『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

知名

2010年03月26日 04時20分45秒 | 日々の出来事
10代半ばより、周りを取り巻く環境が著しく変化した事もあって
大いに斜に構えて世間様を見るようになった。(今の方がずっと素直だ!?)
20代、30代は、自分の歳を聞かれてもすぐには応えられずに
Ⅰ、Ⅱの年齢+23・・・と計算してた程日々目まぐるしく過ぎていった。
そういえば・・・39歳の最後の日だけは私は時の流れに逆らおうと
「私は絶対しじゅうはならんのや~っ」と事あるごとに叫び続け
男3人どもが「抵抗しても無駄だ!」と冷笑した。

それから1年、13年間関わったPTAからもようやく開放されると思う間も無く
かぁちゃん、続いてぺこちゃんが生活の中心になる事が決まった。
それからすぐにパーキンさんとお近づきになり、翌年にはアルツ君と親密になった。

そして・・・
二回目の成人式を迎えてからは、私の歳は逆行するのだと言い放ったので
はいっ♪昨日25日、ようやく30歳になりました。


                       




え~・・・きつ~い冗談はさておき・・・

どうやら“不惑”の時代は幕を閉じ“知名”の時代に入る事となるらしい。
しかしながら“不惑”の時代は大いに迷い、まだその延長戦にあるのに
果たして“天命を知る”なんて事ができるのかどうか、大いに疑問だ。
「ちょっとぉ!天が私に与えた使命って何よ?」・・・自覚には程遠い。

けれど、ふと気が付いた。
これって、孔子さんの言葉でしょ?えら~い方の言葉でしょ?
だったら、無理ない無理ない
もとより精神年齢は18歳で止まってるんだから、しゃぁないしゃぁない

なので、これから大いに惑い。
惑い惑って諦めもついたら、60までには立とうではないかいな!と、開き直り。
半世紀も生きたのに、何も成し得ていない事は真剣に考えると怖いけど、
これから成せる事もあるのではないかという希望的観測の元
♪な~にか、いいことないかな~♪と、ふらりふらりと50の船出をする所存であります。


あ・・・もう船出しちゃってたんだった



              
      蝋燭5本♪しんぷるいずべすと♪って感じだなぁ



                

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ぽれVSカマ

2010年03月23日 16時06分41秒 | かぁちゃんにまつわる話
ひっさびさ♪実に3ヶ月ぶりに、かぁちゃんにまつわる話し。

ここのところ、すっかりかぁちゃん、ぺこちゃんの話題はご無沙汰で
すっかり“おかしなおばさん”の独り言みたいなブログになっちゃってるような気がするけれど
かぁちゃん、ぺこちゃん、いたって元気。
特にかぁちゃんは“夏の出来事”はいったい何だったのだ?と思う程復活
ぽんも、薬の調整に随分しんどい思いもしてたけど、ようやく元気すぎるくらい元気復活

それぞれの話はまたぼちぼちするとして(いつになるかは分からないけど
先週の土曜日の話をまず・・・

久々のかぁちゃんの話しなのに、尾篭な話で非常に申し訳ないけれど
“うん”に始まり“うん”に終わるのが付き物の今の生活。
出るも出ないも“運”まかせ。泣くも笑うも“運”次第。
まさに、喜びも悲しみも“うん”と共にあると言っても過言ではない・・・云々

かぁちゃんの歯医者通いはずっと続いていて、先週の土曜日が予約日だったのだけれど
その日は朝から超快腸お出かけ前に良かった、良かった♪と思いきや
お出かけ直前にも大騒動・・・ん?一抹の不安が頭をよぎったものの
これだけ出ればもう大丈夫だろうと、高を括ったのが悪かった。
タクシーで歯医者に駆けつけ、車椅子に移動した時にまさかのかほりが・・・
うっそ~っ・・・・そういえば、車の中で一瞬片足をピコリと上げたよなぁ・・・

実はかぁちゃん、初期のしっかりしてた頃はお手上げ状態に何度もなったのだけれど
ここ数年は外出中に粗相はした事がない。とってもえらいっ!!
なので、“外で運がないのは当たり前”と思い込んでた私が浅はかだった。
もちろん、リハパン、パット等の変えは持ち歩いているけれど1セットのみ。

でね・・・
こちらへ来てくださる方々の多くは経験されていると思うのだけど


良い“んこ様”は根性があるので、ぽろりといい感じで処理できる。
しかぁし・・・
悪い“んこ様”は根性無しも甚だしく、じっとしてない・・・
リハパンの間をすり抜けて行きたいところに勝手にいってしまう・・・でしょうがぁっ


間一髪をすり抜けたものの、あたしゃ着替えまでは持っていないし、替えのパットも使っちまった。
何より、障害者対応の診療所にも関わらず、障害者用のトイレは最初の時から壊れたまま。
汗だくになりながら、一般用トイレの中をバタバタ駆けずり回り・・・(隣の市!何とかしろ!!)

