中一日で更新です。・・・・たぶん暇なんだと思います。
いきなりブログが活性化したからといって、なにか事を起こしてやろうとか、暴れてやろうとか、そういうことを考えているわけではありません。
ありがたいことに、私が更新したことで、過去記事までを読んでくださる方がたくさんおられるようで、
そうなると、こちらも「はて、そんなにアクセスされてる記事はいったいなんなのだ?」と開けてみる。
開けてみると、たいがいは「・・・・そんなもん読まんでくれ~(泣)」と言いたくなるようなものではあるのですが、
一方で、「はて、これはいったいどういうことだったのか・・・」という疑問も湧きおこります。
そういうもののひとつ、このブログを始めたころの記事の「練習すると脚が疲れる」という内容。
これですね、覚えがあるんですよ。
このブログを始めたのは、ピアノを再開して6年目あたり。
コンペやステップにも出、そこそこ長い曲も弾き始めたころです。
生活史的には、2002年に娘を出産して3年ちょっとたったころで、すでにグランドピアノを買ってはおりました。
まだ娘が幼稚園に上がってませんから、そう何時間もぶっ通しで練習するということはできなかったんですが、
それでもなぜか、練習するとふくらはぎが攣ったり、膝が痛くなって、翌日歩くのが困難になる。
41~42歳のころですよ、今よりは相当若い。
指が痛いとか腕が痛いも、まあありましたけれども、それよりも脚のことをよく覚えている。
弾きながらバタ足とかしているわけではありませんから、どう考えても原因はペダルです。
再開して以来5年くらいは、「もう一度楽譜を読めるようにしたい」「絶対音感を取り戻したい」「指が動くようにしたい」ということで、
先生についていたとはいえ趣味道を貫いており、奏法を習おうとかそういう考えはまずありませんでした。
で6年経ったころはちょうど空白の期間というか、特に誰に習っているというわけでもなく、
ピアニストのテレビ録画をみたり、本やネットでいろいろ調べたりして、自己流みたいな感じでやってました。
自己流はいいんですが、体が痛いのはあまりうれしくない。
いろいろペダルについて調べると「ペダルは耳で踏む」とかなんとか書いてある。
大人ですからね、「ああそうですか、そういうもんなんですなあ」と表向きは思いますけども、
(洒落くさい、なーにが耳で踏むだ・・・・)というのが本心です(殴)。
でも、みんながそう言うんで、「音楽家はそういう表現を使うのかね・・・で、耳で踏むってどういうことよ」と思うわけです。
コンサート行っても、上半身なんかどうでもよく、ひたすらペダルみてるわけです。
今みたいに動画が出回ってるころじゃないですので、生で見える位置に行くしかない。それも娘を置いてコンサートいけるときに。
それかテレビで、運よく足元が映るやつですね(男性のほうが望ましい)。
そうすると、アルゲリッチみたいに、スケールみたいな細かいものにも足先の動きがパパパパっとついていくピアニストがいるわけです。
・・・・・・どういうことだ・・・・・
・・・・・・足は体を支えるものじゃないのか・・・・
恥をしのんで書きますけど、
中1までそこそこ習い、そのあと大学時代趣味でだらだら遊び弾きし、子供産んで再開して好きに弾いてても、というか、
好きに弾いてたから、というか、・・・こういうレベルです。
やっと、「足は自由に動かないといけない。『踏む』というよりは『動かす、操作する』のか」と思い至ったわけです。
そして、その後まもなく、今の師匠に出会い、「脚も脱力できてないとね」と言われ、
座り方、重心のありか、等々をいろいろ教わり、
やっと、そこそこ「踏める」、じゃない、「動かせる」ようになってきたのでした。
正直、ペダリング講座以前のレベル、「ペダルとはなにか」という話・・・・(汗)
「耳で踏むとか意味も分からん」という時期の・・・・。
こちらこそ、すっかりブログ無精になっておりまして、失礼しておりました。
こうしてコメントいただけると、大変ありがたいです。
同じような経験がおありでしたか・・
やはり、これは足の脱力ができてないということなんでしょうね。
とくに子供の頃に必死の踏み方していて、その後ブランクがあると、
大人になっていてすでに体格も違うのに、力を入れて踏んでしまうようです。
またいつかお会いできるといいですね。
いつも静かに読んでおりますが、ペダルで足を痛めた? 私と同じだ・・と思い、久しぶりにコメントしたくなりました。
私も子供が小学生になる前に実家からピアノを取り寄せ・・うれしかったのでがんがん弾いていたら、足裏にしびれが。ペダル踏む時の力みが・・・踏み分けようと思うと変な所に力が入るというか。今は足がしびれるほど弾くことはありませんが(ってそういう問題ではありませんね)。
たしか暑いのはお好きだったと思いますが、どうぞご自愛ください。
今では確かにそうだと思いますし、
ノンペダルでスケールというのは逆に怖いですけれども、
当時は考えられませんでした。
アルゲリッチは歩くのはなかなかきつそうなのに、
ペダルは相変わらず神ですよね。
スケールに右や左のペダルを駆使するのはピアニストは普通の発想のようです。
故・井上直幸先生の「ピアノ奏法」に、モーツァルトのハ長調のソナタK.545を例に、スケールのようなパッセージの連続を同じように弾いたら飽きるし、「音階の練習」で「演奏家の演奏」ではないとまで書いてあります。
ペダルは奥が深いですね。