おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

地震もなぁ…。

2005-03-28 00:18:14 | 我思う、故に書くなりよ。
ここの所、テレビで地震の特集が続いていた。

あんまり深く考えもしないで見ていたけれど、震災が起きた後の「暴動」までちゃんと扱っている番組もあったので、なかなか興味深かった。建物が壊れるとか、火事が大変な事になるとか、インフラがダメになるとかって事はどこでも扱うんだけれど、人間の本性がむき出しになるってのはあんまり扱わない事が多く、ある種「弱肉強食」な世界が繰り広げられない物として、話が出来上がっていたフシがあるんだけれど、どこの震災だって本当に怖いのは「暴動」またはそれに類じた問題でもある。

食い物が無くなれば、人から奪うだろうし、合法的に奪うヤツもいないもんだしなぁ。

そう言うダーティーな話題が出て来ないのもおかしいワケで、ある意味「無法地帯」がそこに現れてしまう事を隠してもいかがなものなんだか。大震災だからおとなしくしているってばかりじゃなく、コレ幸いに暴れ回る輩も必ずいる事を考えないといけないし、世の中善人ばかりであるワケも無い。

通勤難民となり、1晩2晩かけて家に徒歩で帰るなんて事は、カモがネギ背負って歩いているか、カモを探して歩いているかどっちかにしかならないなんて事にもなり得るワケ。

災害復旧と共に、治安維持を考えておかないと、えらい事になるワケで、勝手に自衛手段として護身用の何某かを持っていたい所だけれど、勝手に持っているだけで「捕まる」というお国柄もあるわけで、襲った者勝ちなんだろうなぁ。

そういう事が起きない前提として話を進めると、大震災はよりいっそう厳しい物となる。地域で連携が保たれているコミュニティみたいな物に属していれば、そうならないとは思うけれど、数百万人が通勤難民となってしまうワケだし、そうしたコミュニティがプライバシーを建前に崩れていたりもするので難しいだろうしねぇ。

村でさえ、避難所の体育館の床の奪い合いが起きるワケだから、都会でそうなったら押して知るべし。震災と共に、ルールまで崩れては到底困る。ルールを崩さない様に努めるのは、人の良心に頼るしか無いワケで、なんだかとても期待出来そうには無いねぇ。

その辺まで踏み込んで「防災」って事なんだと思うし、もっと深く踏み込んで語られても良さそうな気がするんだが、火事やら、揺れやらの話ばかりだったのが、これまでだと思う。そろそろ、語られ始めないと遅きに失する何て事になりそうだと、思うなぁ。

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