津島佑子『ヤマネコ・ドーム』(講談社)、読了。
というか一周目終了。
二週目読まないと、最近、純文学は頭に入って来ない。
ストーリーも登場人物もきつい。
ただ、この作家は繰り返し同じテーマを書くヒトだったなと
思い出すのみ。
帯が、あまりに野蛮な、表現であると思うが…。
再読しないとだめだわ。
津島佑子『ヤマネコ・ドーム』(講談社)、読了。
というか一周目終了。
二週目読まないと、最近、純文学は頭に入って来ない。
ストーリーも登場人物もきつい。
ただ、この作家は繰り返し同じテーマを書くヒトだったなと
思い出すのみ。
帯が、あまりに野蛮な、表現であると思うが…。
再読しないとだめだわ。
米澤穂信「リカーシブル」(新潮社)を読了。
これはいったい誰に読んでほしいのか?
ミステリ?何だろうな。
はっきり言って、全然おもしろくない、というかこちらが期待したものが何ひとつない。
分かってはいたけど、この作者の連載モノは総じておもしろくない。
ボトルネック何も関係ないやん、こう書かないといけない帯に問題あり。
同じ値段なら安部公房を買えばよかった、と思う…。
買う時も迷ったがやっぱりか…。
この著者のノンシリーズものはもう買わないでいいか、と思う。
とはいえ読んでてここまで印象に残らないとは…、再読します。
追記:3/3再読完了。
上の記述はちょっと厳し過ぎたかな、反省。
ネタ、オチともに分かってての再読なのでキャラの細部を楽しむことはできた。
閉鎖感は分かるが、それを打破する何かはないのか、作者の思いというか、読者への投槍感が最悪だ。
それが読後に何も残らない理由なのだろう。
それが判明しただけでも、よしとするか。
ボトルネック(45万部!?うそー)は6年半前、月日の経つのは早い。
テイストが似ているからこれと比べられるのも仕方ないがそんなことしても無意味だ。
ボトルネックは敢えての結末。
リカーシブルではそこにいけないので終着が難しい。
ただ、そこに作者の迷いが出ている、ここで閉鎖しているのは誰のせいなのか?
うーん、著者だけでなく我々もというところがファンとして最大限許せるところか。
ただ、この全く突き抜けていかない地方色をもっと何とかならんのか。
賛否両論あるとは思うが、もう少し何かしらの“救い”は欲しい。
“救い”があるのは主人公姉弟二人のこの先の人間関係であって、
物語や舞台設定ではないところに中途半端な感じがするのだろう。
結末で、包括的に人間・舞台設定が描き切れていないのだ。
最後、必要以上に逃げている感じがする。
(この作者、佐藤正午と似ているなと思うのはわたしだけかな?)
ミステリーというか2時間ドラマのサスペンスだな、この言葉がぴったり。
思いのほか酷評になってしまったが、もちろん次作に期待しています(何だかな)。
溜まっていた角川文庫版1~3巻を一日で召し上げた。
うう、やっぱり読まなければよかった。
6巻が最終巻だそうです、11月に出るそうです。
とはいえ、アニメ化が進行しているおかげで、文庫化は早そうです。
でも、いつになることやら…。
おもしろいと分かっていても、完全にお預け状態で困った困った。
ブーガンヴィルの世界周航記(岩波書店)が欲しいが、3600円と高い。
小銭が入るまでは我慢我慢。
とはいえ、文庫化してくれれば、それが一番なのだが…。
恒例の東京創元社の復刊は、
クロフツの「製材所の秘密」、ヴォークトの「終点:大宇宙!」の2冊のみ。
クロフツは人気あるはずなので、ガンガン復刊して欲しい。
ヴォークトは埋もれた作品が何冊かあるけど、コンスタントに復刊して欲しい。
現在、読書は、
内田百「冥途」(ちくま文庫)
ニール・スティーブンソン「クリプトノミコン2」(ハヤカワSF文庫)
とにかく、出張前までにはどちらかを片づけたいが…。
ジュール・ヴェルヌ「海底二万里 上・下」(新潮文庫)なんていう難物も控えているので、つらいです。
車中ではクロフツ一冊、クイーン一冊、あと何かSF一冊で限界かな。
暇そうなら、向こうで古典でも買います。
清原なつの、ハヤカワ文庫JAをコンプリート。
私の保健室においで…がなかなか見つからず、結局、amazonでぽちっとな。
最後の一冊に読んだためか結構、効いた。
基本ハッピーエンドじゃないのが、特に。
しばらくぶりに本棚の整理を敢行。
というか部屋の掃除も久々で、ゆっくりとした一日でした。
読書は、チェスタトンの「木曜日の男」(創元推理文庫)。
私的@倉橋由美子祭りは、エッセイに突入の予定。
あと「道の手帖 深沢七郎」も読みたいけど時間がない。