一応最悪の事態を予想して
「すみません。診察台を汚してしまう可能性があるので、今日の治療はキャンセルしてください。」
・・・と、ぜぃぜぃはぁはぁやりながら、ぽつり。
先生も、助手さんも、せっかく来たのにと労ってくださるがどうしようもない。
タクシーを呼びましょうかと言われたが、あの白いシートに・・・と思うととんでもない
泣く泣く折からの異常な生暖かい突風の中、汗だくで車椅子を飛ばして帰ってきた。

だって、週に二度だけの特別診療なので、デイを休ませないと連れて行く事が出来ない。
だからその日は大急ぎでお風呂と昼食を済ませるので、結構体力を消耗しているのだもん。
なのに、それから運は尽きたまま・・・。
やっぱり治療してもらえばよかったなぁ・・・。



かぁちゃんの調子が悪いのは、風邪でも食べ合わせが悪かった訳でもなく原因は“カマ”にある。
腸内で水分の再吸収を抑え,腸の内容物が膨張して腸管を膨らませて“お通じを良くする”働きをするという
ごく一般的な“酸化マグネシウム細粒”の薬。

どんな薬にしても、効き過ぎて却って調子を崩してしまうかぁちゃん。
カマは8年前に出してもらって失敗したので、もう何年も使っていなかったのだが
夏以降、お腹の動きがぐっと悪くなったのか、使わざるを得なくなって使い始めたものの
一日一錠では役に立たず、一日2錠にして約3ヶ月。
日頃の調子は良くなったものの、3~4週間に一度は“ゆるゆる大騒ぎ”となってしまうのだ。
だからと言って、抜くとまたまた苦戦を強いられる。

今更ながら、薬の調整って難しい・・・と思い知らされている。


これからも続くであろう ぽれカマ
何としても、勝利を手にしたいと日々燃える私であった。





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消された時間(ちょっとオマケ)

2010年03月20日 05時12分25秒 | こちら“mama K”です。
これを機会に、今更ながらちょっと独白、かなり本音。

ここでⅠ、Ⅱと言うのは、26年程前に月足らずの未熟児で生まれた双子の男子。
生まれた時は2000gと2130gだったので、今のロデムの半分にも満たないくらい小さかった。
この二人、Ⅰの方は近年予想外に激しく大きく躓いたものの、多趣味で友人も多い。
しかしⅡの方は幼い頃から独自の世界観があり、しばしば突拍子もない事をやっては周りを驚かせ、
それは、私ですら理解不能な箇所も多々あったので、人との接触はかなり苦手だった。
もしかしたらそれは深刻なレベルだったのかもしれない。・・・おそらく間違いなく。
なので今現在も、親の欲目で見ても、世の中の流れに上手に添う生き方からは程遠く、
どちらかと言えば、経験しなくても良い事まで経験してしまった傾向にある。
多かれ少なかれ、古い心の傷をいつまでも引きずっている部分もあり(そう陰湿でもないが)
それをネタにして(としか思えない)芝居の台本を書いている。
学生芝居の間は単なる傍観者でいられたので、年に数回の公演を観に行くだけだったのだが
この就職難の時代に勤め先を辞めて再び芝居を始めたのだから、
いくらおめでたい思考回路を備えている私でも穏やかでいられた訳はない。

私が衣装を手伝うようになったのは、安定した生活を望む親の心配をよそに
奴が自分で選んだ生活なのだから、余計な加勢はしたくはないとは思いつつ
アルバイトで生計を立てながら芝居を打つので、年がら年中金欠病。しかもかなり重症。
そんな中、少しでも出費を抑えられればいいが・・・最初はそんな親心?からに他ならなかった。
もっと本音を言うと無事に生きている事を堂々と確認出来る手段と言えなくもなかったからだ。


そんなこんなで、奴の芝居を観ていると、ちょっとした台詞回しに一瞬血の気が引く事もある。
本人がそう意識はしているかと言えばそうでもないようだが、
過去において、親としての自分の在り方の問題点を問い詰められているような気分になる事もある。
私自身が己への根拠のない自信で、無意識に彼らの個性を踏みにじってしまった事があったかもしれない。
今でも、口には出さねど、応援出来る最後の一人になる決心はついていても、心のどこかでは
安定した生活を送ってくれるようになって欲しいと常に思っているのも事実なのだ。



