蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

壊れ行く頭と頸

2019-12-09 11:10:01 | 信州安曇野での出来事

今年は雪山シーズンが終わって直ぐ、次のやるべき事に取り掛かった。ダラ~、デレ~っとなる前に、始めないと、終わらない。

先ずは、隣人の杣人・Mさんに「やっといた方がイイ」と言われた山ウルシの伐採。
山ウルシは雪融け時は目立たないが、その後若葉の季節に勢いよく生えだし、夏にはウッソウとした低木の群れとなる。ワタクシは次年も生えないように抜根した。しかし、ヤツらは抜かれる前、ふんだんに種をまき散らしているので、どうせ1年後には小さい芽を出すのだが。
次は残っている2つの切株。ナンセこれを片付けないと落ち着かない。それが終わったのは8月半ば。3年越しで、切株を全て解体し燃やし切った。

ここまではヨカッた。

しかしその後は雨続き、雑草は生え放題、虫は湧き放題。次にすべきコトは、まぁ色々あったが、結局ダラ~、デレ~っとなってしまった。
昼前に起きて、その後もウトウトし、ワタクシは死んでいるのか、生きているのか。判らないまま死んでしまっても、それすら判らない。

取りあえずは、死ぬ前に棄てれるモノは棄てよう。

しかし、元来モノが棄てられない性格。いつか使うコト、見るコトがあるかも、と思って仕舞ってしまう。ただ“仕舞う”と言うのは、“忘れる”コトでもあり、結果的に棄てたと同じになってしまう。

棄てる為に色々整理していると、棄てたと思ったものが出てきたりもする。バカバカしいハナシだ。
棄てたという認識は、棄てる場面を覚えているコトだった。つまり、その場面を覚えていないのは「どっかいった」というヤツで、モノが勝手に何処かへ行くことはないので、仕舞った場所を忘れているだけのハナシ。最近は特にそれが多い。

9月下旬、「どっかいった」モノが2つ出て来た。もう棄てたことにしていたモノだ。どちらも棄てた場面を覚えていない。しかし、ないので、棄てたコトにしていた。結局ヤツは出て来た。
申し込んだ記憶がなかった、インターネットバンキングのカードも出て来た。銀行から送られて来た書留の封筒に入ったまま、10年以上経っていた。

実はここへ引っ越す時に、かなり棄てたつもりだった。しかし時間切れで、段ボールに放り込んで信州まで来たものが2箱あった。その中には12年前まで勤めていた、特殊機械メーカーから与えられたモノが多かった。
11月初旬、それらは棄てると言うか、燃やした。少しはスッキリした。

そしてその日、ここへの引っ越し時に棄てたのかも、と思っていたヤツに気付いた。
それは20年ほど前から使っている外来語辞典。B5サイズのペーパーバック、チョットやソットでなくなるモノではない。数センチ厚のハデな赤の背表紙なので、本棚でもなかりの存在感だ。
それが数ヶ月前(?)から、ない。アチコチ何度も探したのに、ない。
今や判らないコトバは、辞書を開かなくてもネット検索で済む。それがなくてもなにも困らない。よって引っ越し時に棄てたことにとしていた。
それが本棚の下段の隅に“鎮座”しているのに気付いた。ここは数ヶ月前(?)から何度も探した所であった。

箱の中や袋の中にあれば、出て来た、見付かったとなるが、これは眼が届く場所にあったのだから、気付いた、となる。なんで今までソイツの存在を認識できなかったのか。ワタクシの頭が壊れて、認識する能力がなくなったのか。

探していた時にあれば、出て来た、見付かった、ヨカッタとなるが、この一連の事象はないと諦めたモノがあった訳で、ヨカッタ感覚など全くなく、腹を抱えて笑うしかなかった。
棄てようとしている場面なのに、棄てたはずのモノが出てくる。逆にモノが増えるのだ。ワタクシは一体何をしているのか。ワタクシは棄てたハズのモノに埋もれて死んでいくのか。 

 11/18、クヌギが散り始めた。

 11/19、葉が落ちれば、北側の何本かを南側に移植したい。

 シロウトが移植出来るのは、高さ3m程までらしいが、広葉樹は根元で切っても萌芽するので、バッサリ切って植え替えて見ようと思う。

11/20、やはりワタクシは頭が壊れていて、認識能力が欠如していた。

定期的に買い出しに行く近所のスーパー。これまではカゴを提げて、少々大きいモノ、重いモノも抱えて、支払いし、車に積み込んでいた。
それが数ヶ月からカートを使うようにした。それは楽だった。周りの客も、老弱男女、全てカートを押している。
その日も、カートのカゴに色々放り込んで、酒瓶はカゴに入らなくなったので、カートの枠に寝かして置いた。枠から外れると床に落ちるが、落ちない置き方があるのだ。
そうしてセルフレジへ行き、普通にレジを済ませ、またカートの枠に酒瓶を寝かせた。すると「ゴン」、酒瓶は枠を外れ床に落ちた。
「ナ、ナンで?」、ナンで落ちない置き方をしなかったのか、ナンでそれを認識しなかったのか、ナンで?

