『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

ある日突然

2005年10月12日 01時59分44秒 | ぺこちゃんにまつわる話
我が背の君の妹、それが「ぺこちゃん」である。
「ねぇちゃん、ねぇちゃん。」と慕ってくれるが年齢は四つ年上の義妹だ。

小学校の低学年の時から、家を離れ全寮制の養護学校に入り、
中学卒業と共にそこの伝手で同じく全寮制の工場で働いていた。
定年まで働いて、そこから終身の施設に・・・のはずだったらしい。

子育ても一段落、自分だけの為の目標を定め、春を待ち焦がれていたある日、
突然、ぺこちゃんの職場から電話が入った。
「この不景気で、工場を閉鎖せざるを得なくなりました。
連絡先がそちらになっているのですが、本人を引き取っていただくのは
そちらでよろしいでしょうか?
閉鎖までには、あと一ヶ月ありますので十分考える時間はあると思います。」
というような内容だったと思う。

え、何?一ヶ月って十分な時間なの?
実家が故郷にある子達は、まとまってそちらに帰るらしいが
義母は既に年老いて実家を離れ、義姉の所から特養に入った頃だった。
身寄りの無い子達は、職場が施設を探すという事だった。

まぁ、何にせよ事が起きるというのは突然な物なのだろうが
さすがにうろたえた。だって、私自身ぺこちゃんとは3回会っただけだし~。

けれど、他に選択肢を与えられた訳でもなく受け入れるしかなかったし、
その時はまだ、どうなったって背の君と協力すればなんとかなる。
と、実に脳天気に考えていた。

けれど、私は大切な事に気づいていなかったのだ。
ぺこちゃんは、家族の誰とも40年近く共に暮らした事が無かった。
家族の誰もがぺこちゃんの現状を知らなかった。
障害の程度も、何が出来て何が出来ないのか誰も分かっていなかった。

兄としての責任で、引き取る決断をした背の君だけれど
それが、どれ程の思いだったのかを知った時は愕然としてしまった。

もう一方で、この時点で既にかぁちゃんは壊れ始めていたのに
それも気付いていなかったのが、ウルトラスーパー大誤算だったのだ。
ま~ったく、脳天気にもほどがあるって話ですよ。

2002年5月6日が記念すべきダブルチョップな日々の始まりとなった。










コメント
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