・・・いひっ・・・結構先行きが心配だったりしております



ところで、昨日、久々に若い頃からの友人(大先輩)と話していて
「Ⅱは、こんなん作ってって言いに来やんの?まだまだ可愛いなぁ。」って言われて
「んあ?」と思ったのだけれど
ちゃうちゃうちゃうちゃう
奴はPCが壊れた以降、一度も家には戻らず。戻れず?
ゲネプロの時に会ったら坊主頭になっていて本人確認できなかったくらいだ

なので、衣装の打ち合わせはこんな具合に全てメールのやり取りで決まる
P「おまえなぁ、作るもんあるんやったら、はよ言わな時間ないで、暇ちゃうんやからな!」
Ⅱ「神龍と星矢の頭とヒーロー物の服みたいなもん。」
P「あほか!それってどないやねん!」

だいたい同じ物を想像するにしても、頭の構造が違うので大きくイメージが大きく異なる。
基本、私はヒーローはかっこ良くなければならないのだが、奴は違う。

なので・・・
         

   こちらのイメージをこんな風に走り書したのを写メして指示待ちとなる。


結果、制服過ぎるから却下。枚数が多すぎて縫い代の始末が面倒なのでデザイン変更。
くっそぉ!カッコイイのを作らせろ~っ!!

このように、衣装作りとは言っても、実にいいかげんに事は運んでいるのであった!!







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消された時間

2010年03月19日 11時25分13秒 | こちら“mama K”です。
きゃっ!セブンのタイトルみたい~っ!!
    
       でゅわっ!!  



・・・あ、いや・・・      なにをいうてるんや、わたしは・・・


こちらのスイッチが入ると、何でも関連付けてしまうこの性格
それでも、真面目に子育てして来たつもりなのに・・・
子供に親は選べなかったんだなぁ、やはり・・・
背の君が、愚息等の自分には理解し難い行動や思考を垣間見るたびに
「俺の子と違う!あんたの子や!」と言うけれど、
確かに、おかしな部分と、変なところで頭が固い部分だけみると、
私が独自で細胞分裂した結果のような気もする。
       (と、書きながらピッコロ大魔王が口から魔族を生み出したのを思い浮かべてたりする・・・)

2年前、紆余曲折を経て芝居の世界へ舞い戻ったⅡ。
当然の事ながら、金も無ければ人もいない!!ってんで、事も在ろうに、
この時間のない私まで引きずり込み(やがって)現在に到る。

ところがどっこい。どうせやるなら自らが楽しめなければ意味がないっ!!
ってんで、悪乗りしてどんどん趣味に走るバカ母
背の君もいつしかそれを無言で認め、自分は直接的には関わらないものの
睡眠不足に拍車のかかる私に「あんた、死なんようにしぃや。」とエールを送るようになり、
Ⅱもいつしかおまかせモードで、作って行った物を見ては「うひゃひゃひゃ」と笑う始末。

芝居の方も、回を増すごとにギャグがどんどんマニアックにエスカレートし、
「おい~っ・・・」と絶句する事も既に追いつかない強烈さ。
その上、今回に到っては、脚本も上がってスタッフを招集し終えた後に、
演ずる場所が押さえていられなかった事が発覚すると言う初歩的な段取りミスも加わって
一時は泣く泣くキャンセルせざるを得ない所だったのを、無理やり開演にこじつけた代物。
なので、いつもの芝居小屋とは設備も空間も雲泥の差。

「どないな事になってんのやろ・・・。」と思いつつ、芝居の日時確定のメールが届いた。


そんな中、声をかけてくださったのが じじママさん
「今度は観に行けるぜ~」って。


・・・・・・・・・・・・・・・・

「きゃぁ!ありがとう」と最初は素直に言えなかったのは事実。
だって、じじママさんは劇団四季の観劇経験はお有りなものの小劇場の観劇経験はなく

よりによって、こんな胡散臭い場所の・・・こんなアブナイ・・・こんなマニアックな・・・
こんな・・・ある意味十分にの・・・

既に私は慣れっこになってしまって、正常な感覚は麻痺しているけれど
このような世界へ彼女を引きずり込んで良いものなのか・・・
あんなものを観せて、彼女が失意のどん底にはまり込みはされないだろうか・・・


躊躇しまくりの私のあいまいなメールの返事をものともせず
彼女は果敢にも新たな挑戦だと言って観に来てくださったのだ!!→ここへ!! 


