現在進行形。
昨夜は、夜に出掛けてレディとデートで終電帰り。
その間に睡眠不足を補おうと横になっても目がランランラーン

ほんまに、ほんまに
あほちゃうか??


ちなみに、関西ですから日頃の生活の中で「馬鹿」はあまり使いません。
愛情を込めた「馬鹿」は「あほ」であり、
そうでない「馬鹿」も、やはり「あほ」なのであります。

先日、伯父の葬儀の合間に冗談交じりに「あはぁたれが!」とニヤリと笑いながら従兄貴に言われ妙に嬉しく
幼い頃の記憶が次々に蘇って別色の涙がこぼれそうになった。

愛しきかな「あはぁたれぃ」

ん?「馬鹿たれ」とは言っても「あほたれ」とは言わない。

で、ふと思ったのだけれど
「あほがみーるー、ぶたのけー○ー」と歌う?のは関西だけなのだろうか??



どうも、最後まで馬鹿な話で申し訳ない。
そろそろ最寄りの駅に到着します。

さすがに日曜日は混んでおりますな。
国際色も豊かです
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“ど”は「どこまでつづく……」の“ど”

2014年09月08日 03時27分45秒 | 日々の出来事
出会って、別れて・・・
出会って、別れて・・・

小さな別れは、再び出会う事の喜びやときめきに、時には大きな安心に繋がるのに
この世では二度と会えない別れは、どんな形にせよ、やっぱり突然なのだ。


いったい、どれだけの人を見送ればいいのだろう。
読経を聞きながらふっと意識が遠のきかけた。

出会って、別れて・・・
出会って、別れて・・・

それはどこまでつづくのだろう。

あ、そうか、自分が見送られるまで続いてゆくのだね。


伯父が逝ってしまった。
5月に従姉貴の法事の時には老いたとは言え、まだ冗談を言うくらい元気だったのに
3週間程前に入院したと聞いて心配してたけれど、命に関わるような理由じゃなかったのに
従兄貴から電話があった時に「おじちゃん退院出来た?」と元気に聞いたのに


なにこれ?

大人になってそれぞれの家庭を持って、殆ど会うことのなかった従兄弟達と、この一年半の間に何度顔を合わせただろう。
決まってみんな黒い服ばかりだ。

なにこれ?


広い、広い家に従兄貴が一人きりになってしまった。



そうして、いつもの生活に戻った私は、変身の仕切りなおしだ。
そうやって、変わらず生きていくのだ。

どこまでつづいていくのだろう・・・
もちろん、私自身が見送られるまでに決まってる。


まるで逝く為に生きているみたいだね。
違うか・・・逝く事が決まってるから生きてるって事が在るんだね。

ぼんやりしてちゃいけない、しっかり生きなきゃ。












いや、マジで!ぼんやりしてる時間がないっ!!すっごくないっ!!!
ひゃ~~~っ!変身!!変身!!!




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