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私は忘れない、読了

2010-01-30 | 読書【読了】

有吉佐和子「私は忘れない」(新潮文庫)を読了。

硫黄島の近くの黒島(鹿児島県)での島の生活と辺境教育を扱った小説。

著者の初の新聞小説でもあるそうです。(映画化もされたようです)

実は黒島という場所は前から知っていたのですが、

小説(1960年代)の背景となる島の様子は中々衝撃的です。

現在は、観光によって生活の様子は変わったのでしょうが、

岩がゴツゴツとした断崖に囲まれた島という感じは変わらないのでしょう。

いつか南に浮かぶ島々には行ってみたいという願望はあるのですが、

実行には至らないのです。

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」(岩波文庫)もおすすめです。






火星大接近…

2010-01-28 | 天体観測

火星大接近だったそうです。

でも、昨日は生憎の曇り空でした。残念。

と終わるところですが、

実は一昨日、月明かりの下で、火星を観てました。

東の空にオリオン座が見えて、

その左下に何だかものすごく瞬く星があるなぁ、

と思って観ていたのが、シリウスでした。

かなりデカイ印象。

そして、もうひとつ気になったのは、その北側に真っ赤に輝く惑星が…!!

金星は文字通りに金ピカなので、こんなに赤い星で瞬いている惑星は、

火星しかないと思ったら、翌日の新聞に火星大接近の文字が。

でも、望遠鏡で覗くまでは気が回りませんでした。

やっぱり、疲れているとダメだなと思うのでした。

冬は晴れて星が観える日が少ないので、もったいなかったです。


北斗七星またはカシオペア座から北極星(暗すぎて観えない)の大体の位置を

探して、大三角形を見つけて、そこを流れるこれまた観えない天の川を想像しながら、

星の行く道を感じるのも、たまには必要なことです。







no value

2010-01-27 | 読書【未カテゴライズ】

最近はなぜか忙しい日々が続き、精神的にシンドイです。

どこか南の暖かい島で寝ながら本を読みたい…、

なんて事を考えては、ぼんやりしています。

うーん、病んでるな。


今、有吉佐和子「私は忘れない」(新潮文庫)を読んでいます。

「犬」(中公文庫)も併読中です。

今年の新刊での購入は、日高敏隆「セミたちと温暖化」(新潮文庫)のみ。

年明けは大抵、新刊で欲しいものは何も出ないので、仕方ないです。

ただずっと続いていた一月の本代1万円オーバーが止まりそうでほっと一安心です。




年明けて恋破れて

2010-01-20 | 読書【未カテゴライズ】

増田義郎「太平洋―開かれた海の歴史」(集英社新書)がおもしろい。

増田義郎はインカ帝国関連の書籍で知られる東大名誉教授です。

太平洋は海半球と呼ばれるほど広大な領域です。

あまりに広いので大航海時代にならないと東西で交流がなかったと

思いがちですが、そうではなく結構昔から、東西交流のようなものはあったとか、

徳川家康の時代には、南方から海流に乗って結構、外国船がやって来ていたとか、

歴史に疎い私には非常におもしろい話ばかりです。

こういう少し視点を与えることで歴史にはいろんな側面があるんだなと、

改めて思う一冊です。




楽園の泉、読了

2010-01-17 | 読書【SF】

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」(ハヤカワSF文庫)を読了。

新装版を読みました。

実は、「宇宙旅行はエレベーターで」(ランダムハウス講談社)を読んでいて、

クラークのこの作品の名前が出てきたので、

そう言えば、こんな作品あったかもと思っていたら、

いつの間にか新装版で2006年に出ていた一冊です。


小説としての中身は、何もありません。

宇宙エレベーター建設に関連するクラークの夢がいくつも投入されるのみ。

途中、スターグライダーの話が挟まるのですが、

いったいどうなってんの、この展開と思いながらも、

ついつい読み進めてしまいました。

ただ、やっぱりクラークの作品は私には優等生過ぎて、相変わらず退屈でした。







DQ9⑭ホイミテーブル

2010-01-17 | GAME

さて、懸案事項だった錬金大成功もホイミテーブルという荒業が発見されたために、

これにてDQ9は完全終了~、を宣言します。

以下、私が試してみて感じたことをメモ程度に書いておきます。


まず、下準備は「体当たり」でフィールド周辺のスライムベスに3人が突貫。

ちなみに、あとでホイミで回復することを考えると最大HPは多い方がよいです。

3人の名前がオレンジ表示になったら、

ルイーダの店で、そうりょレベル1を4人目に投入。

ここで、そうりょレベル1の経験値を0に保つことが重要です。

つまり、戦闘経験によって無用なレベル上げはさせない。

そして、首尾良く下準備が終わったらフィールドで中断して、電源を切ります。

電源を切ることで、リセットされて、解析サイトが利用できます。

この辺の理屈は、中断技と基本的に同じです。

(これでゲーム内の乱数表のスタートが揃うらしいです。)

