おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

珍走団に鉄槌を! 徹底的に叩きのめせ!

2005-03-05 15:06:16 | 我思う、故に書くなりよ。
無差別にタクシーを襲ったらしい。馬鹿どもが…。

我が父は、仕事で人が足りなくなると、息子である私を適度な「お小遣い」を対価として労働に駆り出す事がしばしばあった。

建築関係なので、汚れても良い格好で同行し、作業に勤しんで夕方頃には我が家に向かうのだが、作業現場が遠かったりすると、交通渋滞に巻き込まれたり、思わぬアクシデントに遭遇する事も多々ある。
その日もちょっと遠い所で作業を終えて、家に向かったのだが、赤信号の先頭で止まっている時にそれは起きた。確か国道246の厚木あたりの大きな交差点だったと思う。3台位のバイクが現れ、行く手をふさいだのである。

「なんだこのやろー。」

割り込まれたと、父は思ったのだろうか、小声で文句を言ったのだが、交差する通りを暴走族のかなり大きな集団が通過中で、その通過をサポートするために「露払い」的な役割を3台のバイクがしており、信号が変わっても暴走族の集団が通過するまでふさぐつもりだったらしい。

元々、信号が変わるのが長目だった事もあり、父は文句を言いながら3台のバイクの馬鹿野郎と睨み合っていたのだが、いざ信号が変わっても前に進めず、窓を開けて「どけー! おらぁー!」と怒鳴り始めた。怒鳴った所で、バイクの空ふかし騒音の方が大きいので、あまり効果無い。

「なろぉー!」

切れた父は、1.5トンのトラックをそのまま直進させ、3台のバイクを遠慮無くはじき飛ばし、本線を走る暴走族を蹴散らしながら突っ切ったのである。荷台の長いトラックだったのだが、側面にバイクが「ごつん…ごきっ!」と、ぶつかって倒れる音がする…。

父の後ろに並んでいた10トントラックの数台も後を続いた物だから、それは大変な事になった。父は意に介さず、そのまま家路を急いでいたが、暴走族の集団の後ろに付いていたパトカーに追われて止められる事になってしまった。子供心に父が逮捕されるんじゃないかと、ハラハラしていたが、かなり警察官とやりあったのは確かである。

「お前ら、悪いもん野放しにして何が警察官だ、ごらぁ!」

結局、例の交差点までパトカーに付いて戻る事になったが、いざ戻ってみると暴走族は誰もおらず、8台位の不法改造バイクが転がっているだけだった。その中の1台は10トントラックに轢かれて形になっていなかったのを覚えている。周囲には漏れたガソリンの臭いが漂い、危なさひとしお。

父を始め、トラックの運転手さんも何かの罪に問われる事は無かった。被害者であろうバイクの連中はそれなりの怪我をしていたのだろうが、逃げていない。後でトラックに轢かれたと名乗り出る事も恐らく無い。放置されたバイクの全てが盗難車だったし、2台のパトカーじゃ捕まえるなんてのは不可能だろう。翌日の新聞に載るかな…と、ちょっと期待したが、載ってもいなかった。

父はそれから1ヶ月位は同じルートを通って仕事に向かい、帰宅していたが、何も無かった様である。
助手席で全てを見ていた息子の私は、社会人になってから免許を手にする事になった。教習所に通ったりもしたのだが、教官と大げんかして退学していたので、栃木の合宿免許教習所で取る事にした。

ここでの「出会い」もいずれ書くが、大変素晴らしいものであった。具合の悪い地元出身のヤクザの親分と仲良くなれたのは「宝物」でもある。遠慮無く手指が欠損しており「ウィンカー出すのが遅れちゃうんだよなぁ…。」という親分に、義手ならぬ「義指」を作ってあげたり、一緒に「高級お風呂」へ出掛けたりしたものだが、父のその話をすると…

「いいお父さんを持って幸せだなぁ…」

と、しみじみ言われたのを覚えている。だいぶ、体の具合が悪かった様で、どうしているのかなぁ。

さて、晴れて免許を手にしても、特別変わった事もなく過ごし、事故も無く運転を続けていた。平日の昼間は会社員をしているので、車を乗りに出掛けるってのは週末の深夜とかが多く、乗る車もファミリーカーだった。4ドアのセダンではあったが、同じ車種の上級バージョンには「鉄仮面」と呼ばれるスポーツバージョンもあったので、気分は「鉄仮面」。当時登場し始めた「軽のターボ車」に遠慮無く抜き去られるほど非力な車だったし、パワステも無く、遠慮無く重いハンドルを太くしながらスポーツタイプを気取るカバーなんか付けたりして、普通に運転する技術を学んだのである。伊豆高原でクラッチペダルを壊し、エンジン回転数の目測調整しながらギアを入れて、家まで帰ってきたなんてのも懐かしい。上り坂の信号待ちで止まらざるを得ない時は、次の発進が緊張の瞬間でさぁ…。自宅まで修理に取りに来た工場の人が「どうやって運転したんです?」と驚いていたなぁ。結局、キャリア呼んでたけどねぇ。

んで、とある日、夜の横須賀を走っていると、いつの間にか周囲を暴走族に囲まれて一緒に走る羽目になった。何の目的なのか知らないが、別に何するワケでもなく、ただ囲んでいるのである。そこそこのスピードで走っているから、別段、悪くも無いが、この群れから外れようとすると威嚇される。当然、一緒に走っていると、信号とか無視なワケだし、パトカーでも後ろに付いて来られたら、間違いなく一緒に捕まるか、自分だけ捕まるだろう感じ。

