「気付かなかった罪:番外編」その二
・・・とは言え、自分の中の嫌な奴を暴露する事になるので、お願い。軽く流して!!
務めていた全寮制の工場が倒産して、急に家に来る事になったぺこちゃんだけど、
「身の回りの事は普通に出来ますから心配はいらないでしょう。」と説明を受けていた。
まぁ、一緒に暮らしていけば家族になれるのだろう・・・と、戸惑いながらも納得したのだが、
「普通」って言葉は案外魔物である。ひとそれぞれで「普通」の定義は違うのだから。
ぺこちゃんが、自分が「出来ない」事に対しても、「理解できない」事に対しても
「わかった。」という言葉で応える事に気付くのに、それ程時間はかからなかった。
勿論、身の回りの事は全て自分で出来るが「出来る」という事も人によって千差万別。
その範囲は余りにも幅が広く、時には私の想定を遥かに越える。
息子達は当時高校を卒業したばかり。少しではない変化に対して特に文句を言うでもなく
元々親に似て脳天気な事や、もう家にいる時間が少なかった事もあって、
私が拍子抜けする程、文句一ついう事なく当たり前のようにさらりと受け止めた。
「ふ~ん。」・・・おい!ふ~んってそれだけ?
「わかった~。」・・・な、何が?
「おとんの妹やねんやろ?」・・・そうだけど・・・。
「おばちゃんって呼んだらええんか?」・・・そうだよなぁ・・・。
「別に、普通にしとったらええねんやろ?」・・・まぁね。
け、けどさ、何か困った事が起きるかもしれないよ。
母もわかんないけど、迷惑かけるかもしれないよ。
私は一人でぱたぱたしながら、それでも普通に「にわか家族生活」が始まった。
彼らもそれなりに自分のペースは崩さないまま、けど少しは気を使いながら。
このまま、時を重ねれば「共に暮らす」という事で「家族」になっていくのかな?
戸惑いながらも何とかやっていけるのかも・・・なんて甘い考えは一週間で醒めた。
「おか~ん、トイレが汚れてて使われへんで~。」・・・あっ、忘れてた・・・。
「洋式トイレは使った事ある?」最初にぺこちゃんにトイレの場所を説明した時、
「使い方わかる?」の問いに「うん、分かる。」と笑顔で彼女は応えた。
けれど、彼女の入った後に何気なく入ると・・・雑巾を取りに走らなければならない状態だった。
その後は、彼女のトイレの後はそれとなく必ず私がチェックするようにしていたのだが、
少々の慣れと、夕食時のバタバタで、その日はついうっかりしていた。
経血混じりのピンク色のお小水が床一面に広がっていた。
・・・だって女の子だもんね。
今でこそ、すっかり慣れて左程気にならなくなったが、お風呂の後も随分驚かされた。
家庭用のお風呂の経験がないのだから、当たり前の事だったんだよね。
私が気付かなかったのは、ぺこちゃんが、自分では後始末出来ない事をした時に
黙って部屋に駆け込んで、何も言わずに済ませてしまう事。
団体生活の中では、黙っていれば誰がどうしたのかわからないままで事が済んでいたのだろう。
「怒られるかもしれない」と思った事は黙ったままにしてしまう。
「怒られる」という事はぺこちゃんにとっては、一番恐ろしい事なのだ。多分・・・。
当時19歳の、男兄弟の中で育った子供達には、なるべく見せたくない場面を
運良く?見つけてしまうのが、家を離れた息子だった。
もちろん、彼がそれに対して文句を言う事はなかったけれど、
つい私は「ごめんね。」と謝るのが癖になってしまった。・・・私は悪くないのに。
けれど、ぺこちゃんと一緒に暮らすという事はそういう事なのだよと
親として、彼らにきちんと説明出来なかった事は、やはり悔いとして残る。
本当の思いやりとは、無理に「家族」という形を演出するのではなく、
「家族として生活する為に必要な事」を教えなければならなかったのだとも思う。
けれど、私には出来なかった。私自身が無知のままで「家族ごっこ」を始めてしまったのだから。
・・・無知故の無謀な決断。けれど、無知故に踏み切れたのだとも思う。
「家族が増える」という事「途中から、分かり合う事が難しい家族が増える事」は
良し悪しは別にして、親子四人の生活に想像以上に変化をもたらせたのは事実だ。
4年間かけて「共に生活する事」は当たり前になったけど・・・。
「家族ごっこ」は出来ても、本当の「家族」にはまだなれない。
少々奇妙な家族の中で育った私は「自分の家族」に対して希望もあり夢もあったけど、
その拘りを捨てて「現在」を素直に受け止める方がずっと気持ちが楽なのだと・・・。
「家族」という拘りが「家族ごっこ」から卒業できなくさせているのだと・・・。
そんな独りよがりな拘りに、すがり付くのは止めようと・・・。
近頃頓に思い始めている。
・・・とは言え、自分の中の嫌な奴を暴露する事になるので、お願い。軽く流して!!
