かつて琉球王国時代、地方の有力者は王都「首里」に集められ各自屋敷
を与えられて永住した。当時は、のどかな田園風景が至る所に散在していた。
首里のさむれー(武士)は各自、統治する地方が決まっており、しばしば地方参
りをしていた。見目麗しい花も恥じらう乙女達が、せっせと綿花摘みに勤しんで
いた。鼻歌交りに歌う硫歌は平和そのものの田園風物詩だった。首里の武士
は統治領の地方で恋に落ち入る事も稀ではなかった。身分制度の厳しい当時
は位の高い高貴な武士と百姓の娘では相思相愛になっても実らないのが現実
だった。イギリス国王 エドワード8世の「世紀の恋」に匹敵する琉球武士と田舎
娘のそれも、負けず劣らずの悲恋物語が至る所で起こった。琉歌や琉球史
劇、芝居にと演じられてきた。琉球・沖縄中部の中城伊舎堂()の「じっそう
節」は当時の田舎風景を素直に謳い上げた恋の明朗歌で、ほのぼのとした平
和な時代を歌いあげている。特に中城伊舎堂には色白の美人が多く美人
の産地としても誉れ高い村だった。隣村の男性や遠路遥々、踏破して来た未
婚の男性が参集した。ここ中城伊舎堂まで遠征して見染めた乙女に恋を囁くの
が当時の男性の慣習とまでなった。その恋心を歌い上げたのが・・・・
『じっそう節である。・・・
“じっそう節”
思(うむ)ゆらば里前(さとぅめ)
島と(とぅ)めて(てぃ)いもれ(り)
島や中城(なかぐしく)
花の(ぬ)伊舎堂(いしゃどう)
(標準訳語)
私のことを愛する心があるなら
私の故郷は中城の伊舎堂だから
どうぞたずねてきてください
古の厳しい身分制度の世でも、それなりに地方の男女は恋心の発露をほしい
ままに謳歌した。長閑な田舎の田園風景が、懐かしく想起される。・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます