ワタクシが社会人になった年は、この国の高度成長期が終わり、それまで良かった理系の就職が急に悪くなった年でもあった。
そもそも社会に出て何がやりたいか、とか言う“青春期”の夢や希望はなく、関西アホボンの多くがノホホンと通う私学で、宇宙線研究室で一応卒論は書いたが、それ以外の成績は悪く、そんな理学部学生を雇う企業は、高度成長期の時代でも少なかったかも知れない。
ましてや「御社の#$%分野で、自分の〇✕△能力を発揮したいです」などと言う優等生的アピールを、「何ぬかしとんネン、企業は所詮、社員を搾取するだけのモンじゃあ」、と揶揄し蔑んでいたワタクシが出来るハズもなく、元々マジメに就職する気が合ったのかどうか。
いずれにせよ、何がやりたいかという希望がないのだから、何でもヤリますッせ、という事で、結局就職したのは船室艤装品メーカーの経理。偶然にも同窓で4歳上と3歳上の先輩が二人いて、ワタクシが入社して同大学卒業者が4人になった。
若い女子事務員はおらず、グループのリーダーは年齢不詳の女性だった。
会社の創業者で社長も女性で、父親が異なる3人の娘がいて、何やらヤヤコシイ雰囲気があった。
経理リーダーの女性は、創業時から経理を担当していた役員の義理の妹で、この役員は言わば創業者の“片腕”でもあったらしいが、辞めることになって、義理の妹だけは居残ることになったらしい。
創業者の“片腕”役員が辞める、という揉め事は、学生時代でも見聞きすることはあったが、社会人になってイキナリの実話。
まぁそれもオモロイやん、と思ったが、要は就職難時代の就職先は、ヤヤコシイ雰囲気満載の企業という事だった。
この船室艤装品メーカーは川重の協力会社で、メインバンクは第一勧銀。最初の口座は当然そこで作らされた。
その他、住友、大和、三菱、山陽相互、百十四、協和と、取引のある銀行とは全て通帳を作った。経理だから仕方ない。
作る時は、“御縁”を掛けて5円を入金するのが通例。外交担当がやって来て、開設依頼書に押印しただけで、数日後残高5円の通帳を受け取る、そう言う事もあった。
そしてワタクシの手元には、残高5円の通帳が数冊溜まった。
各銀行との口座開設が一応終了し、半年程経って、そこそこ付き合いの深い銀行から、クレジットカードのお誘いがあった。
それがあれば手元に現金がなくてもモノが買える、呑みに行ける。これは残高5円の通帳と違って、大いに役に立つ。
ワタクシはお誘いに乗って5枚ほどのカードを作った。
そしてそれは、買い物決済のまともな用途から外れ、キャッシングサービスに役立ててしまい、いつの間にか数10万の借金が出来てしまった。
それは配偶者にもバレ、結局その船室艤装品メーカーの退職金で返済することになった。
入社して10年目、造船関連はいつの間にか斜陽産業、そのメーカーも傾きかけ、別資本が入って来て、本社の土地建物を売却し、大阪の事務所と統合する、と言い出した。
ワタクシは経理から営業に移っていて、営業案件は先細り、客先でも暗い話しばかりの日々、いよいよ造船はアカンでぇ、と言う雰囲気が蔓延していた。
要するに、売り先がなくなって、結局売れるのは土地建物。
経営責任として何とかせよ、と言っても創業一族は既にそれらを売り飛ばしている訳であり、後は残っている社員を上手く整理するしかなかったのだ。
当時ワタクシは輪番的に組合の執行部になっており、本社売却、大阪移転に対しては条件闘争をするしかなく、大阪移転を理由に退職する社員に対し、退職金増額が支払われる、という事に落ち着いた。
そしてその増額退職金を最初に受け取ったのはワタクシだった。
ワタクシは借金を清算し、お付き合いで開設した残高5円の口座、全てを解約し、クレジットカードもほとんど解約した。
ワタクシの社会人になって最初の10年間は、何の役にも立たない通帳を何冊も作り、クレジットカードのキャッシングで、過払い金利を払い続けていた、おバカな10年間でもあった。
最初の口座の第一勧銀は、MIZUHOとなった後も使い続けているが、配偶者が管理していた旧富士もMIZUHO、親から相続した口座も旧富士でMIZUHO、いつの間にかMIZUHOの通帳が数冊溜まっていて、それらも社会人を辞める10年程前に解約。
そして信州移住前には、MIZUHOに残っていた投資信託も解約した。何しろ、安曇野にMIZUHOがない。MIZUHOに行くには松本まで出ないといけない。
MIZUHO神戸の担当オネエチャンは、この投資先は比較的安定しているので、残しておいてもイイのでは、と継続を勧めたが、MIZUHOがないイナカへ引っ込むので、と解約をした。
オネエチャンは、近くに店がなければ、インターネットバンキングと言うテもありますよ、と紹介してくれたが、どういうメリットがあるのか、よく知らなかったので、やらなかった。
と言うのは、その当時すでに、電気、NTT、ガス、スーパー等生活費、ほとんどの支払いはクレジット経由、MIZUHOに行くのは記帳のみになっていたからだ。クレジットは当然まともな使い方、もう収入がないのだから借金は出来ない。
安曇野でもほぼクレジットで、チョットしたものも、ネットで探して通販すれば、それでオワリ。
ところが先日、クレジットで買えないものがあった。と言うか、クレジットにすると手数料5%が掛かる、要は現金特価だと思って下さい、との事。
ナルホド仕方ない、と思った。しかし近くに郵便局はあるが、送金手数料が掛かる。MIZUHOでは手数料は掛からないが、松本までの交通費が掛かる。
いずれも大した額ではないが、そもそもタダだったモノに支払いが発生するのは、何かツマラナイ。
その時インターネットバンキングの事を思い出した。
と言うのは、MIZUHOの記帳で松本へ出るのもツマラナイので、MIZUHOのサイトから残高確認出来る様にしていて、それをよく見ると、ワタクシはインターネットバンキングに登録したことになっていた。
しかし、いつ登録したか全く覚えがない。取りあえずやって見ることにした。
まず「お客様番号」を入力せよ、ときた。これが判らない。すると再確認するには、「第一暗証番号」を入力せよ、ときた。これ、キャッシュカードの暗証番号と違うの?それなら“第一”とワザワザ言わないハズ。最近パスワードなどでよく使っている番号を入れてみた。
しかしダメ、何度か番号を変えてやってもダメ。段々ハラが立ってきて、結局フリーダイヤルを掛けた。
出て来たオネエサンのハナシでは、「第一暗証番号」は`05年8月に登録されていて、その後「お客様番号」が載った「ご利用カード」が書留で送られてきたハズです、との事。`05年8月とは、溜まったMIZUHOの通帳を解約した頃だ。その時ワタクシは「第一暗証番号」とやらを登録したのか?一体何のために?で、どうしたらエエの?
暗証番号の変更申込書を送るので、必要事項書いて送り返せとの事。「ご利用カード」は申込書着後2週間とか。
申込書は直ぐ届くと思っていたが、1週間後で、何かサッサと返送する気も起らず、1週間放置。結局「ご利用カード」が届いたのは7月中、インターネットバンキングをやろうとして1か月経っていた。
これで安曇野の森にいたまま振り込みが出来る。もし詐欺グループに騙されても、不審に思った行員に止められることもない。まぁ騙されて振り込む程の金はないけど。
しかし、数千円程度の寄付、カンパは簡単に出来る様になった。