呑んでヘペレケになった後、遠くへ旅する人がワタクシの周りに何人かいた。主に加古川や姫路にスィートホームがある人だった。
三ノ宮で呑んだ後、九州行き寝台列車に乗ってしまって、広島まで行った人、下関へ行った人。彼らは西の各地へ深夜の旅をした。
関西圏で行ったり来たりした旅人もいた。
枚方へ帰るのに三ノ宮から高槻行き各停に乗って高槻まで行って、大阪へいったん戻ろうとして西明石まで行って、また高槻まで行ったおバカ。ナント3度、乗り換えの大阪駅に近付くと寝込んでしまった、と言う訳だ。
キミは大阪を乗り過ごすのが趣味か。
「イヤ、フツーはチャンと乗り換えてますよぅ、その日はかなり酔っ払っててェ ・ ・ ・ 、結局その後電車なくて、タクシーで帰ったンですよぅ、淀川渡ったら直ぐ枚方ですしネ、最初からそうすりゃよかった、エヘヘ」
その日はたまたま一緒ではなかったので、彼がどれくらい酔っ払っていたのかは判らないが、この逸話はたちまち社内に伝わり、それまでも「変人」のホマレ高かった彼を「大変人」にした。黙ってれゃよかったのに。
ワタクシ、布引谷に住んでいた30歳前までは、酔っていようがいまいが帰宅するのに交通手段を使う事はなく、お金のない学生の頃はヘベレケでも歩いて帰った。
従って、酔っ払った後の旅はなかった。
しかし、途中でよく寝た。
通勤路は市ケ原、再度山、摩耶山に繋がるハイキングコース、横になれるベンチはいくらでもあった。
月給取りになると、時々タクシーにも乗ったが、ナンセ深夜の山の中、帰りの客は見込めないし、とにかく物騒、乗車拒否はしょっちゅうだった。
事情を知らない運チャンの車に運良く乗っても、行き先が山の中のとんでもない所だと言う事が判ると、途中でよく降ろされた。
道路の谷側には当然ガードレールがある。それが丁度腰を降ろせる高さと巾のコンクリート製。タクシー降りて少し歩いて、眠たくなってそこへ座る。そして横になる。寝込んでしまう。
気が付くのは寝返りを打ってそこから落ちる時。幸いいつも道路側。谷側へ落ちて、斜面を更に転がり落ちることはなかった。
ある夜、幸い家の近くまでその夜の運チャンは乗せてくれた。家までは後数100m。
しかし途中の路上で寝てしまった。しばらくしてオヤジが車で帰って来た。
季節は夏。度々浮浪者(今はホームレスとか言われる人たち)が涼みに登って来ている。オヤジはまた浮浪者か、と思って窓から路上就寝者を覗きこんだ。
「ホンなら、我がムスコやぁ、あれは情けなかったわぁ」、後日親戚との酒席で、あきらめがちにそう話していた。
オフクロはもっと情けなかった様で、オヤジからの話を聞いて直ぐ懐中電灯を持って走って来て、「アンタっ!ホンマこんなベロベロになって、もうナサケナイッ」、半泣きでワタクシを脚でこついでいた。
まァ大した出来事ではない。
もっとスゴイこと、色々やっとったでぇ、と呑んだ後日良く聞かされた。「よう、あれでKサツのお世話にならンかったモンやわぁ」
毎回、酔っ払ってヘペレケになって何時間か経って、次に眼が覚めるまで、いつも記憶が飛んでいた。
その間、逮捕もされず、反社会的組織と呼ばれる人達にボコボコにもされなかったのは、オフクロが言う様にオバアチャンが守ってくれていたのかも知れない。
その後、垂水に住むようになってから、何度か西明石まで旅をする事があった。各停にさえ乗れば、網干や赤穂に行くことはない。
しかし、初めて西明石で目が覚めた時はショックだった。
「イヤ、ここまで来て垂水へ帰られる方、沢山いますよぅ」、タクシーの運チャンにそう慰められた。
しかし遂に、東京からの会議出張帰り、姫路まで行ってしまった。
八重洲地下で仲間と呑んで新幹線に乗って、乗ってからも呑んで、名古屋で豪傑が一人降りて、大阪であまり呑めないノのが一人降りて、後残るのは新神戸で降りるワタクシと部下の二人。
