てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

記者Y

2006-02-09 08:42:55 | ビジネスと社会
 私が倉敷へ出向最中の1998年6月にYは本社より転勤してきた。当時、Yの部署にはネット環境がなく、私の職場にインターネットを借りに頻繁に降りてきた。取材の下調べか、いつも熱心に取り組んでいたのが印象的だ。

 その後、2000年8月に私が本社に復帰してから、わが社に私費留学制度ができた。Yは第1号として2002年4月から1年間、ワシントン大学に留学を果した。
 帰国後、社内報で「留学は役に立つ?」と題して、留学を通して学んだ数々の経験を記している。最後に『……自分の業界や世界を俯瞰できる貴重な機会なので、若い人たちにも続いていってほしい』とメッセージを残し、3カ月後に突然退職した。

 それからは、
 「太平洋上の難民船に便乗して米国上陸。2003年8月からサンフランシスコの日系新聞社・日米タイムズに勤務。コミュニティーニュースの取材、執筆をはじめレイアウト、寄稿記事の編集、苦情電話の対応、ゴミ捨て当番、トイレ掃除などを意欲的にこなしています。」(『日米タイムズ記者通信ーサンフランシスコの日系新聞記者によるニュースブログ』より)

 奇しくも私が早期退社した丁度その頃、Yは単身で米国に乗り込み、以後今日まで頑張っている。倉敷では自転車を駆って颯爽と取材に向かう、細身で見た目には華奢だが、心の強い女性Yの姿が目に焼きついている。



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