ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

いかり

2008年12月12日 | 命の生き方
自分独自の確りとした考えを持てず、権威のある人に対してご機嫌取りをするかのように肯定的な返答しかできない人を、俗に「イエスマン」と呼びます。ハッキリと「ノー」と言えないタイプ。得てして、日本人は「イエスマン」だという風に揶揄されます。

人間は時として、ハッキリと「ノー」と言わなければならない場合があります。ただ単に流されるのでなく、確りと意見を持つということは大切です。間違っていると思うことには、キチンと怒らなくてはなりません。世の中のことは、まぁまぁ…と流しているうちに、気がつくとあらぬ所まで流されていたなどということは日常茶飯事です。

それでも更に、冷静に「いかる」ことと、無駄に「おこる」こととは意味が異なります。相手の言動が許しがたい時にでも、「いかる」ことは必要ですが、感情的に「おこって」しまってもさした実りは期待できません。子どもに対して「叱る」ことは必要だけれど、感情的に「怒る」ことは逆効果だと言われることと近いかも知れません。

事実にカッとなって思わず「おこって」しまっても、恐らく思うようなリアクションは得られないはずです。「おこって」しまわれると、その中には頷ける部分があるなと思っている時でさえ、思わず売り言葉に買い言葉。聴く心は閉ざされてしまいます。「いかり」はキチンと表明できるだけの説得力ある言葉と、誰しもが耳を傾けざるを得ない紳士的な態度と、なにより人が納得せざるを得ない論理性が必要です。そして意見の食い違いから、どうすれば抜けていけるかを模索する可能性に満ちていなければなりません。

自分の理性を見失うほど理不尽な相手で、冷静に話し合う余地さえないのなら、歩み寄って接点を見出すことができないほど自分を律することができないなら、むしろその場を去るべきかも知れません。これ以上ここに居れば、自分の品性を下げることになる。心底愛した場所でさえ、立ち去る覚悟が必要な時もあります。



PC Boosterで最適化?
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)で紹介しています。簡単なご質問も可能です。

閲覧には当方から発行する「ID」と「パスワード」が必要です。よろしければ、メールで(pc_labo@mail.goo.ne.jp)お問い合わせ下さい。24時間以内に返信します。