WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

永遠のお別れ

2006-08-09 | 人生妙なり
今日は従兄弟の聖二くんの葬儀に、松山までいってきました。
先日の日曜日、野球の練習試合を終えての帰途から胸の痛みを訴えて、救急車で病院に運ばれたものの、容態は悪化の一途で、数時間後、帰らぬ人となったということでした。

特注の大きな棺の中でひんやり涼しそうにしている聖二くん。
告別式の2時間前に着いたので、お顔を見て、ほっぺたやおでこをぺたぺた触ったり、髪の毛を撫でたりしながら、ゆっくりお別れができました。
冷たくても、柔らかいほっぺただったなあ。
「おひさしぶり。相変わらず、顔、でかいわね~(生まれたときから)。よくぞここまで、でかくなったね~。どうしてこんなところに入ってるの? いったいどうしたのよ?」
亡くなった人のお顔に、こんなに遠慮なく触りまくったのなんて、初めてかも。
だって、子供の頃、ほんとに仲良しだったんだ。聖二くんは、優しくて大人しい男の子だったので、「男の子」っていう違和感がなくて、一緒に遊んでてほんとに楽しかった。「大人になったら結婚しよー」とかって2人で話し合って、「せいじくんと結婚する~」「たかみちゃんと結婚する~」とお互い母親に報告したこともあったっけな~。
そんな頃とちっとも変ってないんだもん。この寝顔。

葬儀の間も、火葬のあと遺影と遺骨だけになって、初七日のお膳の場に飾られても、これが聖二くんのお葬式なんて実感が湧かず、この参列してる人の中に聖二くんが、当たり前にいるような気がしてなりませんでした。

そりゃ、大泣きもしたよ。
それなのに、亡くなってしまった「実感」は、しゅるるぅ~~っっとすぐに彼方に遠のいていってしまう…

先日の記事で、「心筋梗塞」と書きましたが、喪主のお父様は、謝辞の中で「熱中症」とおっしゃっていました。
検査結果「心筋梗塞」や「脳硬塞」のような数値は全くなかったとか。
救急車で病院に運ばれて、息を引き取るまでの間の出来事は、ご家族にとってはあまりにも受け入れ難いことで、救急車が来てから病院までの措置、病院での医師のとった措置や、検査、診断、日曜日だったことなど、ひとつひとつ、悪い条件が重なってしまってここに至ってしまって、これが運命だったのだと、自分たちを納得させるしかない…というご様子でした。
私は、叔母(聖二くんのお母様)の話を聞きながら、彼の身体が大きいので、重すぎて救急車の隊員の人たちがストレッチャーに乗せられず、一度は倒れた聖二くんが自分で歩いて救急車に乗ったという話には、胸を締め付けれるようでした。
それ以前のこととしても、彼が長い間一人暮らしで、コンビニ弁当ばっかり食べて、ジュースばっかり飲んで、ヘビースモーカーで、健康管理を怠っていた。子供の頃からずっと野球をやっていて、身体は大きくて丈夫で、自分の体力を過信していた。当日も、朝から炎天下で野球の練習試合?を2箇所ハシゴして、水分補給も不十分だった…などなど。

あらゆる場面で「ここをこうしていたら、こんなことにはならなかった」…
ゲームじゃないけど、すべてが揃うと、いきなり「扉」が開く、、、みたいな。

終わったことは変えられない。
じゃあ、夢でもいいから帰ってきてほしいよ。
たった一度でいいからさ、語ろうよ。
私、高松に帰ってきたら、聖二くんともまた会って、やっとゆっくり、これからいろいろ語れるんだなーって、ほんとにほんとに楽しみにしてたんだよ。

…なんていうことも叶わないって、そんなの、これまでだって、いろんな人を見送ってきて、わかりきってるんだけど、残された人たちの、いろんな種類の「無念」は、
今生きている残された人たちの人生の中で昇華するしかないよね。

お通夜には、会場に溢れかえるるほどに若い人たちが弔問に訪れたそうです。

私が聖二くんの急逝からうけとったメッセージは、しっかりと心に留めておきます。




聖二くん、さようなら、そしてありがとうね。
Comments (8)
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