奄美大島の豪雨による被害、誠にお気の毒です。
停滞する秋雨前線と台風との相乗効果によって発生した、離島では非常にまれな現象らしい。
過去に例のないエリアにも豪雨の被害が出る、そう言えば都市型水害とか言うのも最近言われ出した災害だ。
ちょっと前までは、豪雨で崩れた斜面は杉やヒノキの植林された山に多かった。
林業の振興で杉、ヒノキ植林したのに、安い輸入材に市場を席巻され、森林は放置、山は脆弱になり、大雨で崩れやすくなった、と解説されていた。
しかし、今回の奄美大島では自然林が崩れている。 自然のままの山を崩す程の豪雨。1時間に50ミリ以上降れば豪雨と言うらしいが、今回は130ミリを超えたとか。
石油ボンボン焚いて、溢れるほどドンドン製品作って、冷暖房ガンガン効かせて快適過ぎる生活して、その結果、地球の温度を上げたせいだ、とワタクシは思うンですけどねぇ。
とにかく急斜面の近くには住まない、河のそばにも住まない。 大雨が降りそうな日には地下街で買物をしない。 どうしても、という場合はそれなりの覚悟をする。 生命保険を増やす。 遺書を書く。
決して大げさでもなく、冗談でもない。 そう言う時代だと言う覚悟が必要なだけ。
しかし平均寿命は延びている、ご心配なく。 ラッキーな人はそこそこ長生き出来る。
ところで、ワタクシが育った布引谷の集落も、43年前の豪雨 (北摂豪雨の日)で、山が崩れ、多数の被害者が出た。村の上部に出来たゴルフ場の、無茶な開発が原因と言われている。 今はそこに布引ハーブ園があるが、そんな悲惨な出来事を知る人はほとんどいないと思う。
オフクロが亡くなった後、ワタクシはここへ戻るつもりで色々準備していた。 当初の予定ではもう改装工事は始まっていて、今頃は地下駐車場が出来ていた。
しかし、以前から気になることが最近更に気になって、今は何も進んでいない。
幼稚園から20年以上通った通学路、通勤路、これは布引・新神戸から市が原に至るハイキングコースだか、そこで見える「モノ」の変化が気になる。
見えなかった「モノ」が見え、見えていた「モノ」が見えなくなった。 それは不気味だ。
玄関から南側の景色。 家の前から続く車道、100m程先の人、車が昔は見えていたが、木々に覆われて見えない。
しかし、下のハイキングコース:かつての通学路は見える。 昔は雑草が茂って見えなかった。
ここは布引貯水池の堰堤の下。
南東方向に対岸の車道のカーブ、突き出た余地に、夜は停車している車のライトが見えた。 百万ドルの夜景を見ながらカップルがイチャイチャしていた、はず。
今はその上を通っているゴンドラが見えるだけ。
新神戸駅から15分登った所にある、展望台そばの監視小屋跡からは三ノ宮、ポーアイが展望出来たが、もう見えない。
この小屋で上流の水源地への侵入者を監視していたらしい。 戦前の話しらしく、ワタクシが通っていた頃は既にその機能はなかった。
いつもここで休憩して、街を眺めていた。ポーアイが段々広くなっていくのも確認できた。 (ハイカーさんは、左の展望台へ行けば今でも見えますよ )
展望台下に続く通学路のコンクリート面が、今は木々を透かして見える。
中学生の頃、展望台下のこの斜面で自殺死体を発見した。 当時は雑草が生い茂っていて死体は覆われ、登校時のワタクシが、偶然第一発見者となった。
数十年も経つと木は成長する。 実が落ち、芽が出て灌木が増える。 それらにより見えていた「モノ」は見えなくなり景色、主に遠景は変わる。
それは仕方ない事だか、気になるのは成長した木が陽を遮り、その下の斜面に雑草が生えなくなることだ。 雑草で見えていなかった「モノ」が見える。 雑草が生えなくなって、山肌はカラカラ、明らかに痩せている。
植林した後放置された山の状態と同じだと思う。 こんな状態の斜面に大雨が降ったらどうなるんだろうか。
兵庫県南部にも大雨の公算高く、注意が必要、という予報が今年も多かった。 が、幸い大した雨は降らなかった。 ゲリラ豪雨の被害はあったが、43年前の様な半日も続く大雨はしばらくなかったはずだ。 しかし、ソイツがいつ来るか判らない。
布引谷への完全移住、現在ためらってます。
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