
父の葬儀が終わりました。
「お疲れが出ませんように」と皆様にご心配いただきましたが、
やっぱり疲れが出まくりで、今日は1日人間らしい生活ができませんでした(^_^;)
まっ、でも、明日からは、ふつーに日常生活に戻れそうです。
3日間、「非日常」の中にどっぷりと居ました。
いろんなことがありました。
沢山の思いがありました。
その中で感じたことを…。
私は、父の死が、悲しくはありませんでした。
たくさん流した涙は、悲しみの涙じゃないように思います。やっぱり…カタルシスかな??
以前から覚悟もできていたし、こんなに幸せな人生を送った人はいないと思っています。
でも、日本人男性の平均寿命を超えて元気に生きていた父が「天寿を全うした」とは思えません。
入院する直前まで踊っていた父は、誰もが、まだまだこれから、少なくとも10年は元気で、踊り続けると思っていたのでは…
それほどに元気で倒れる直前まで踊っていたのです。
父の近しい人たちはみんな、「早すぎた」と感じていると思います。
父は、C型肝炎のキャリアで、ずっと町医者に定期健診に通っていました。
それなのに、癌を見逃されていたのは無念です。
ダンス業界の方たちに盛大に見送っていただいた葬儀でした。
アマチュアで全日本チャンピオンになったことを機に、国鉄職員から、ダンス教師に転向した父でした。
「ダンス」は生業、「商売」、、、
子供の頃の私はそんなふうに感じていたけれど、父は「アーティスト」として生きた人なのです。
どの業界もそうかもしれないけれど、ダンス業界にも、いろいろな人間関係、利害関係、不純物がいろいろと混ざりまくっているようにも見受けられました。
でも父は、頑固に、自分を曲げずに生き抜いてきたらしい…
そんな父も、さいごは、そのダンスも手放して、すべての栄光も、トロフィーも優勝カップも、肩書きも、全部置いて、ひとりで旅立っていきました。
葬儀のすべてのセレモニーが終わって、父がやっと、10ヶ月ぶりに「お骨」になって家に帰ってきたとき、
パートナーのヒロコさんと、弟夫婦と、私、それに孫2人の時間の中で、
話の流れの中でヒロコさんが言いました。
「私はもう、センセとじゅうぶんに話し尽くして、話し足りないことはもうないと思うわ。
ただ、センセが、あっちの世界で、ひとりでちゃんとやっていけるかなあ…ってことだけやね…」
間髪いれずに弟が
「それは全く父もアンタに対して同じことを心配しよるで」
ここで、一同、めっちゃ心から大笑いしたのでした。
この二人、これから暫く、別々の世界で生きていかなきゃいけない…
でも、いずれ再会するときが必ずくると、信じられるようになってきた。
肉体をもって生まれたわたしたちは、この世の「色」や「かたち」がすべてのように感じるけれど、実はそれこそが幻で、命の実相は別のところにあるのだと…
「輪廻転生」ってホントにするのかどうなんだかわからないけれど、
「天国」と「地獄」があるのかもわからないけれど、
ヒロコさんと父は、これで終わりなワケない。
なんだか確信もってそう思える。
「あっちの世界」ってどんなところだろう? 実相の世界って…???
葬儀や法要でいつも唱えられる、浄土真宗の「白骨の御文」
人の命は儚きもの、そして、
「阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。」
…と締めくくられている。
「念仏を唱えれば救われます。」
理屈はどうでもいい、信じればいい。
そういうことなんだよね。きっと。
この世の肉体を捨てて羽化登仙していった父は、今、どんな世界にいるのだろう??
生前の宗教によって行く世界が違うとは思えないよ。
白装束を着て、草鞋と杖で、今どこにいるの?お父さん…
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分かち合っていただければ大変嬉しいです。でもこれは、あくまでも私自身の父との日々の記録として書き留めたものであること、ご了承願います。
以前友人を失ったときに強く思ったんだけど、
この世に残された者には、それなりの「意味」があるのではないかと。
そして、先に旅立った人と
また必ず会える、とも。
本当に、どこかに旅に出てるんですよね。きっと。
いろんなこと、うまく言い表せないんだけど、
お父様の記事で「エビと高野豆腐」のところが
非常に印象に残っています。
ほんと、どこに行くのかな・・・
私の父や親戚など
亡くなった人たちは一緒に居るのだろうか?
