~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

金のわらじをはいてでも・・

2005年12月22日 18時56分37秒 | ピアノ
今年の年末、私はヒマだ。
当面、コンクール等の本番がないからだ(笑)。
昨年は正月明けのコンチェルトのコンペに向けて、なんだか落ち着かなかった。
モーツアルトの20番の1楽章だけではあったが、2ヶ月でこれをなんとかしようとするのは私には結構大変なことだった。
そのうえ、いつもにないプレッシャーに襲われていた。
「自分が止まったら、指揮者にも伴奏にも迷惑かける」という恐怖だ。

ソロで弾くときは、たいがい「速いところではずしたらどうしよう」とか「複雑な和音の進行を忘れたらどうしよう」という内容であがるものだが、コンチェルトの時は違った。自分がお休みのあとちゃんと流れにのれるかがドキドキだった。

はたして、リハーサルの時、伴奏に聴き惚れ、指揮者に見とれ、一度は落ちた(爆)。

このときの指揮者は、その後ヨーロッパのコンクールで入賞され、イタリアのある歌劇場の常任になられたので、まさに私のコンチェルト体験は「冥途の土産」モノの永久保存版だ。緊張はしたが、ほんとにほんとに楽しい体験だった。
と同時に、自分の目指す音楽を作っていくためには、日ごろの厳しい技術的鍛錬と、天才である作曲家に一ミリでも近づくための感性の研磨が不可欠なのだ・・とプロの方々凛とした厳しさに身が引き締まる思いがした。

全身から音楽をほとばしらせる音楽家と共演できるということは、実に得がたい体験だ。同時に、楽器についても私はこんな体験がある。

高校生の時、すでにピアノを辞めて久しかった私は、合唱部の伴奏として(自分自身は合唱部ではなかった)駆り出され、県外のある大ホールでスタインウェイを弾く機会を得た。たぶんまだ新しいピアノだったのではないかと思うのだが、なんという楽器の音色とホールの響き!
この体験がもう3年早かったら、もしかしたら音楽の道に猛進していたかもしれなかった。

音楽を専攻しなかったことについては、別に後悔もなにもないし、かえって幸せだったかもくらいに今では思っているのだが、こういう貴重な機会に関してはこれからも貪欲でいたいと思っている。・・・・・・・・個人としても、親としても。


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