ひゃぁぁぁっ


かくして、私は終始変な汗をかきながら
空白の時間はあれよあれよと言う間に過ぎ去ったのでありました。
♪い~けないんだぁ、いけないんだぁ♪

この場をお借りして今一度、じじママさんありがとう
これを機会に、今しばらく共に見届けてやってくださいませな


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弥生3月旅気分

2010年03月18日 04時14分52秒 | 日々の出来事
                
         JR京都駅ビル・・・1999年、ここでガメラとイリスが闘った。   



これがその時の証拠写真    ・・・・・・・   


あ・・・いや・・・その・・・“ガメラ3”の話です・・・ 
(発想が貧困なもので、京都駅の風景を見ているとガメラしか思い浮かべられんのです)






そしてこれが・・・           
       空中径路を闊歩するじじママさん♪    窓の外には京都タワー♪


そこ界隈にある“京風パスタ”のお店で遅めのブランチ
(遅めも何も、4時過ぎてからはブランチとは言わない気もする)

                
      どのパスタにも添えられるのが“切り昆布”の小皿  そして、デザート♪

あの、手前が私のですが、決して大盛りを頼んだ訳ではなく、
遠近法で大きさが違って見えているだけなので、そこんとこよろしゅうに!

京都の観光へは京都駅から始めるのだろうが、京都駅を観光していた私達。
でも、十二分に京の旅気分満喫。
食後には駅ビルの中にある百貨店の中をウロウロして目の保養。

とても久しぶりに“おでかけした”って感じで、と~っても良い気分
じじママさん、ありがと~っ次回こそは駅から町へ繰り出そうねぇ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



ん?・・・何か、足りない・・・?

11時過ぎに駅で出会ってから夕方近くまで、空白の数時間に何があったのか。

やはり、報告するべきか・・・な・・・?  


       


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気が付けば弥生3月半ば、春未だ遠し!!・・・?

2010年03月16日 17時23分40秒 | 日々の出来事
氷雨降る先日、かぁちゃんの薬をもらいにクリニックへ出かけると、待合室は満席。
ご近所同士のおばぁちゃん達が「あら、あんたどないしはったん?」とお喋り中。
聞くとも無く耳に入る他愛のないやり取り。
話は何度か同じところを繰り返し、帰り際に上着を着ながらおばぁちゃん、
「今日は寒ぅおますなぁ。昨日まではぬくかったのに。
せやけど、昔の人はよう言うたわ。暑さ、寒さも彼岸までっちゅうて、
ほれ、まだお彼岸までは日ぃありまっしゃろ。ほんで寒いんやなぁ。」
「せやせや、ほんまにそうやわ。」と、頷く相手のおばぁちゃんの言葉にも力が入る。
そしてもう一度「暑さ寒さも彼岸までっちゅう事やわなぁ。」と
得意げに呟いてガラス張りの自動ドアの外へ、肩をすぼめて出て行かれた。

「ほんまやっ!何でこないに寒くならんとあかんのや?」
「つか、雨、降りすぎやろっ!洗濯物どないしてくれんねん!」と、私は声には出さない独り言。
菜種梅雨にはちと早くはなかろうかとぼんやり思いつつ、
先週初めに、二日連続で京の街に繰り出した。

まぁ・・・色々持ってね
翌日はその、まぁ・・・覆面持ってね


ううう・・・寒うおまっ!!

冬は寒うて夏暑いのんが京都やけど、電車を降りたら冷え込み方が違う。
だいたい、誰と話すでもなく、そぞろ歩きに胸ときめかせる事も無く、
ただ荷物を運んだり、掃除をしたり、その為だけに何度この街を訪れただろう。
市バスに乗り込み、ただ目的地に着く為だけの見慣れた風景を見過ごすだけ。
けれど、停留所を告げるアナウンスには、どこかで聞いたり目にした地名がそこかしこにある。
例えば、一条戻り橋って・・・睡魔と闘う目の前に五芒星が飛び交う。


うう・・・もったいない!実にもったいないっ!!

ほんの少し思い切れば、小さな旅気分は十分満喫できるだろうに、
独りでうろつくのは嫌いじゃないが、必要に迫られない事以外はつい億劫になる。
少なくとも、どなたかとお茶してゆるりと窓の外を眺めれば、すっかり気分は京の旅。

お付き合いくださる誰ぞ・・・。

そんな殊勝な心がけのお方が誰ぞ・・・?