さて新潮文庫の刊行なんて待てるはずもなく、BOOK3を1時間ほどで図書館で一気読みしました。
感想は、なんだかな、なんだかな、としか言いようがないです。
3人目の視点がどうも意味なく、機能していない感じでした。
というよりも、その視点はある種、こちら側(読み人)が描かれているようで、
気持ちのいいものではなかった。
昔のエヴァの劇場版を思い出しました(映画館の観客が写ってるアレです)。
95年以降、そして911以降の、00年代の匂いを醸し出しているというのはもはや間違いはなく、
登場人物たちに記号的意味も何らの意味はなく、存在感は希薄なのだ。
そして、物語も単なるboy meets girlなのだ。
でも、それでいいというのが21世紀のこの今なのかもしれない。
大時代は終わりを告げ、個々の世界観に閉じこもるしかない、
つまらなく小さき世界の住人の慰めなのかもしれない。
物語は、意味を失い、閉鎖感だけが突き抜けている。
情報の並列化はある種の洗脳と怒りだけを生んでいる。
ディスコミュニケーション(ミスコミュニケーション?)という言葉で逃げるのは簡単だが、
何と何が戦うのか、意識をしっかり持って、進まないといけない。
それでも、生きられる世の中と言えば、聞こえはいいかもしれないが、
ズレたまま、進む危険性を感じる。
新しさとは何か、過去に取り込まれるのではなく、新たなものを作り出す。
時代はそろそろ、そんな天才を求めているのかもしれない。
われら凡人には理解もできない新たな地平が生まれる。
それは古き時代を塗り替える力を持っているのだろうか?
それは分からないが、今、世界や時代は誰かを求めている、そんな気がします。
(今日は何だか、神林長平風です…悩みが最近病的なのです、うー)
そういえば、やっぱりバットが出てきたね、金属バット(笑)。
一人暮らしには金属バットとスパゲティを茹でる鍋が必要なのかも。
村上春樹「1Q84 BOOK1・上下」(新潮文庫)、「1Q84 BOOK2・上下」(同)を一気に読了。
来月末刊行のBOOK3まで待つのではなく、
あえて同時に単行本が出た2冊から読むというのが、ある種の拘りがあってのことでした。
読んでの感想を一言で言えば、「おもしろくない」、だろうな、悪いけど。
アンチだからというわけではなく、読んでいるからこそ、何だかな~という感想しかでない。
物語としておもしろくないだけであって、ぐいぐいお話は読ませてくれます。
約1300ページを繰る手は全く止まりません。
そういう部分では、おもしろい、と言えるのですが、ただそれだけで、
この物語は今、求められていないな、という気がします。
まだ、2009年という時勢なら分かるが、この2012年に読む本ではないのかもしれない…。
作家としての成熟というより、幼さが露呈している感じが、もうダメです。
性描写ばかりで相変わらず、他人に全くお薦めできない作家ではある…。
3人称、という部分はいいと思います、地の文がネチネチしていなくて。
今更、思い出したかのような『愛』って何だよ(笑)。
作家が歩み寄ったのか、それとも今までの自分の作風を維持したくないのか、
たくさん変化は感じます。
主人公がバットを振らなくなったとかね。
でも、何だか中途半端な作品であることは否めない。
感じとしては『国境の南、太陽の西』に一番近いのかな?よく分かりませんが…。
BOOK3でその印象が変わることを祈るしかない。
私的@倉橋由美子祭りが終わり、
古い友達の影響で現在は、武田泰淳に移行中(すぐに終わりそうですが…)。
武田泰淳の「滅亡について」(岩波文庫)をようやく読み終えました。
途中は流し読みでしたが、人となりが分かるエッセイ集でした。
「身心快楽 武田泰淳随筆集」(講談社文芸文庫)も似たような構成だったので、
買わなければ良かったと少し後悔。
「司馬遷」(講談社文芸文庫)も買ったあと、講談社文庫版を見つけて、少々ショックでした。
とはいえ、今日、「風媒花」(新潮文庫)をゲットしたので、読んでみることに。
昭和29年発刊で、解説が三島由紀夫でした。
三島由紀夫については、「滅亡について」の中の「ささやかな感想―戦後作家の並立について―」で、
埴谷雄高「死霊」と三島由紀夫「獅子」との並立を指摘されている。
「獅子」は、三島由紀夫が生前、最後に出した自選短篇集に収録されているとのこと。
時間を見つけて読んでみようと思います。
いずれ「死霊」は挑戦しなければいけないのでしょうが、
今のところは、まだまだ先のようです。
でここからは、ちょっとした私的メモ。
3次元のxyz軸から、どうやって4次元のt軸を考えるのか?
