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豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

琉球統一末期の英雄<護佐丸と阿麻和利>の乱!

2005年09月19日 | Weblog
その昔、~1,416年頃、琉球は三つの領域(三山)に分立していた。琉球国の北部(北山)には今帰仁城(なきじんじょう)が在り、時の王が勢力を振るっていた。最大勢力の首里中山の尚巴志王(しょうはしおう)は護佐丸(ごさまる)と共に今帰仁城を攻め落とした。その功績が認められて読谷の地に護佐丸は尚巴志王から土地を与えられ、城主として、そこに「座喜味城」を築いたのである。一方、勝連の地には中央の首里に反旗を翻し首里城を狙う勝連城主の阿麻和利(あまわり)が居た。その為に忠臣、「護佐丸」は首里王腑を守るため中城に城を築き「中城城」(なかぐすくじょう)を構えた。阿麻和利から首里王腑を守るためである。現在の中城村での出来事であった。・・・物語は首里中山王、尚泰久王(しょうたいきゅうおう)を脅かし始めた勝連城主の「阿麻和利」に備え「護佐丸」は中城城に兵力を増強して、常に「阿麻和利」の攻撃に備えていた。ある日、「阿麻和利」は変装して首里城に上り、「護佐丸」が謀反を企てていると讒言(ざんげん)した。王腑は「阿麻和利」の言を信じ、中城城の攻略を「阿麻和利」に命じた。時は中秋の名月、旧歴8月15夜の「月見の宴」の真っ最中であった。「阿麻和利」は王腑の御旗を高々と掲げ中城城を攻撃し落としいれた。王腑への忠誠心に厚い「護佐丸」は手向かう事も出来ず、幼児だった三男の「盛親」(もりちか)を乳母に託して落ち延びさせ、自分は妻子と共に自害して果てた。その後、「阿麻和利」の陰謀だと分かったが時、既に遅しであった。「阿麻和利」も王腑軍に攻められ滅びてしまったのである。・・・歴史の断片、琉球史上に名高い「護佐丸・阿麻和利の乱」である。何時の時代でもヒーローは民心を擽り悲劇の立役者となるものである。日本史に順ずれば「護佐丸」は恰も”楠 正成”に準え、「阿麻和利」は”足利尊氏”に例えられる。琉球史上でも「護佐丸」は”忠臣”で「阿麻和利」は”逆臣”となっていたが、近年の研究により「阿麻和利」はむしろ”庶民の英雄”であり民心を巧みに操り取り込んだ”吾等が村の英雄”となっているのである。政争の激しい昨今を省り観ると時の流れは繰り返し又巡り来るのである。勝敗の陰に人間模様の真実を見る思いがし歴史の醍醐味を味わう昨今である。・・・


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