務めていた全寮制の工場が倒産して、急に家に来る事になったぺこちゃんだけど、
「身の回りの事は普通に出来ますから心配はいらないでしょう。」と説明を受けていた。
まぁ、一緒に暮らしていけば家族になれるのだろう・・・と、戸惑いながらも納得したのだが、
「普通」って言葉は案外魔物である。ひとそれぞれで「普通」の定義は違うのだから。
ぺこちゃんが、自分が「出来ない」事に対しても、「理解できない」事に対しても
「わかった。」という言葉で応える事に気付くのに、それ程時間はかからなかった。
勿論、身の回りの事は全て自分で出来るが「出来る」という事も人によって千差万別。
その範囲は余りにも幅が広く、時には私の想定を遥かに越える。
息子達は当時高校を卒業したばかり。少しではない変化に対して特に文句を言うでもなく
元々親に似て脳天気な事や、もう家にいる時間が少なかった事もあって、
私が拍子抜けする程、文句一ついう事なく当たり前のようにさらりと受け止めた。
「ふ~ん。」・・・おい!ふ~んってそれだけ?
「わかった~。」・・・な、何が?
「おとんの妹やねんやろ?」・・・そうだけど・・・。
「おばちゃんって呼んだらええんか?」・・・そうだよなぁ・・・。
「別に、普通にしとったらええねんやろ?」・・・まぁね。
け、けどさ、何か困った事が起きるかもしれないよ。
母もわかんないけど、迷惑かけるかもしれないよ。
私は一人でぱたぱたしながら、それでも普通に「にわか家族生活」が始まった。
彼らもそれなりに自分のペースは崩さないまま、けど少しは気を使いながら。
このまま、時を重ねれば「共に暮らす」という事で「家族」になっていくのかな?
戸惑いながらも何とかやっていけるのかも・・・なんて甘い考えは一週間で醒めた。
「おか~ん、トイレが汚れてて使われへんで~。」・・・あっ、忘れてた・・・。
「洋式トイレは使った事ある?」最初にぺこちゃんにトイレの場所を説明した時、
「使い方わかる?」の問いに「うん、分かる。」と笑顔で彼女は応えた。
けれど、彼女の入った後に何気なく入ると・・・雑巾を取りに走らなければならない状態だった。
その後は、彼女のトイレの後はそれとなく必ず私がチェックするようにしていたのだが、
少々の慣れと、夕食時のバタバタで、その日はついうっかりしていた。
経血混じりのピンク色のお小水が床一面に広がっていた。
・・・だって女の子だもんね。
今でこそ、すっかり慣れて左程気にならなくなったが、お風呂の後も随分驚かされた。
家庭用のお風呂の経験がないのだから、当たり前の事だったんだよね。
私が気付かなかったのは、ぺこちゃんが、自分では後始末出来ない事をした時に
黙って部屋に駆け込んで、何も言わずに済ませてしまう事。
団体生活の中では、黙っていれば誰がどうしたのかわからないままで事が済んでいたのだろう。
「怒られるかもしれない」と思った事は黙ったままにしてしまう。
「怒られる」という事はぺこちゃんにとっては、一番恐ろしい事なのだ。多分・・・。
当時19歳の、男兄弟の中で育った子供達には、なるべく見せたくない場面を
運良く?見つけてしまうのが、家を離れた息子だった。
もちろん、彼がそれに対して文句を言う事はなかったけれど、
つい私は「ごめんね。」と謝るのが癖になってしまった。・・・私は悪くないのに。
けれど、ぺこちゃんと一緒に暮らすという事はそういう事なのだよと
親として、彼らにきちんと説明出来なかった事は、やはり悔いとして残る。
本当の思いやりとは、無理に「家族」という形を演出するのではなく、
「家族として生活する為に必要な事」を教えなければならなかったのだとも思う。
けれど、私には出来なかった。私自身が無知のままで「家族ごっこ」を始めてしまったのだから。
・・・無知故の無謀な決断。けれど、無知故に踏み切れたのだとも思う。
「家族が増える」という事「途中から、分かり合う事が難しい家族が増える事」は
良し悪しは別にして、親子四人の生活に想像以上に変化をもたらせたのは事実だ。
4年間かけて「共に生活する事」は当たり前になったけど・・・。
「家族ごっこ」は出来ても、本当の「家族」にはまだなれない。
少々奇妙な家族の中で育った私は「自分の家族」に対して希望もあり夢もあったけど、
その拘りを捨てて「現在」を素直に受け止める方がずっと気持ちが楽なのだと・・・。
「家族」という拘りが「家族ごっこ」から卒業できなくさせているのだと・・・。
そんな独りよがりな拘りに、すがり付くのは止めようと・・・。
近頃頓に思い始めている。