おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

アウシュビッツを見て来い。

2005-01-16 21:16:56 | 我思う、故に書くなりよ。
ビルケナウなんでしょうが、まぁ隣だし。

イギリスの王子がパーティーにナチスの格好で出て顰蹙をかった。そういう趣味があったワケでは無いのだろうが、まぁ立場上やっちゃいけない事だろうねぇ。で、皇太子が王子に命じたのが「アウシュビッツを見て来い…」。

アウシュビッツ、ビルケナウ、モノビッツ、ダッハウ、ベルゲン・ベルゼン、マウトハウゼン、ブーフェンンヴァルト…。

と、言って意味の判る人はどれくらいいるだろうか? また、そこで行われた事、その事がどう言う意味を持つのか、知っている人はどれくらいいるだろうか?

教科書の数行に出て来る文字なんだろうが、地球の、人類の「負の遺産」である事はどう、人々の記憶に残っているのだろうか? 遠く離れた日本では、むしろ「全く知らない…」と言う人の方が圧倒的に多いのでは無いかと思う。

ドイツの敗戦で、初めて連合軍の将兵がそこを訪れた時、誰もが「人類のしでかしてしまった事」に絶望したと言う。ドイツが…と言う事ではなく、人類が…と言う事の大きさがそこにあった。累々と屍だらけの施設をドイツ軍がどう説明したのか、定かでは無いが、そこで行われていた事が徐々に明るみに出るにつれ、人間の残虐性の頂点はどんどん高くなっていく。

あれから、60年経っても、全てが明るみに出ているワケでは無い。時代に拾われた物、捨てられた物、残された物、残されなかった物、時間の経過が残酷な事実を薄めていく事は間違いない。

恨みも絶望も悲しみも希望も…全てを巻き込んで負の遺産は残っている。単に「戦争史跡」と言う意味とは別格の物として、後世に伝えなくてはいけない物として、それは残る。

だが、これを教えないと、近所の人しか知らない物となる。世界的な遺産ではあっても、教科書の数行に出て来て、資料写真の数枚で終わるならば、これは仕方ない事かもしれない。私もこんな事は学校で習った覚えは記憶に無い。せいぜいが「枢軸国」と「連合国」。後は「4大文明」とかそんなの。

本当に教えて欲しかった事は、他にももっとあったのだが「授業」では教わる事は少なかった。学校を離れて、自分の興味で調べたり、見たり、聞いたりしていく中で覚える他に無かった物だが、人間が覚えて置かなければならない物は、たくさんあるんだと思う。

イギリスの王子がどういう教育を受けているかなんてのは知らない。だが、ヨーロッパでも古くからある歴史を誇れる国の王子だからこそ、覚えて置かなければいけない歴史もある。日本でも同じ。別に皇族でなくても、覚えて置かなければいけない歴史があるのに、それをきちんと教えているのか、教わって来た身からしても不安である。「原爆」を落とされた事は教わるが、それに至るまでの事はあまり教わらない。時間が経つと、生かされるべき貴重な情報も失われてしまう。日本がアメリカと戦争していた事を、歴史上でしか知らない人間も増えていくワケだし、そこから学ばなければならない事も、学ばれずに消えていってしまう事を考えないといけない。

確かに、そんな事知らなくても生きては行けるし、知っていても明日の生活にどうなる物でも無いかもしれない。だからと言って、失われるままに失ってしまうと、人類は同じ過ちを必ず繰り返す。そうならないために、教わり、覚えて、伝えて行かなければいけない事もある事を、教えるのが「教育」でもあると思う。

そういう意味でも、アウシュビッツは生きている内に見ておきたい所でもある。東欧であったために、おいそれと見に行く事もままならなかったが、現代ではそれも難しく無くなったと思うので。ハーケンクロイツを象徴として忌み嫌う意味の深さを、それが時代を経ても変わらない事の重大さを、少しでも判っておきたいと思うからね。

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