ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

銀以上

2012年08月06日 | 命の生き方
連日、五輪の話題で恐縮です(笑)。私は常々「プロ」と称する者は、ただ単にその分野の知識や技術に優れているだけではダメで、人間性も含めたすべての分野にバランスが取れている必要があると考えてきました。オリンピックでは、長く「オリンピックの出場者は、スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」という考え方が支配的でありましたが、今現在ではオリンピック憲章から「アマチュア」という単語は削除されているようです。事実上、金銭云々に特化した「職業人」という意味ではなく、「プロフェッショナル」(真の専門家?)達がその極みを競う大会として定着しているようです。

だから、技術はあっても、人間性がまだまだ稚拙な段階では、プロ足り得ないと思っています。それはオリンピックなどという雲の上の大会での話だけでなく、ごく日常的な様々な仕事・活動にもあてはめられるべき事だと思っています。

オリンピックは「勝つことではなく、参加することに意義がある」。と長く理想が語られてきましたが、その真意を歪めて理解してはいけないと思います。すべての勝負は「勝つ」ことに意義があります。但し「勝つ」ことが最終最大の命題であってはいけないのです。体操の内村選手は「一番大きな大会で一番いい色のメダルを取ったが、満足した感じではない。表現したい理想の体操がある。」と、自らの明日を吐露しておられるようです。彼の強さは「勝つ」ことが最大の命題ではないことなのかもしれません。

今回の五輪報道で、目につく表現に「銀以上」といったフレーズがあります。生理的に、好感が持てません。従来なら「決勝進出」などと報じられていたような気がします。その世界で、超一流の技を磨くには、人間としての葛藤を超える何かが無くてはなりません。そうした世界に精進を重ねて来られた代表選手の方々を、単にメダルの色分けだけでくくって報じることに、何かしら失礼ではないかというためらいを感じてしまいます。


新しいバージョンのファイルを読み書きするコンバータを落とす

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(pc_labo@mail.goo.ne.jp)をお送りください。