~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ピアノと邦楽器と詩と

2010年11月28日 12時57分44秒 | その他音楽
昨晩は、大変楽しみにしていた演奏会に行ってまいりました。
第1回目が7月に行われた、Group-4の第2回目の公演。
Group-4は、「雅楽」「長唄三味線」「生田流筝」「ピアノ」という、ジャンルの違う若い4人の演奏家(みなさん東京藝術大学卒業)の集まりで、ある意味無謀とも思われる(笑)、意欲的なコンサートを全4回の予定で行っておられます。

プログラム(西区民文化センタースタジオ)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「月の光は音もなし・・・・・・(中原中也)」


第一部/古典音楽の深み
1.「霧」前奏曲第二集より/ドビュッシー・・・・・・ピアノ
2.太食調調子(たいしきちょう ちょうし)・・・・・篳篥
3.松の緑/杵屋六翁・・・・・・・・・・・・・・・・三味線
4.中空砧(なかぞらきぬた)/宮城道雄・・・・・・・生田流箏
5.壱越調 胡飲酒破 残楽・・・・・・・・・・・・・篳篥&笙&筝 
6.「花火」前奏曲第二集より/ドビュッシー・・・・・・ピアノ

第二部/トークコーナー「音楽の深さと広がりについて」

第三部/近代詩との対話の試み「月の光は音もなし・・・」~Group-4による、中原中也の詩の音響世界~
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こういう演奏会に行くと、一時期ハマッていた和の世界に戻りたくなるのでいけません(笑)。
学生のある頃、西洋のものに興味が薄れ、茶道・日舞・着付け・箏と広く浅くかじりまくり、テンポを「1・2・3・4」と取るものから遠ざかっておりました。
昨日は、最前列で聴かせていただいたということもあり、「三味線やりたい・・・」と半ば本気で思いました。最終的には自分は弦を弾く(ハジク)楽器、和のものだと箏や三味線、西洋のものだとチェンバロに落ち着くのではないでしょうか。爪はじき系ですね(笑)。

今回特に興味深く聴かせていただいのは雅楽。
「太食調調子」というのは、一種現代曲のようにも聴こえるのですけど(無拍でフリーリズム)、
西洋の音楽でいうところのカノン風の曲で、二本の篳篥が追っかけていきます。
カノンに似た奏法には「退吹(おめりぶき)」というものと「追吹(おいぶき)」というものがあり、「追吹」のほうは、カノンのようにわりにきちんとずらして吹くそうなのですが、「退吹」のほうは、第二奏者以降の遅れ方に決まりはなく、ただ前の奏者を追い越さないように間隔を持って演奏するのだそうです。
音の残響感、こだまのようなものを表現しているのだとか。
「退る(おめる)」というのは、十二単の袖がちょっとずつずれて色が見えている~、そういうことを表す言葉なのだそうです。

「壱越調 胡飲酒破 残楽」のほうは、筝のずっと続く同音型の伴奏の上に、篳篥と笙がある節を奏でるものなのですが、延延とこの同じ感じでいくのかなあ・・と思っているところで、篳篥がふっふっと途切れる。そして筝が聴こえる。
ところどころ篳篥が無音になるところでも、聴き手の頭の中では旋律が流れ、それこそ「こだま」っぽい効果があるわけですが、こういう遊び心が感じられるのが残楽(のこりがく)の魅力なのだそうです。


そういう、「残楽」っぽい感じというものは、ドビュッシーの2曲でも随所にみられ、
このプログラムに前奏曲第二集から「霧」「花火」の2曲を選んでこられたピアニストのMさん、素敵な選曲と演奏・・と思いました。

最後の中原中也の詩にインスピレーションを得て4人で作られた曲は、最後のほう、ピアノ~笙~三味線~箏(・・ちょっと順番違うかもしれませんが)と音が重なっていくところなどは、ぞくぞくっとこれまで味わったことのない感覚が呼び覚まされた気がいたしました。


第3回公演は2011年5月3日、東区民センタースタジオだそうです、




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