昨日は御影の上にある老人ホームに、肌ブトン3枚、毛布1枚を持ち込んだ。 ワタクシが27歳まで棲息していた部屋から出てきたもの、古いが未使用(のハズ)。 この老人ホームは叔母が以前デイサービスを受けていた。 5月の終わりに階段下の押入れを片づけていて出てきた紙オムツ、尿もれパット、ゴミ袋2袋分、「要りませんか」とTELしたら引き取ってくれた。 その後毛糸一袋も。編み物が趣味の人が入居者の中にそこそこいるらしい。 「超」が付く程ではないが(失礼!)、そこそこ高級そうな老人ホームなのに、「頂けるンですか、アリガトウございます」、今回も快く引取って頂いた。 燃えるゴミになる運命だったモノが、あと少し役立っている。ありがたい。
時間はまだ9時半。帰るには早い。 梅雨時、失業者の一日は長い。取りあえず、近所の霊園へ。オヤジとオカンが入ってます。雑草引いて、オセンコ3本立てて、ナムアミダブツ。 それでもまだ残りは長い。 ブラっと走るか。 50m先のタバコ屋へセルシオで行くオジサンがいるらしい。歩いても数分のダイエーにワンボックスカーで行くオバサンもいるらしい。 ワタクシ、そう言う処へは歩くが、あてのない処へは車を飛ばす。 それが楽しい。
まず東へ山手幹線を芦屋、夙川と走る。その後R171に出て、門戸厄神から阪急沿いに仁川、宝塚南口。生瀬を通りR176。いつの間にかJR三田駅前に来ていた、さぁこれからどうするか。
ここから東北方向、後川方面へ走ると20年以上前、よく通ったサラダ工場があった。大手マヨネーズメーカーの系列だったはず、その年の売上の数ヶ月分がその工場立ち上げに伴うものだった。 工場長は船のエンジニアだったので、一般的なほとんどの機械を扱える、しかも何から何まだ自分でヤル、ナイスガイだった。 機械を納入した翌日、挨拶に行くと、今から設置し配線するとの事。 「お一人で、ですか?」 「ウン」 手伝うしかない。まだオイシイお付き合いが続くかも知れない。 結局夜中まで、その日の余ったポテトサラダを頬張りながら、スーツを着たまま作業に付き合った。 若かった。元気だった。どんな引き合いにも食らいつくダボハゼだった。 納めた機械は未経験的な要素も多く、不安も多かった。しかし、調子よく動いていて、別の工場が出来るときにも、ほぼ同仕様のものを採用してくれた。
その数年後、工場が閉鎖された、と聞いた。 理由はO175の影響で、惣菜産業の先行きが怪しい、との経営判断、と聞いた。 今どうなっているンだろうか。
有馬富士の裏側にまわり 集落の角を曲がって進むと 建屋はまだあった。 しかし誰もいなかった。不安を伴いながら機械を納めた搬入口はシャッターが閉ざされていた。
夢のあと、だった。
その後、JR相野駅に出で、吉川、東条と山田錦のタンボをの中を突っ走り、三木、西神中央をかすめ戻ると、まだ14時前。 あぁ、一日は長い。