ぱそらぼ (ぱぁと1)

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内なる声

2008年09月23日 | 命の生き方
最近は「内なる声」を聞くことの出来る大人が減ったような気がします。私の言う「善悪の絶対音感」に留まらず、世の中に対しいつもキチンとした姿勢を貫ける人、何が正しいか判断のぶれない人、そして行動することを臆さぬ人、自分らしさの原点を心得ている人。

これからの若い世代にこそ、こうした「内なる声」を聞いていただきたい。きっと成長する過程で、どれだけ周りの「内なる声」を聞くことができたかに、大きなカギがあるような気がするのです。周りにこうした大人がどのくらい居るか、そういう人に巡り合うチャンスがあったかどうか、そうした意味で、私達大人の責任は大きいのです。

ある施設に問い合わせの電話を入れた方がこう話しました。「言葉は丁寧だったりはするのですが、心がこもってはいないのです。」応対した人の「上から目線」が丁寧な言葉の端々に散りばめられ、一方的にまくしたてられた感が強かったようです。思い当たる節があったりしますので、言われた方の一方的な思い込みと切り捨て難いものがありました。

強圧的な言葉を使うことは、咎められる場が増えました(←それすら、怪しい職場も少なくありません)。というか、決まり文句のように、使う言葉が定められている場合も多いようです。ですが定まったフレーズを口にしている限り、そこに「心が込められているか」否か、「相手を蔑む気持ちがあるか」否か、「相手の心を傷つける刃を含んでいるか」否か…は、指摘がしにくいものです。多くの場合上司ですら咎めにくいところがあります。

日々、どんな言葉を聴いているか…も、人格形成には大きな何かがあるように思います。世の中を生きていく力というのは、まるでテレビゲームやドラマの世界を見るかように、高見席で己が傷つくことなく身に付くはずはないような気がします。

王監督が退任を発表されました。爽やかな笑顔に心を救われながら、こうした方が現場におられたことの大きな意味を改めて噛みしめなければなりません。


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