酒瓶は薄い化粧紙袋に覆われていたので、瓶が割れたかどうかはすぐ判らなかった。しかし持ち上がるとボタボタ漏れて来た。
ワタクシは再度、枠から落ちないようカートに置いた。レジの順番を待っている後ろのオバサンが、「モッ、漏れてますよ!」と騒ぎだした。レジ周り、床は漏れた酒まみれになりだした。

出口の係のオバサンに、「これ、どうしたらエエですかねぇ」と酒まみれのカートを指した。
「アラ、大変!」、セルフレジのアチコチの客がオバサンを呼び始めた。
オバサンはレジ周りを拭きながら、アチコチに連絡し始めた。モップを携えて掃除のオバサンがやって来て、直ぐ床を拭き出した。
別のレジ係のオバサンがやって来て、漏れ出している酒瓶を段ボールに入れた。しかし直ぐ浸みて段ボールも酒まみれになった。
もう一人のオバサンも駆けつけ、身を屈めて床を拭き出した。「今日はタイヘンだねぇ」と客のオッチャンが声を掛けて行く。
マネージャーと思しきオニイチャンが、別の方向から飛んで来て、オバサンに「代わりの品、持ってきて」と指示され、酒まみれの瓶の銘柄を確認し、倉庫へ飛んで行った。

さてこの事態は、どのように収拾されるのか。その原因を作ったワタクシは、ボォ~っと皆さんの動きを眺めていた。客は手を出すことは出来ない。

やがて、マネージャーと思しきオニイチャンが酒瓶を抱えて戻って来て、「どうぞ、お持ち帰りください」、「エエの?、コッチの不注意でもあるけど」、「イエ、お持ち帰りください、どうぞ」、足元では数人のオバサンが、身を屈めて床を拭き続けている。ゴメンナサイネと声を掛けて車に戻ると、場内放送が聞こえて来た。「レジ応援お願いしま~す」、床を拭いていたオバサンは、レジのオバサンだったのか、レジへ戻れとの業務連絡の様だった。

とんだ騒動をやらかしてしまった。

自分が何をしようとするのか、何をしているのか、それが認識出来ない時は、出歩かない方がイイかも知れない。行為の認識が出来なければ、注意事項も判らない。

 11/21、落日に透かされたクヌギも美しい。

 11/23、落日に照らされたクヌギも美しい。

移植するクヌギはもっと小さいので、作業はできるが、実は10月中頃から頸が痛い。反らすと痛い。立ったまま、何かを覗き込む様な姿勢を取ると痛い。座っていても、腰を屈んだ姿勢でパソコンを操作すると痛い。
この症状は何年か前にもあった。とにかく首を反らすと痛いので、ロードバイクに乗れなかった。
その後、山スキーシーズンとなり、ホワイトアウトの自然園を滑っていて、左側の段差に気付かず、左肩を下にしてドスンと落ちた。
柔い衝撃の後、ホワァ~ンと肩周辺が温かくなり、その後首は痛なくなった。理由は判らない。気のセイかもしれない。

いずれにせよ、移植作業は12月に入ってからすることにする。

11/24、枯れ落ちた枝を集めて燃やしていると、南側の私道から軽トラが入って来た。中から出て来たのは民生委員のオジイサン。
やっとたどり着けた様子で近付いて来て、首にぶら下げた身分証を見せ、安曇野市からの依頼で、一人暮らしの高齢者の、連絡先を調査しているとの事。
高齢者と言われ、直ぐにはピンと来なかったが、65歳になれば高齢者だそうだ。調査票を渡され、強制ではないらしいが、要するにワタクシが孤独死した時に、葬式をする親族(?)を書けばイイらしい。後日回収に来るとか言われたが、オジイサンに2度手間は気の毒なので、その場で神戸の連絡先を書いた。

これでいつ孤独死しても、一応配偶者には連絡される、という事なる。