おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

癌という病気とどう向かい合う? 3。

2005-03-29 17:55:26 | 我思う、故に書くなりよ。
どうも本当に末期の肺ガンで、手術は出来ないらしい。

おまけに9ヶ月前に撮ったレントゲンにはそれらしい兆候が一切無いって言うから、僅かな間にあっさりと進行していたワケである。ただ、治療してみないと判らないので、4月の上旬には入院出来る事になりそうだとの話だ。

まぁ、ここから先は医者に任せる他にない。ただ、任せっきりは後々、後悔が残りそうなので、当人と良く話し合って先を進めたら良いとは思う。

とか何とか書いていたら、いきなり入院が明日に決まった。早く入院出来る事は良いのだけれど、いきなり明日と言われても、そりゃ慌てる。まぁ、持って行く荷物はたかが知れているし、入院という事を全くしていないワケでもないので、入院セットを久々に引っ張り出して点検するくらいの手間だと思うけど。

取り敢えず、少しは現状が判明するのが近づいた。なかなか入院出来ないでいる人も多いと聞くので、あーだこーだ心配するよりは心情的にも良いと思う。

何よりも、正しく現状を知る事。話はそれからだ。やたらと母は、癌で亡くなった人の話、生き残った人の話をしているが、父のそれと同一に考えるのはいかがなものか。肺ガンと言う枠でくぐればまだしも、胃ガンや乳ガンなどは全く別物だし、治療も薬も違ってくる。

やたらと親戚が来るのも考え物。父の希望でそうなったのか知らんが、すでに2~3家族来ている。末期の癌だからとの事だろうけれど、何も詳しい事が判ってもいないのにあーだこーだ言われるのもどうかと思う。

ちなみに、この親戚連中は親戚の誰かの「葬儀」以外に滅多に顔を合わせる事が無い。それゆえ、私は不吉だと思っているし、親戚だからどーのこーのと言う感情は一切無い。従兄弟、従姉妹もきっといるんだと思うが、全く縁がない。かなり小さい頃の記憶しか無いので、会った所で判るまい。遠くの親戚よりも近くの隣人って事だね。

そんなこんなも含めて、父の闘病がこれから始まる。はて、闘病なのかどうか? それすらもまだ決まっていないが、恐らくそうなんだろうと。息子としては無理に闘うのもどーかと思うのだが、何かしらの抵抗にチカラを注ぐワケだし…。

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