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Facebook

2018年04月19日 | 社会派らぼ
実はここ数日、毎日Facebookの「友だち申請」が複数届きます。原因はおそらくは見当がついています。私はfacebookのアカウントは持っていますが、決してヘビーユーザーではありません。どちらかと言えば、Facebookは「居留守」タイプです(笑)。

元々、アカウントを作った動機も不純です。Facebookが何者なのかを知っておきたかった、それに尽きます。やりもしなければ、その良さも恐らくはその欠点も、見えては来ませんから。どのようなものかは知っておこうと思ったまでです。投稿するのは年に数回…といったところです。アカウントを作ってしばらくした頃に、学生時代のクラブの先輩から連絡をもらいました。同級生の投稿ものぞいてみたりしながら、Facebookというのはこういうものなんだな…と、チョットだけその雰囲気を味わいました。現在は、あるグループに入っており、連絡を取り合うメリットは十二分に感じています。

それでも、ここしばらくの「友だち申請」ラッシュには少々うんざりしています。当初、面識のない人からの「友だち申請」では、その方のページにお邪魔してから処理をしていました。一度、訪ねたページで、その人の「友だち」に名を連ねている顔ぶれを見た時、私と全く同姓同名の人ばかりが並んでいる事があり、ゾッとしたことがあります。もちろん、お断りしました。

今回、友だちの友だちに当たる人からのリクエストで、別段お断りする理由もなく、OKした人もあります。「友だちの友だちは、友だちである」という理念(?)は、ある意味では素晴らしいと思います。人との出会いには、その人の人生を変えるほどのものがあったりします。一生の中で出会える人の数など知れているわけですから、そうやって「友だちの輪」を広げるのは、もしかしたらステキな事じゃないか…と、最初の頃はみんなそう思ったと思います。

ただ「友だちの友だち」と本当の意味でつながりたくて、申請をしている人は、今回の私に関してはおそらくはいません。ただ、機械的に送ってみているだけ、中にはそこからビデオチャットをかけて来る人もいました。メッセージを「お友だちから始めましょう」と送ってくる人もいます。人生の長さは限られています。人によって長さは違うでしょうけれど、宇宙の何億光年ものスケールから考えると、どの人の人生も瞬きほどの時間でしかありません。その短い瞬きの間に、何をするのか…と考えた時、無駄な「友だち申請」をして、無駄に人と繋がっても仕方がないのではないだろうかと、思ってしまいました。

Facebookというものが、この世に登場し、計り知れない大きな未来を感じたのも事実ですが、それはやはり少し違っている…というのが、最近の感想です。人はやはり、生身と生身で出会って、その人の息吹に触れたいと私は思います。

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