さて、ここからがめんどうです。

excelを立ち上げ、現在HPを入力します。

そうりょレベル1のホイミで一人を回復します。

回復した後のHPをexcelに書き込み、どれだけ回復したかを引き算で求めます。

さらに、ホイミで回復、引き算を6回ほど繰り返します。

あとは解析サイトに6回の回復量を入力することで、ホイミテーブルが利用でます。

ただし、裸のそうりょレベル1のMPは14しかないので、

MPが0になったら、まほうのせいすいで回復しなければなりません。

目的の青か赤の数字になるまでホイミをかけ続けます。

ここで、ひとつ問題なのは、HPの回復が満タンになると

他の2人のどちらかにホイミをかけることになるのですが、

どうも違う人物にかけると、テーブルの進み方がずれるようです。

とはいえ、乱数表はすでに分かっているので、

適宜、見ながら目的のところに止まったら、カマで錬金します。

あとは、錬金大成功すると、乱数表でひとつ進みます。

連続で行うときは少し注意が必要です。


これで、漸く金色の悪趣味な最強武器防具が揃いつつあります。

ただし、各色オーブやげんませき、天使のソーマ、5万G(ゴルスラ狩り)、ほしのカケラ

といった錬金に必要なアイテムを集め続けるのが、

苦痛で仕方ありませんが…。






DQ9⑬対魔王戦②

2010-01-09 | GAME

さて、終わったはずのDQ9ですが、

漸くリッツ仲間入りまで配信クエストが進んできました。

まあ、顔キャラといっても、全く汎用キャラと同じなので、

育てる気はあまりしないのですが…。

はぐメタ狩りで、シールドの大ぼうぎょを覚えてから、

あとはひたすらメタキン狩りを敢行。

パラディン・戦士・バトマス・けんじゃ・ぶどうか、などの固有スキルで

ステータスの底上げをして、何の職業のレベル99に就くかを考える、

ただそれだけの問題です。


宝の地図関係では、モンスターや青い宝箱は終了し、

めんどうな魔王の攻略のみです。

魔王の攻略は、完全に作業です。

バトマス、パラディン、あとはだれでも可。

パラディンの超必殺技までは、ひたすらひっさつのおうぎをもって大ぼうぎょ。

超必殺技の発動後は、フォースかけのはやぶさ剣改とほしくずの剣のはやぶさ切りで

2~3ターンで終了。

必殺技ゲージが溜まるのを待つだけのヌルゲーと化します。

途中までは、個々の必殺技のみでも対応できますが、

攻撃が凄まじい魔王に関しては普通に攻略するのは不可能。


配信クエストは、このまま週1ペースではなくて、

当初の週2ペースに戻るのではないかと思います。

発売後一年も配信を待たないといけないのはどう考えてもナンセンス。

その間に、DQ6も出るわけだし、いくらなんでも引っ張り過ぎです。








公害と環境問題①

2010-01-03 | 教材研究

さて、昨年からずっと(というよりもその前からですが)考えてきたテーマについて、少し書いてみたいと思います。

それは“公害と環境問題の違い”です。

実は21世紀に入ってからというもの、【公害】という言葉は影を潜め、【環境問題】や【エコ】という言葉がたくさん並んでいます。前者は、病気・会社との訴訟問題など、高度成長の負の意味を表す言葉として持てはやされ今はあまり話題に上らない言葉です。後者はそれに代わり、90年代から急激に用いられるようになった、緑の地球を表す言葉として用いられてきました。この言葉使いの変換が、巧妙に行われた結果、今では公害問題が忘れ去られたような印象さえ受けます。でも、戦争と同じで公害の問題は今も終わっていないはずなのです。それは、今も病で苦しんでいる人が居られるからです。

しかしながら、私はそういう議論ですらも、机の上で考えているだけなのではないかと最近思うようになったのです。知識というのは確かに必要なのですが、それだけでは何もならないなと、思うようになりました。それだけ年を取ったからかもしれませんが、単なる小説的な感動よりも、もっと他に必要な感動があるだろうと思うようになったのです。具体的にどう行動すればよいかは、まだ思案中ですが、そろそろ頭だけではなく手を動かし、身体を動かす必要があるなぁと、個人的に思うのです。

話は戻るのですが、公害という言葉は、会社・企業という加害者がはっきり分かる場合に用いられ、環境問題という言葉は、個人個人が地球規模で加害者であり被害者なのだから、自己責任なんだよというあまりに、んなアホな、という意味で使われる言葉だといわれます。そう言われるとそうかな~とも思うのですが、環境科学と呼ばれる人達にしてみれば、公害は環境問題の一種である、というんだから、定義があまりにズルイ。だから、私は環境科学ではなく地球物理学を専攻したのですが、そろそろやっぱり逃げられないなと思います。健康や病気といったものを追っていくとどうしても最後は、食べ物と排泄物に行き着きます。要するに身体の中身は、まだまだブラックボックスで、生命現象は分からんことだらけ、ということに帰結します。そうなると、自分の口にしている食べ物はどこから来たのか、どういった環境でできたのか、と自然にそういった話題に目が行ってしまいます。長生きしたいとか健康でいたいとか、そういう思いが強いわけではないのですが、結局、生活に直結して来る話題に興味が行ってしまうようです。

今回のテーマの根底には次の3冊があります。

石牟礼道子「苦海浄土」(講談社文庫)
レイチェル・カーソン「沈黙の春」(新潮文庫)
有吉佐和子「複合汚染」(新潮文庫)

どれも、非常にテーマが重たい本であり、批判も多数あります。
あとはこれに加えて、岩波新書の公害問題関係のラインナップが何冊もあります。
こういった本を加えて、このテーマについて、少し考えていきたいと思います。