これは3次元を無理やり、2次元の平面の中に収めることで、
4次元の時間軸を(3次元の原点が進む方向として)、取り込むという方法である。
(ガリレオのドラマの中で福山雅治が黒板に描いていた記憶があります、たぶん)
4次元(x, y, z, t)というパラメータで考えるというのは
あまりに数学的過ぎて、人間のアタマでは意味のない表現のような気がします。
x, y, zとtの間に等価交換は成り立たないので。
とくに3つという軸で空間を考え、認識するということ、
そこから導き出される(外されている)4つ目の次元は時間である必要性があるのだろうか?
(と言っても、時間以外のもので軸と成り得るものがあるのだろうか…)
あるいは、時間を認識することは、哲学的にも不可能なのだろうか、という疑問も出てきました。
そこでベルクソンの連続性かバシュラールの瞬間の美学か、
という疑問が湧いて、『詩とは何か』、を改めて考えさせられるのでした。
ちょっと量子力学なども調べていたのが悪かったのか、
しばらく悩む問題のひとつになりそうです、
この白木蓮の季節に。
私的、倉橋由美子祭りを開催中。
現在、「人間のない神」、「スミヤキストQの冒険」、「夢の浮橋」、「アマノン国往還記」と来ています。
あとは、「パルタイ」、「ヴァージニア」、「妖女のように」、「反悲劇」、「ポポイ」、「交歓」が本棚に残っています。
「婚約」、「夢のなかの街」、「城の中の城」、「シュンポシオン」は捜索中です。
今の時代を考えると、そうでもないのですが、
当時は時代にどう受け入れられたのか、というのは気になるところではあります。
小説としておもしろいかどうかは別として、
集中して読みたくなる作家なんだなと思います。
それが終わったら、クロフツをいくつか読みたいし、
太宰もいくつか読みたいし、
新書も溜まっているし、
多和田葉子の「雪の練習生」も読みたいし、
読書計画の建て直しをしないといけないのです。
初めて買った文庫は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と「注文の多い料理店」の2冊。
SFはグレッグ・ベア「火星転移」。その後、神林長平→大原まり子→梶尾真治の流れです。
その中で1995年くらいからの短い読書人生の中で、読み返したことのある本は何だろうかと考えてみると、
大原まり子「銀河ネットワークで歌ったクジラ」(ハヤカワJA文庫)
大原まり子「タイム・リーパー」(ハヤカワJA文庫)
の2冊がすぐに出て来ます。中学高校に読んでた本です。
今でも時々、読みたくなります。
そのつながりで、ヴォクト(武器製造業者ほか)やレム(星からの帰還など)も読みました。
ほかには、
神林長平「敵は海賊 海賊課の一日」「あなたの魂に安らぎあれ」
梶尾真治「おもいでエマノン」「OKAGE」
なども好きでした。
10代の頃に読んだ本では
立原えりか「妖精たち」
村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
篠田節子「神鳥」「聖域」
ポール・オースター「ムーン・パレス」
スティーブ・エリクソン「真夜中に海がやってきた」
ジェームズ・レッドフィールド「聖なる予言」
などが印象に残っています。というか私の人生観に強く影響を与えたであろう本です。
その後、
森絵都「永遠の出口」、「ダイヴ」
米澤穂信「さよなら妖精」
コニー・ウィリス「航路」
クリストファー・プリースト「奇術師」
梨木香歩「沼地のある森を抜けて」
佐藤多佳子「一瞬の風になれ」
などが20代前半で印象に残っている作品です。(これらは人生観には影響なし)
読み返すかどうかはこの先わかりませんが、たぶん記憶に残ると思います。
この中でオールタイムベストについて考えると…
何だかよく分からない方向に行きそうなので、リストアップに留めておきます。
たまに振り返りも必要です、特に3月ですし。
佐藤多佳子「聖夜」(文藝春秋)を読了。
やっぱり少し期待はずれでした…。
おもしろいのですが、私にはパンチが足りない。
ヒロイン天野は「のだめ」のイメージが精一杯でした。
パイプオルガンかー、聴いたことも見たこともないからな、、、
想像するしかないのです。