おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

さよならゴジラ その2。

2005-01-10 16:01:08 | 我思う、故に書くなりよ。
NHKでゴジラやってたので、しげしげと見た。

ゴジラと共に歩んだ50年のドキュメンタリーだったのだが、なかなかこれはこれで面白かった。Blogでゴジラについて書くのは2回目で、1回目はhttp://blog.goo.ne.jp/osasa033/e/d76ee924a536fdd5902c28cee0a86f6dとなる。

それから数日後の今日、訃報記事に驚いた。1984年のゴジラを監督された橋本幸治氏がお亡くなりになられたと言う。番組中にも出演されており、ゴジラとの別れを語っておられていただけに、残念でならない。
このゴジラは記憶に新しく、有楽町のマリオンが壊されるとか、新宿副都心での攻防シーンが忘れられない。それまでのシリーズとは違い、原点回帰とも言える作品で、何か「ゴジラ」らしい「ゴジラ」を想い起される物であった。平成シリーズの起点ともなった作品ではなかったのだろうか。今、見ても悪くなく、氏が自らに限界を感じて監督を引退された事を知り、重ねて残念でならない。

個人的にはゴジラと戦う首都防衛兵器「スーパーX」がお気に入りで、充電式卓上掃除機をオリーブドラブに塗りたくり、プラモデルのデカールから「陸上自衛隊」を張りまくって楽しんだ思い出もある。
ゴジラらしいゴジラ。それは一体何だろう? 番組を見ながら考えていた。

「有無を言わせぬ恐怖感」

私はこれに尽きるのではないかと思う。興行と言う産業の中で、シリーズ化されたゴジラから取れちゃった物が「恐怖感」ではなかっただろうか。未知の生物、圧倒的な破壊と蹂躙。そこから生まれる恐怖感が無くなったゴジラの行く末を、誰も想像しなかったのかも知れない。

US版ゴジラを監督したローランド・エメリッヒ氏のインタビューを見ながら、やはり…と言う気がした。我々の知らないゴジラの姿に、ゴジラでは無いとさえ言われたUS版のゴジラであったが、「ゴジラらしいゴジラ」ではなかったのだろうかと思う。圧倒される恐怖感がきちんと表現されていたのではないかと思うのだ。何か、人間の手の届かない所から押し寄せる「恐怖」と言う物がそこにあると。

それこそが前提で、派生の物語が多すぎたのかも知れないと思う。まぁ、興行を考えるとそれも難しかったのだろうが、場当たり的に量産する事の悲劇がそこにあったとも言えなくは無い。日本を代表するモンスターを時代に合わせて育てていく事の難しさの歴史が残ったのかもしれない。

いつの日にか、必ず「復活」すると思うので、記しておきたかった。

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