桜花爛漫の今日10日は、父の33回目の祥月命日。
続いて4月24日は、母の17回目の祥月命日。
これに先駆け昨日9日、菩提寺安養寺において家族だけで合同法要を営んだ。
会式に先立ち住職より「般若心経には、誰もが死ぬが、あの世で会えるという仏教の教えが込められている。仏教が『死は終わりではなく、新たな始まりであり、魂は輪廻転生を繰り返す』と捉えているから」と説かれた。
寄る年波もあるのか、最近両親が夢枕に立つことが多い。
いずれまたいつの日にか、来世で再会を果たしたいものだ。
続いて4月24日は、母の17回目の祥月命日。
これに先駆け昨日9日、菩提寺安養寺において家族だけで合同法要を営んだ。
会式に先立ち住職より「般若心経には、誰もが死ぬが、あの世で会えるという仏教の教えが込められている。仏教が『死は終わりではなく、新たな始まりであり、魂は輪廻転生を繰り返す』と捉えているから」と説かれた。
寄る年波もあるのか、最近両親が夢枕に立つことが多い。
いずれまたいつの日にか、来世で再会を果たしたいものだ。


日々ももちろん、亡くなられた方々を思い出すこともおありでしょうけれど、法要はまた、特別な気持ちになりますね。
私事ですが、今年父は七回忌を迎え、やはり少し早めですが4月の末頃に法要を致します。
墓石には、「倶会一処」と刻んでいます。
これは「この世ではもう会うことは叶わないけれど、きちんと生き抜けば、必ず極楽浄土で〝再会〟することができます。また、お会いしましょうね」
というような意味とのこと。
貴ブログの、ご住職のお話をあらためてしみじみと拝読しました。
「倶会一処」は浄土真宗の教えを象徴する言葉ですね。
来る7回忌ではお父様を偲び、存分にご回向なさってください。
住職の話には続きがあります。
ご高齢の方の法事で同様の話をされたことがあり、次の法事の席で参列者の一人・中学生になったお孫さんが歩み寄り「あの時のお話よく覚えています。先でおばあちゃんの処へ行くようになったら、恥じない人生を歩んできたよと報告します」応えられ感動したそうです。
今更ながら、寺総代を仰せつかって20年、幾度となく般若心経を唱えていますが、案外「般若心経読みの般若心経しらず」だったことを恥じ入っています。
私の両親の宗派は浄土真宗、夫の方は真言宗なので、お経や法事等では異なることも多いのですが、ご先祖を大切にという気持ちはいっしょですね。
今は、次世代以降どうすればいいのだろうと、考え始めています。
私的なことばかり書き連ねましたことどうかご容赦ください。
父の仕上げ回忌となりましたが、母の仕上げ回忌は16年先となります。
長男夫婦と三男夫婦が参列してくれましたが、さて私ども夫婦の胸の内をどう受け止めてくれたものか。