おまけに、あまり道が無い。限られた幹線道路しか無かったりするのが三浦半島でもあるので、下手するとかなり長い時間一緒にドライブしなければならない事になる。無闇に逃げ込んでもバイクの方が走破出来る道の方が多いので、逃げ切れない。

「ん…。ここは確か…」

当時、仲間内で心霊スポットを巡る深夜のツアーが流行していた。ほとんどのスポットを巡り終え、新規開拓に勤しんでいた頃だったので、行き止まりだろうが、なんだろうが、取り敢えず行ってしまう、静かだが迷惑な連中だったのである。車から降りれば、特殊部隊よろしく音を立てずに目的地に侵入する謎の集団「お好み社中」を率いていたのである。

何となく見慣れた周囲の様子から、これは巻けるかも知れないと、選んだ道は「謎のお地蔵さん」と称するトンネル脇に佇む白いお地蔵さんを見つけた時の道だった。もう暫く走れば、そこへ抜けられる交差路が来る…。

私は交差路の僅か手前で取り囲む集団を無視し、がこがこばきっがき…妙な音を出しながら、遠慮無く曲がった。痛い思いをしただろうと思うが、もう曲がっちゃったワケだし。案の定、2、3台のバイクが追いかけて来たが、地の利はこっちの方が上である。かくかく曲がりながら、砂利とも瓦礫とも付かない道を遠慮無く飛ばして逃げまくり、葉山方面へ逃げて出たのである。それでも追いかけて来ようものなら、御用邸前の警察署に止めちゃえばいいんだし。

翌朝、車を見ると後ろのドアやらフェンダーがへこんでいたり、塗料がこびりついていたりした。それを見つけた父が「何したんだ?」と尋ねてきたが「ちょっとさ…」としか言ってない。だいぶ昔の父と同じ様な事をしたとは言えなかったんだ。

そんなワケで、傍若無人で無差別に罪もない人を襲う珍走団には怒り心頭でもある。かつて巨大珍走団のリーダーが足を洗ってタレントとしてTVに出たりしているが、ふざけんなと言いたい。騒音すら迷惑な連中が金属バットで無差別に襲うのが未だに続いているのは、そうした迷惑千万な話をおもしろおかしくTVで扱うからだと思う。幾人もの罪のない人が襲われて、命を落としているのは事実だ。頭を金属バットで滅多打ちにされ、血まみれの頭から飛び出た眼球が最後に見た物を、あいつらにも見せてやりたい。そうした凄惨な現場の写真は、マスコミは手に入れても公開はしない。新聞やTVでは、「亡くなりました…」で済んでしまうが、残された遺族の恨みや苦労はそこに載らない。

法律も厳しくなり、検挙率も高くなっているが、あの馬鹿連中には更正の余地なんか与える事は無いと考えている。どうせ刑務所入った所で、労働に明け暮れ、更正の時間など無いわけだから、僅かな時間世間から離されているだけに過ぎない。出て来れば「ハク」を付けてのさばるだけなのだ。未成年だろうが、何だろうが、重罰を与えるのはもちろん、重武装の機動隊で暴徒鎮圧すべきだと思う。

重いジュラルミンの盾で押し潰し、特殊警棒で二度とバイクに乗れない後遺症を残せ。それが犯罪の対価だと教えてやるべきだ。必要ならガス弾でも水平撃ちしてやる位で望まないと、キリがない。必要なら陸上自衛隊に治安出動させても良いと思う。真の右翼団体も日本の明日を憂うならば、街宣車で珍走団に「特攻」するくらいの気概を持たなければイケナイ。迷惑を被る市民は団結してこれらの活動を応援すべきだ。珍走の群れに火炎瓶を投げ込んだ所で、何が悪い。無下に襲われて、命を失っても泣き寝入りを余儀なくされるだけだ。補償も償いも無い。葬式にDQNファッションで現れる前に叩きのめせ。パトカーに追われて逃げる途中に自爆して死んだ馬鹿にもとどめを刺すべきだ。馬鹿な子供を擁護する馬鹿な親もTVの前に引きずり出して晒し者にしてやるがいい。

「うちの息子はパトカーに必要以上に追われて死んだ…」

そう、謝罪と賠償を要求するなら、お前の馬鹿息子がやってのけた事を一通り晒してからにしろ。飲酒運転など、生涯免許剥奪にしない限り消えて無くならない。飲酒で8人も轢き回しておきながら、わずか15年の懲役で済ます方がおかしいだろ。甘やかして育てたツケ、甘やかされて育てられたツケがどれほど大きい物か、叩き込んでやる必要がありそうだ。

血まみれの頭蓋から飛び出た脳漿に埋もれて、虚空を悲しく見つめる真っ赤な眼球をあいつらにみせてやりたい。その目の主は、ただ交差点で信号が変わるのを待っていただけである。犯罪被害者を支援する中途半端な法律が出来た所で、逃げ道は幾らでもある。一族郎党からむしり取れるだけむしり取って償わせる強制力を持たせるべきだ。犯罪者の人権を考える前に、命を失われた者は人権すら奪われているのだ。十分な償いもせずに、僅かな刑期を過ごしただけで、のうのうと生活する馬鹿野郎を引きずり出して、改めて償わせるべきでもある。償いもせずに、新しい生活で再出発など許している法がおかしい。

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