斎藤文一「アインシュタインと銀河鉄道の夜」(新潮選書)を読む。
アインシュタインに関しては諸作あり、
例えば、矢野健太郎「アインシュタイン伝」(新潮文庫)などがあります。
(少し前に生誕100年で復刊されたました。)
といっても、この本は同時代に生きていた宮沢賢治との関連を説いた本であって、
その辺が読むべきところであるようなのです。
アインシュタインの件では、かの天才“ニュートン”に通ずる部分が
やっぱりあるんだなと再確認しました。
(もちろんその仕事のみではなく、成功後の人生という意味でも)
宮沢賢治は、童話作家や「銀河鉄道の夜」のイメージが大きくなり過ぎていて
地質学者や教師としての側面をどうも忘れていました。
後付けの印象の方が大きくなり過ぎて、本来の姿を失ってしまうものだと、
改めて感じました。
それは、自分の根底に流れるものに“宮沢賢治”が深い潮流としてあることに
気付いたともいえます。
無意識的ないろんな選択に関与していた、
と今更ながら気付くわけです。
例えば、“理科”への架け橋であり、【SF】への入り口であったということです。
もちろん、すべてそれだけではないのですが、
誰かに聞かれたときには、ひとつの答えにはなるかもしれない、と思ったわけです。
だからこそ、詩集「春と修羅」は、この今読むべきかなと思っています。
人生が選択の連続で成り立っているとしたら、
正しいのか間違っているのかを、いつどこで誰がどうやって決めるのだろうか?
そもそも言葉や概念を越えた存在を想像することは
できるのであろうか、と。
アインシュタインの発想法そのものにある種の共感を覚えるとともに
“そのこと”を考え続けようと持続するにはどれだけのエネルギーが必要なのか、と。
深く深く2つのルーツを考える、誕生月なのです。