おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

10年前。

2005-03-21 06:31:13 | 我思う、故に書くなりよ。
麻布台に住んでいた。

ぼろい家屋を社宅として使っていて、空き家のままだとやたらと会社に税金が掛かったりする。んでまぁ、住む勇気のある社員は住んでも良い事になっていたので、借りた。

ここ神谷町から銀座まで地下鉄で通勤していたワケだが、その日は駅のホームに誰もおらず、反対側のホームに電車は止まっていたが、誰も乗っていない。一瞬、休日かと思い違いする程の静けさだったんだが、ホームの端から大声で「戻れ~っ!」と、駅員らしい渋い黄色のジャケットを着たおじさんがこちらに向かって叫んでいた。

単に「戻れ~っ!」っていきなり言われてもどうして良いものだかサッパリ判らない。

「上に上がって下さーい! 早く、上に!」

あー。なんか事故らしいから来ちゃいけないのか…。と、来た方向へ戻る。改札にも誰もいないし、確かに人がいない。地上へ出て、困る。会社に間に合わない。道を挟んだ反対側に、救急車がちょうどやってきて、なにやら始めていた。地下鉄に降りようとする人とすれ違い、電車が動いていない事と中に入れない事を話したが、その人を含め、4人位は地下へ降りて行った。

んで、まぁ、タクシーを拾って会社に向かう事になったのだが、運転手さんから他の地下鉄も故障だか事故だかで停まっている事を聞いた。

あまり若い社員のいない会社であったために、遅刻する人はあまりいなかった。朝礼が始まり、向かいの社宅の女子社員が来ていない事が判明。

「タクシー乗ればいいのに…」

そう思って仕事が始まり、事故ってなんだろうねぇ? と、話はしていたんだが、急に秘書室からお呼びがかかる。得てして、秘書室から電話が来ると、あまり良い話は無い。

階段を駆け上がって、秘書室に顔を出すと、室長のおばさんから朝の様子を尋ねられた。昨晩のカレーの残りを食パンに塗って食べたとか、先日貰ったコーヒーの豆はなかなか良かったとか、そんな話をしたと思うが、おばさんの聞きたい事はそうでなくて、電車がどうだったか? と言う事だった。

動いてなかったのでタクシーで来た旨を話し、レシートみたいな領収書を見せると、後で払い戻してくれると言う。遅刻で払い戻してくれるのも珍しいが、せっかくだからそうしてもらった。

で、話している内に、どうやら単なる事故や故障じゃ無い事が判り、秘書室のテレビには築地駅の路上が大騒ぎになっていた。どうも、向かいの社宅の女子も巻き込まれて病院に向かったらしい。

毒ガス…って判ったのはお昼前辺りじゃなかったかなぁ。死者も出て大変な事になったと判ったのは。向かいの女子社員は聖路加病院から電話があって「なんとか生きてる…」って事だったので、全然心配は無かったらしいけれど、午後のニュースで神谷町の駅も重傷の人がいたらしい事を知り、ちょっと怖くなった。時間的に言えば毒ガスを吸っていてもおかしく無かったから。

無味無臭のサリンが巻かれたらしいっては夕方知ったと思う。会社では何とも無いのか? とちょくちょく聞かれたが、何とも無いし、無味無臭じゃ吸ったかどうだか判らない。誰もいなかったホームに10分はいたので、どうなんだか判らないけれど、そこにいたから気分が悪いとかは全くなく、普通にしていた。

帰りの足が心配でもあったのだけれど、何かのパーティーに顔を出す予定が虎ノ門であったので、歩いて帰る事にした。向かいの女子に話を聞こうとか考えたけど、1泊を余儀なくされたみたいで、聞けなかったが、後日、病院もそうだけれど、警察の人が定期的にやってきたと言っていた。それも数年経ち、そんな事あったんだっけ? って位に「後日」なんだけど、一応、被害者だからねぇ。

裁判が始まり、首謀者に死刑が言い渡されたのは、ちょいと前の話。その裁判だって、結審したワケではなく続いている。首謀者の最近の様子が、つい先日接見した精神科医によって明らかにされた。

私が大学病院勤務時代にお世話になった先生だから、間違いないと思う。だいぶ、頭がイカレ始めて来ているそうだ。そんな首謀者は未だに「神」でもあり、あがめ奉る信者も多い。日本でかつて無い「テロ」をしでかした連中は、捕まったヤツも捕まらないヤツも、そしてその宗教団体も未だに存在しているのである。

10年前。あれから…。もう。まだ。いろんな意味のある10年なんだなぁ。

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