昨夜、夕食の時なにかのきっかけで
「ああ、その集まりは有職婦人ばかりなのよ」
と言ったところ、向いにすわっていた旦那が固まった。
「・・あのさ、それワザといってんの?なんかさ<カフェの女給>とかいう時代のにおいがするよ」
「え、そう?じゃなんていうの?職業婦人?」
「それもなんだかなあ。もしや君って平塚らいてうのころの人?そうだなあ・・<キャリアウーマン>とかなんとかいわない?」
「キャリアウーマンってなんか古くない?(爆)
それに<パートやバイトを含めた仕事してる女性>っていうのと<キャリアウーマン>はちと違う気もするが・・」
考えてみれば今は「専業主婦」というほうを区別する方が多く、仕事をしていることを特別に呼称として扱わなければならない機会の方が少ないようだ。
それに、私のなかでは<キャリアウーマン>というのは、なにかこう特別な感じを伴ない、古いのだか新しいのだかわからず、自分と別世界なだけに位置づけもよくわからない。
話は変わるが、私の知り合いで古い言葉の大好きな人間がおり、学生の頃から、かならず旧かなづかい、旧字体の漢字を使っていた。
さすがに手書きの時代ではなくなったせいか、年賀状なども地の文はすなおに変換されるがままの字体でくるのだが、やはりどこか納得いかないらしく、先だってはこんな葉書がきた。
轉勤しました
この人間は文学部出身でもなんでもないのだが、20年以上たってもおのれのスタイルにこだわっているのはアッパレである。
そういえば、この者は自分のことを<妾>と書いていたなあ・・・・となつかしく思い出した
「ああ、その集まりは有職婦人ばかりなのよ」
と言ったところ、向いにすわっていた旦那が固まった。
「・・あのさ、それワザといってんの?なんかさ<カフェの女給>とかいう時代のにおいがするよ」
「え、そう?じゃなんていうの?職業婦人?」
「それもなんだかなあ。もしや君って平塚らいてうのころの人?そうだなあ・・<キャリアウーマン>とかなんとかいわない?」
「キャリアウーマンってなんか古くない?(爆)
それに<パートやバイトを含めた仕事してる女性>っていうのと<キャリアウーマン>はちと違う気もするが・・」
考えてみれば今は「専業主婦」というほうを区別する方が多く、仕事をしていることを特別に呼称として扱わなければならない機会の方が少ないようだ。
それに、私のなかでは<キャリアウーマン>というのは、なにかこう特別な感じを伴ない、古いのだか新しいのだかわからず、自分と別世界なだけに位置づけもよくわからない。
話は変わるが、私の知り合いで古い言葉の大好きな人間がおり、学生の頃から、かならず旧かなづかい、旧字体の漢字を使っていた。
さすがに手書きの時代ではなくなったせいか、年賀状なども地の文はすなおに変換されるがままの字体でくるのだが、やはりどこか納得いかないらしく、先だってはこんな葉書がきた。
轉勤しました
この人間は文学部出身でもなんでもないのだが、20年以上たってもおのれのスタイルにこだわっているのはアッパレである。
そういえば、この者は自分のことを<妾>と書いていたなあ・・・・となつかしく思い出した
この方は、大学入試のときもすべての答案を歴史的仮名遣いで書き、それが理由で不合格になるなら構わない、との決意で臨まれたそうです。勿論、第一志望に合格されました。ノートやメモ書きは勿論、私信もすべて、歴史的かなづかいでなさっているとのことでした。
何かひとつスタイルを貫かれている方というのは、見事なものですよね~~。と思う、無職夫人なワタクシ。
たしか作家では丸谷才一氏がかなづかい等にこだわっておられたと記憶していますが、おそらく編集さんは大変でいらっしゃるだろうな・・と思います。
今では「悲愴」を「悲そう」とひらいたりという、編集基準にのっとった、妙な漢字かな混合が見られて
、ちょっと気持ち悪いのですが、そういう違和感は大事なものなのかもしれませんね。
芸術方面だと、そういうレベルよりもはるかに繊細な感性を要求されるわけですし。
そう言いつつも2ちゃんねるなどのぞくと、それはそれで、「ほほう」とミョーな漢字の使い方に感心し、ハマッてしまったりなんかするわけですが ^^;
ええ、ワタクシも無職婦人の勇敢マダム(!?)だったりなんかするもので・・・。