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五体不満足

2012年06月25日 | 命の生き方
啓発ポスターで、「五体満足に生まれてくれて…」といった言いようは慎まなければならない、といった内容のものを見かけました。大変文字の多いポスターでしたので、キチンと内容を読み込む暇はありませんでしたから、私が勘違いをしたのかも知れません。

「五体満足」という言葉は、不幸にして障害を負って生まれた人たちを「不満足」だとすることだから、安易に使ってはいけない…といった内容だったと思います。至極当たり前のことを言っているようですが、皆さんに違和感はないのでしょうか。

不幸にして、生まれながらに障害を負って生まれたこと自体を「満足」だと思っている人はいないと思います。それは「不便」なだけであって、「不幸」なのではない…と、乙武氏も言われていたような気がします。当のご本人からしたら、まぎれもなく「不便」には違いがないのです。確か、乙武氏の初著書は「五体不満足」というタイトルの本だったように思います。

障害自体を蔑んだり、からかったり、忌み嫌ったり…することが間違っているのです。健常に生まれたことに感謝すること自体には、何の問題もないのではないだろうかと私は思います。世の中というものは、すぐに「言葉狩り」を始めます。「言葉」自体を狩る事には、何の意味もありません。その「言葉」に、籠める「意識」そのものが問題なのだと思います。


辞書に学習させたものを消したい

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4 コメント

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使い手の心 (やすむぅ)
2012-06-26 22:26:00
根っこは、ことば自体の問題ではなく、使い方、それを支える使い手の意識・心ですね。薬にもなるし、毒にもなる。ことばとして見えているのはごく一部で、見えない部分に、使い方や使い手の心も含めて大きな意味がありますね。ことばの教育の原点を大切にしたいと思います。
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教育 (らぼ)
2012-06-26 23:01:42
教育って本当に大切だと
つくづく思っています。
教育の原点にある「心」すら、
四角四面の「勉強」として
教えているのでは
本当の心は育たない…と、
そんな風に思います。

特に低年齢の子どもたちの
教育の現場に、
その人となりから、
人間としての「心」を
滲み出させることのできる
指導者が必要です…よね。
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なんとかしたいな (はむじろー)
2012-07-02 23:05:45
障がいのある人はストレートでイノセントです。時々ためいきも出ることもするけれど、癒されるときもありで、不思議な存在です。殺伐としたこの世の中に忘れさせてはいけない何かを伝えている役目をしているような気がします。障がいを持って生まれるであろう胎児を堕胎するのはいかがなものでしょうか?生まれてきても全うした人生を送れるような世の中なら堕胎されたり虐待されなくてもいいのに・・
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どこかで線を… (らぼ)
2012-07-03 00:59:20
どこかで「線」を引こうとすること自体が
間違っている…と、そんな風に思います。

以前、経験をしたことがあります。
重い障害のある方にパソコンを教えて欲しいと言われ、
果たして自分に可能だろうか…
はなはだ不安でお目にかかりました。
が、お目にかかったその一瞬で、
私の不安はすぐに吹き飛びました。

そして、その方が
「私って、可哀そうなのかな?」と
つぶやかれた時、
私は自信を持って答えられた気がします。
「悪いけれど?、私は
可哀そうだとは思わない。」と。

だって、あなたに障害がなかったら、
私はあなたに出会えなかった。
それでも、その方が
その障害に満足しておられるとは思いません。
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