てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

犬遍歴

2007-12-01 13:26:27 | 暮らしと生活

リキ-1986年8月-

 長男の所の孫3人は、3年8カ月に亘るマンション住まいの抑圧から解放され、一気に反動が出たようだ。岡山のマイホームへ転居が決まると即座に、3人が口を揃えて「ビーグルを飼う」と言い出し、両親はどうやら抑えられないようだ。

 自身のことを顧みると、小学生の頃捨て犬を拾ってきた。8日だったので「ハチ」と名付けた。親に無理やり犬を飼わせて貰ったはいいが、その内世話に持て余し、挙句の果ては犬ジステンバーに罹り非業の最期を遂げた。幼くして生きものの世話の大変さと死生観を味わった。

 そんな幼時体験があるにもかかわらず、わが倅3人が小、中学生の頃「犬を飼いたい」との熱望にほだされ許可した。
 一匹目は柴犬の雑種で、我が家の平和(peace)を願って「ピス」と命名した。犬小屋も子供達と一緒に手作りした。ピスは親を恋しがって当分鳴いた。歯が生えかけのころは玄関の木製靴ロッカーをかじり一台をダメにした。
 やっと我が家の一員になりかけたと思ったら、十分にエサを与えていたのに、あろうことか小石を食べてしまった。そして手術の甲斐もなく死んでしまった。

 ピスの喪が明けた翌昭和60年(1985年)6月30日、高梁市のブリーダーから柴犬を譲り受けた。前回の雑種の駄犬に懲りて、今度は血統書付で名前は「リキ号」。
 倅たちは約束どおり進んでよく世話をし、やっと立派な成犬に育った。ところがある日忽然と姿を消した。その頃近所で噂になっていた“犬とり”に狙われたようだ。

 その後は平成元年夏、弟家族が芦屋へ転勤となり、コリーの老犬「シャーリー」を引取った。人見知りもせず直ぐに懐いたのだが、1年ほどして老衰で死んだ。

 この度の孫達の申し出に「生きものを飼うことは大変。うかうか留守にもできんし、もしその時にも当方はよう世話できんから、飼うのは断念せよ」と諌めているのだが、「ペットホテルがあるよ」と、頑として聞き入れそうにない。
 わが人生の内の30年ほどの間に、4匹の犬との邂逅と別離があったのだが、その時々の功罪を考え合わせると、ここら辺りで許可した方がよさそうだ。本気でビーグルを探してやるとしょうか。


二男(右)と三男とピス-1984年7月-

リキ-1986年8月-

リキ-1986年8月-


コメント (6)
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