父が亡くなってから考えるようになりました。
亡くなってから探しに行かなきゃと思ってます。
父に旅立たれてから
”80歳・・お母さんに迷惑かけてばかり
自由で幸せだったよね”と”手術させちゃって可哀想だったかな・・
もっと生きたかったろうし
生きてて欲しかったな”と日替わりで
自分の気持ちがずっと揺れ動いている。
迷っても父は戻らないから
生きてる人間は頑張って生きなきゃね。
しばらくはゆっくり休んで欲しいけど、そうもいかないだろうから、せめて睡眠だけはしっかりと、なるべく意識的に休憩をとって体を大事にして下さいね。
後からどっと疲れが出たりするので…
記事を読ませていただいて、私も愛した人を見送った時の気持ちを思い出しました。
彼は今も時々私のそばに来てくれているようで…、
私はいつも彼の優しい眼差しに見守られていると感じています。
本当に本当にお疲れ様でした。
つい先日、もっとも親しい友人がお母さんを看取りました。1年余り施設におられてこの夏の暑さで体調を崩し、施設から運ばれた最初の病院であまりにひどい処置を受け、結局通いなれた近所の病院に転院して彼女の家族3人が交代でつきそい、親しい看護婦さんにも優しくしてもらって、すっと眠るように亡くなったそうです。
花代さんというお名前の通り花が好きな方で、祭壇いっぱいのバラに囲まれてのお別れでした。お父様と同じく、浄土真宗のお坊さんが来られて「白骨の文」の話をしてくださいました。その時浄土真宗では戒名をつけないということも知りました。
お父様のご遺影はダンスのお写真だったのでしょうか。ダンスのお仲間、そして誰よりも愛する方、娘、息子、孫たちに囲まれて、白装束じゃなくてダンスのスタイルで、ステップを踏みながら旅立たれたことと思います。
心から「合掌」
先日も少し書いたけれど、私は、ごくごく普通の家庭に育ったので、
人は死んだら「生まれ変わる」といわれて育ってきたし、
生まれ変わってるのに、なんで7回忌や13回忌なんかやらなきゃいけないのだ??と思ってきました。
まっ、そこのところは、現世では全く考えられないような、命の実相の世界?があるんだろうなあ(^_^;)
父の介護記録にもお付き合いいただき、ありがとうございます。
もう、病院に父に会いにいくこともないのかと思うと、やっぱりとても寂しいです…
いい時間だったなあ…と、すべてが楽しく思い出されます。
♪おゆき
おゆきも暫くの間、お父様とは離れ離れだけど、
いずれきっとまた会える…よね。
私は、正直いって、父に再び天国で会える自信はないのよ(^_^;)
でも、ヒロコさんと父は、絶対に会えない訳がないと思います。二人で一体だもの、いずれまた、ひとつに戻るはず…
そんな父とヒロコさん、私もお手本にしたいなあ、、、
♪ゆりあさん
ありがとうございます。
私も、父は、お位牌の周りじゃなくて、いつも私の傍にいてくれてる気がします。
愛する人を見送って残される方は、ほんとうに寂しくて辛いですね。
そういえば、初代夫のご両親もおしどり夫婦でした。
お父様をお見送りしたあとのお母様は、ご自分の半分をもぎ取られたようで、からっぽになっていらっしゃいました。
無宗教で半生を過ごして来られたのに、いきなりお仏壇の中に最愛のご主人が入って?しまって、戸惑いながら、お仏壇の前に毎日座ってお話されてたっけな。
ヒロコさんも、お寺さんのことはよくご存じだけれど、ちょうど、今そんな感じで、
父の写真とお位牌の前に座ると、いつのまにか時間が途方もなく過ぎてしまうみたいです。
ゆりあさんは、最愛の大切な方を亡くされる、辛い体験をされたけれど、
彼に見守られながら、また新しい生涯の伴侶を得ることができて、本当によかったですね。
どうか、ずっと大切に、仲よくね。
♪fmfmさん
お忙しいときに、いろいろご心配いただき、ありがとうございます。
JINさんは、現在も父と同じ病院に入院しています。
また後ほど詳しくメールしますね。
私の父も、花が大好きだったとのことで、
花で溢れた葬儀になりました。
最後は胡蝶蘭の花で棺がいっぱいになりました。
仰るとおり、一張羅の燕尾も棺に納めて、あの世でも矍鑠としてダンスが踊れるように…
でも、パートナーがいません。
再会の日まで、ダンスはお預けなのかなあ??
それまでは少しゆっくりして、大好きな「百年の孤独」でも飲みながら、私たちをゆっくりじっくり見守っていてほしいです(*^_^*)
一杯飲んで百年分、二杯飲んで二百年分、と孤独を重ねると、孤独じゃなくなる?感じがします。
そうですね、ダンスはパートナーが必要なのですね。でも大丈夫、きっとヒロコさんに再会できるまでお父様はひとりでステップの練習をしながら待ってると思いますよ。
ご存じでしたか「百年の孤独」
本も読まれましたか?
私は、まだ半分ぐらいのところをいったりきたり…
メールが遅れていて申し訳ありません。
今日中に送信しますね。