おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

テレビのチカラ。のチカラ。

2005-03-02 09:56:20 | 我思う、故に書くなりよ。
超能力はさておき…。

昨日辺りからちらほら報道されている大阪の失踪女性の話って、あの番組でだいぶ突っ込んでやってた件だと思うんだが…。

あの番組で取り上げなかったら、きっとこのまま「失踪」だったんじゃないかと思うと、なんだかやりきれない感じもする。とはいえ、失踪者なんかゴマンといるわけだから、全部が全部警察で何とかするのは限りなく無理だと思うし。成人だったら自由意志で彷徨っても別に犯罪じゃないって事もある。

失踪はともかくとして、ある種、マスコミってのはこーした方向性が無ければいけない物なのかも知れない。余計なお世話って話もあるが「こんな事がありましたよ…」ってだけではなくて、「こーだからこーしないといけないんじゃないでしょうか?」って部分が見える形になっていないと思う。もちろん「こんな事がありました。が、判断はあなたにお任せします…。」ってのもアリだとは思うけどね。

太平洋戦争以後、日本の報道ってのは大きく変わったワケで、新聞やらラジオやらテレビも含めて、今話題の「公共性」って看板が付いた。以前から付いてはいたんだけれど、政府に統制されちゃって偏向した物になってしまったワケで、それから比べるとこの看板の意味が本当に発揮される様になっていったと思う。そうした中で「調査報道」って物も確率して来て、ロッキード事件とかリクルート事件なんかは報道が暴き出した犯罪でもある。それは、単なる事件報道って事ではなく「こうなんだけど、これはどーよ?」って所から始まって、世の中は「そりゃマズイだろ…」って話になり、司法が動き出し、悪い事やった人は捕まったと言う形になった。

世界的な代表例としては「大統領の陰謀」ってのがある。アメリカ合衆国大統領を失脚まで追い込んだのは、ワシントン・ポストという新聞社の若い記者2人が書いた記事が元である。まぁ「ディープ・スロート」って言う美味しい情報を提供してくれる謎の政府高官がニュース・ソースでもあったワケだが「こんな事ありました…。」で終わっていたら、ニクソンも真っ当に任期を終えていたのかも知れない。これは映画にもなったし、映画の中でも秀作だと思うので、観てない人は見ておいて損は無い。下準備として「ウォーターゲート事件」とか「ニクソン大統領」なんかを調べておくと良いと思う。未だにディープ・スロートが誰なのか? 謎であるのも面白い。

まぁ、ここまで度派手な事件では無いにせよ、マスコミが「こーだと思うが、どーよ?」って動きがもうちょっと有ってもいいんじゃないかと思う。それは雑誌のチカラだって、新聞のチカラだって、ラジオのチカラだって構わない。幼い子供がさらわれて殺される世の中だし、大した理由もなく突然無関係の人間を殺し回る人間が死刑を覚悟で街を彷徨う世の中だし、人の国から人間をさらって返しもしない隣国が核武装して平気で無理難題文句言ってる世の中でもある。

ただ、伝えるだけではなく「こーなんだけど、こーしたらどーなのよ?」って動きがマスコミにもっと有っても悪くないじゃないの。新しいメディアが生まれて、電波を超える即時性を持つに至ったワケで「こんな事ありました…。」だけでは何か重大な役目を放棄しちゃっている感じもしなくはない。もちろん、毎日配達される新聞には「こーしたらどうなんだろう?」って事も書いてあるだろうし、ワイドショーでも「これはこうだと思うよ。」ってコメントも確かにある。たまに特集と言う形で、我々はそれをまとめて観るかも知れない。だが、あまりにも情報が多すぎて、大切な事なんだけど「一過性」の物になってしまい、忘れ去られてしまいがちだと思う。

「今年は、ウチ、これを徹底してやります。」

そんな番組やら雑誌やら新聞が、もっと有って良いのではないだろうか。そこに「あーでもない、こーでもない」って議論が生まれて行かないと「ふーん…」で全てが終わってしまう。我々は今までは一方通行で受けているだけの「情報」に過ぎなかった事が多かったのだけれど、「双方向性」って便利なチカラもメディアに備わりつつあるんだし。

マスコミはもっと「チカラ」を発揮すべきだと思っている。だが、あくまでも「慎重」にね。

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