<静かで深遠な奥深い世界>とでも言えるのか、試行錯誤するが明快な応えは無い様な気がする。人それぞれの受け止め方でいいにではないのか、と思う。かつての平安末期の歌人 藤原俊成や、その子の定家が「新古今和歌集」や「千載和歌集」で、それなりに定義している。<幽玄>から<妖艶>へ、そして「幻想性」へと高めていった。室町期の世阿弥は「幽玄」は“夢幻”である、と言い切った。彼は、過去から現在、未来へと一連の時間軸を考え《幽霊》、《鬼》、《精霊》がシテ(主役)となり、ワキ(シテの相手役)の見る夢として「夢幻」を考え、その手法を“夢幻能”と定義した。・・・即ち、“幽玄”とは<夢幻>である、と言ってもいい、と・・・。そういう事を勘案し網羅すると、「幽玄」=「夢幻」も日本人の美意識の一側面である、と理解してもいいのではないのか、と思う。
<静かで深遠な奥深い世界>とでも言えるのか、試行錯誤するが明快な応えは無い様な気がする。人それぞれの受け止め方でいいにではないのか、と思う。かつての平安末期の歌人 藤原俊成や、その子の定家が「新古今和歌集」や「千載和歌集」で、それなりに定義している。<幽玄>から<妖艶>へ、そして「幻想性」へと高めていった。室町期の世阿弥は「幽玄」は“夢幻”である、と言い切った。彼は、過去から現在、未来へと一連の時間軸を考え《幽霊》、《鬼》、《精霊》がシテ(主役)となり、ワキ(シテの相手役)の見る夢として「夢幻」を考え、その手法を“夢幻能”と定義した。・・・即ち、“幽玄”とは<夢幻>である、と言ってもいい、と・・・。そういう事を勘案し網羅すると、「幽玄」=「夢幻」も日本人の美意識の一側面である、と理解してもいいのではないのか、と思う。
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