新神戸までは20分弱。しかし、二人とも寝入ってしまい、眼が覚めると終点の姫路。戻る電車はない。
部下はソソクサと改札を出て安宿を探しに行った。
ワタクシは構内をフラフラして、結局コインロッカーの中で始発まで待った。
大きな荷物が入れられる、コインロッカーの下段の箱。中はそこそこ温いし、適度な拘束性があり数時間なら座って過ごすことは出来た。当然脚は外。
しかし、まぁまぁスリムでまずケツが入らなければダメ。部下はケツがデカイのでまず入れなかっただろう。
翌朝、上りの始発で新長田まで行き、地下鉄に乗り換えて帰った。いつもの定期で電車に乗るパターンに戻っていた。乗る方向はいつもの朝とは逆だったが。
そして、ワタクシの奇行がまた一つ知れ渡った。「コインロッカーの中で寝たそうですねぇ、寝心地どうでしたぁ、へへへぇ」
呑んだ後の謂れなき旅は、会社を辞めた後も続く。
昨年末は明石まで行った。
しょっちゅう自転車で走っているエリアだから、歩いて帰るのは大したことではない。R2沿いの歩道をヒタスラ歩く。
気が付くと若いオマワリサンに起こされていた。「ダイジョウブですかぁ?」「エエ、多分」「それなら気を付けて帰って下さい」
保護はおろか、何の心配もされなかった。
そして、今週木曜日、京都の手前まで行ってしまった。
その日、我が登山と酒とジャズの師匠でもあり、先輩、そしてザイルパートナーでもあったチッチャイおっちゃんと、チッチャイ者同士でン年ぶりかに呑んだ。
大久保のショッピングセンターのフードコートで、スーパーで酒とツマミを買って15時から呑み始めた。
この人と呑み始めると、ワタクシは完璧に自由になる。足カセなし、赤信号なし、コワイもんなし。
そして何時に、どんなシチュエーションでバイバイしたか覚えていない。
気が付けば、空いた快速のボックス席で脚を伸ばしてリラックスしていた。ここはどこ?
次に停まった駅で取りあえず降りた。島本と言う駅だった。次は山崎となっていた。あ~ぁ。
その後来た下りに乗ったが大阪止まりだった。次の下りに乗らなくっちゃ。
「もう電車ありません、終電おわりました、とにかく一旦駅、閉めますので出て下さい」
大阪駅は最近新しくキレイになったそうだが、冷たいモンである。
ホームから連絡通路に下りると、ナンカか昔見た光景。そこは昔、度々夜行に乗ったホームに続いている。そのままツツツっと進んでホームへ上がる。
ここから何度、信州や富山行きの夜行に乗ったのだろう。「ちくま」「きたぐに」、直ぐにそんな急行がきそうな気がした。
フト、先を見ると煌々と明かりが灯った待合室。トトトっと歩いて中へ入ると温い。ベンチに座ると心地よい。スゥーと寝掛けたら、「お客さん、お客さん、閉めますので出て下さい」
その後、大阪駅の周りをフラフラしていたが、どこをどう歩いたかは判らない。雨が降り出して、外は寒かった。
新装開店したらしい百貨店の庇の下で、男女入れ乱れた若者が、カラフルなシートを敷いてワイワイ楽しそうにダベっていた。彼らも終電を逃したのだろうか。
駅の大きなホテルの裏口は開いていて、ティラウンジで過ごせないかと入ってみたが、夜用(?)のフロントのニィチャンには全く無視された。
結局、コインロッカーが並んでいるエリアに辿りついて、以前の姫路駅の時の様に、大きなロッカーに潜りこんだ。
しかし、直ぐガードマンに起こされた。「おはようゴザイマ~ス」
4時過ぎだった。
始発は5時。取りあえずキップを買って構内に入った。
小便に行って、手を洗った後、ハンカチがないことに気付いた。その夜の奇行の唯一の遺失物だった。
5時の始発はそこそこ人が乗っていた。終電を逃したおバカは少なく、朝イチで仕事に出かける働きザカリがほとんどの様だ。皆さん、大変だぁ。
今度はもう垂水駅を乗り過ごすことはなかった。
今回の謂れなき旅の終わりは、まだ夜明け前、暗かった。昨夜の続きの様だった。