いてはりましたっ!!

その名も じじママさん

じじママさんは“悪の秘密結社!?”を覗き込むと言う大冒険をものともせず、
先の土曜日、日がな一日、果敢に小生にお付き合いくださったのだ!!
感謝、感謝



・・・と言うお話は、また明日にでもお付き合いくださいまし


それにしても、この風の強さときたら・・・春になる前に冬が足踏みといったところでしょうか。
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予定変更

2010年03月12日 04時31分44秒 | こちら“mama K”です。
              はいっ!黒子の皆様
        
             

            ・・・ではなくって、覆面の皆さん!



突然、何とかならないだろうかと言う輩有り。
探すより縫った方が早いので、まぁ、こんな感じで。
ん~、老眼鏡の威力は素晴らしい。
針に糸が一発で通る!!
何度こぶしを握り締め、ガッツポーズを作った事だろう

が、しかし・・・
眼鏡をとっかえひっかえしてたら、どっちがそっちに、どうやりゃ見えやすいのか
訳、わかんなくなりますから。
無意識に二重に眼鏡をかけた事数回。
(双方の度が強すぎるため、遠近両用眼鏡は無理だった)
この生活にも早く慣れなければ、面白い事が出来ないではないかいな。


むぅ・・・しかし、面白くない。
黒だけじゃ嫌だ!!

何より、今回は場所も衣装も、ギリギリまでコロッコロ変わり
(やむを得ない理由はあったようだが、そんな事は知らぬ)
突貫工事で2点ほど仕上げたものの、写真を撮るのを忘れる程の時間のなさ。


ぐぁぁぁぁ、いささか不完全燃焼。

と、思っていたら、外野の騒ぎがその穴を埋めてくれたので
かぁちゃんのショートの間は別の意味でフル回転。

・・・違うだろうがぁ


予定は変更される物だと幾度と無く経験しているのに、まだ慣れない。
さっさと慣れて、不完全燃焼の残り火を燃やし尽くさねば・・・


という事で、私は元気です。
ただ、体内時計は著しく狂ったままです。



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気が付けば、弥生3月春近し

2010年03月03日 04時49分50秒 | どうでもいい話
そうして、今日はお雛様

「“ひなあらし”って言ってね、お雛様のお供え物はさっさと皆で食べるのが良いのよ。」
って、昔かぁちゃんがよく言っていたと、ぴぃが言った。
残念ながら、私にはその記憶はないけれど
ずいぶん大きくなるまで、お雛様と一緒に飾ってあった、いちまさん(市松人形)が怖くて、
暗くなってからはお雛様の段飾りを見る事が出来なかったのを思い出した。



あっと言う間に3月・・・え?・・・2月、私は何をした?

思うほどに、焦るばかりで物事は進まず、
洗濯機の後は自らが壊れて、ついでに昨日は、ぽんが早退して来た。
物事の進まないのはⅡも同様で、コロコロ予定が変わりに変わって、
ようやく衣装の最終方向性が決まったのは一昨日の夜中。


2月・・・私はいったい何をしたのか!?

くそぉ、何も出来ちゃいない!
知らず知らずに眉間の皺も深くなる・・・10円が500円になる
ひた隠していたのに、気を抜いた所に後方から背の君の声。
「あ~・・・絶対大きくなってる~・・・。」
・・・・・・・・・・・・
「ぽーが、かっぱみたいになったらどうしよう・・・。」
・・・・・・・・・・・・

ふん・・・ちょうど良いではないか。
黒いマントで体を覆い、胸に十字架をかかげてやる。

ぽれんしすこぽれえる




どれ程苛々レベルがマックスに近くなっていても
想像力だけはまだまだ衰えてはいないようなのが救いだ。
・・・出来ればもっと違う物を想像して夢見る夢子さんになってみたいが・・・。


先日、何かのヒントにと古いマニア本をパラパラめくっていて気になる事がひとつ。
(何のヒントや!?と突っ込まないでください)

どうしても気になってしかたがないのだ。
ダイデンジンの胸のマークが、“エコ”にしか見えないのは私だけなんだろうか?



今の私。
あまり他人様と近づく事は避けた方が良い気がしてならない

怒涛の3月、まずは急発進。超高速への滑り出し可能な気配。




かぁちゃんのお迎えに、ふと現実に戻って緑の堤防を見上げると、
あちらこちらに屈む人影。
つくしが出始めたようだ。

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