私ども夫婦は、二人でやっと一人前なので、何をするにもいつもペアで行動。
お互い(特に小生が妻を)杖と頼りにしている。
“一日限定の晴天”お出かけ日和を狙って、妻は気の置けないママ友と青春18きっぷを使って、神戸二人旅。
前夜、「おとうさんも一緒に行く?」と誘いを受けたが、きっぱり断った。
今朝は晴天の下“ぼっちウオーク”をこなした。
昼食は、女房がレンチンで用意してくれた大好物の鰻丼で、これまた“ぼっち飯”。
そしていつものように終日パソコンの前か、気が向いたらギターをつま弾くといった有様。
定年退職して行き場を失った夫が、妻を頼り切って自分では何もできず、妻が出かけようとすると必ず「ワシも(付いて行く)」と言ったり、妻にべったりの「濡れ落ち葉症候群」と言う言葉がある。
今更完全自立は無理だが、せめて女房のお荷物にだけはならぬよう自戒している。
一日限定晴天の下ぼっちウオーク
大好物の鰻丼
数年後、夫が完全に勤めを辞めたら、我が家はどのような生活になっているのでしょう?
今は、お互いの共有しない別々の時間をそれぞれ大切にしている方かと。
それにしても、なんて豪華なお昼のお食事!
(鰻も我が家より一切れ多い!)
私、これを戴けるなら毎日〝お留守番〟しますヽ(^o^)丿
人生の先輩だなんてお恥ずかしいです。
平櫛田中翁によれば『六十、七十は鼻たれ小僧』だそうです。
定年夫のことを「濡れ落ち葉」と表現したのは、私の最も嫌いな評論家樋口恵子女史です。
いくら何でも失礼じゃありませんか!
かてて加えて「ワシも行く症候群」など憤懣やるかたないです。
絶対そんなことにはなりたくありません。
うなぎは大好物なんですが、滅多なことでは(こんなことでもなければ)口にはできません。
おひとりの時間を楽しんだり、お二人で一緒に遠出なさったり、それぞれお友達とお出かけしたり、二倍(二人前)にも三倍(三人前)にもなっていらっしゃいます。
二倍(二人前)にも三倍(三人前)にも・・・。身に余るお言葉ありがとうございます。
『人という字は、ひとりの「人」がもうひとりの「人」を支えている。つまり、人と人が支え合ってるから人。人は人によって支えられ、人の間で人間として磨かれていくものだ』と理解していました。
ところが最近では新説があって『人という字は、篆書では「人間を真横から見た形」になり、支え合っているのではなく自立している』と言うのです。
これからは、小生は後者に倣って、「自分のことは、できる限り自分でする」を心がけたいと思います。